第31話 その誓いを力にかえて

 フロムはそれを聞いてうつむく。


「シレールは以前から、デイトの辺境領土を切り取ろうと積極的に仕掛けてきていました」

「それは二百年ほど前から変わっておらぬ。イルマート地方の切り取り、教会の廃止──強引な手段を使って着々と勢力を広げておったからな」


 フロムは舌打ちした。その時に教義がシレール側のものに統一され、使用言語も変えられてしまった。独自の言語と典礼を持っていたデイトの国教は、なし崩しにシレールと同一とされてしまったのだ。


 フロムや他の神々の依代だった人間は殺されたり国を追われたりして、デイトの精神的支柱は一気に弱体化した。シレールはデイトの地に工場を作ったりして、それなりに見た目上を取り繕ってはいたが、デイトを完全に属領にする機会を虎視眈々と狙っていたのだ。


「……神の存在なしに辺境を守るということは、並大抵ではなかったろうよ。苦労をかけたな」


 フロムは静かに言った。


「そうですね。追い返せたことももちろんありましたが、しつこく攻められ陥落し、そのまま支配されてしまった土地も多かった。──私の友人、マトシがいた町もそうでした。残った住民は自らシレールに帰属することを望んだとされ、何かとシレール風の生活を強いられます。捕虜となった兵たちは、シレール軍の所属となる。そして、彼らがデイトからの独立を願っているというお題目で、テラウを攻めさせたのです」


 ラシャは目を伏せながらさらに言う。


「それがどういう事態を招くか、分かっていないものなどおりません。繋がりのある国民たちを、親しみある国土を、敵として蹂躙する立場に立たねばならぬということです。しかし、残された家族の身の安全をちらつかされれば、捕虜になった者にはどうしようもない」


 聞いたフロムが眉をひそめる。


「軍に入ったからと言って、安泰なわけでは決してありません。文化も生活習慣も違い、手綱を握るには難しく反乱する可能性の高い彼らを、重用しようなどという司令官はおりません。共通認識として、文句を言われる前に肉の盾として使ってしまおうと思われています」


 ラシャが率直に言うと、フロムは空を見つめた。


「であろうな。ちょうど今日のように。お前はそれについて、どう思っている。戦が憎いか。シレールが憎いか」


 問われたラシャは、嬉しくなさそうな顔で答えた。


「人が住むのに適した土地、資源の出る土地、交通の要となる土地は限られている。そこを巡って奪い合いになることは、未来永劫なくなりはしないのだと、私は理解しています。戦はどうしても起こってしまうもの、それについて是非を問うても仕方ありません」


 出来ることをいくら積み重ねても、険しい山地、荒れた土地、資源のない土地は貧しいままの場合が多い。その横で、豊かな生活をしている者がいたら、それはうらやましいと思うだろう。そして、奪ってやりたいという感情が芽生えることもあるだろう。ラシャはそこまでは理解していると言った。


「──しかし、奪おうと言うのなら。愚かな行為に手を染めようというのなら。せめて、己の国の血を流して取りに来るというのが筋ではないのですか。他国の領土を切り取った後、現地に住んでいた住民を駆り立てるような、卑怯以下の真似をするのではなく。私は、そういう手を取ったシレールを許すことはできません」


 そこまで一気に言って、ラシャは息苦しそうに押し黙る。フロムは、ラシャの袖口を軽く引いて己の方を向かせる。


「そうは言ってもな、戦場は特に理屈とはほど遠い場所よ。そして弱いほど、力がないほど、その理不尽さにさらに振り回されることになる。少しでも自分にとってマシな道を選びたいと思うのなら、強くなって己の理を相手に押しつけるしかない。貴様らの都合なんか知るかと言えるほど、圧倒的な存在になるしかない」


 ラシャの顔を見上げながら、フロムは言う。


「──今日のことを悔いるなら、強くなれ」


 落ち込んでいる人間にそぐわない言葉ととられることも承知だった。所詮フロムは戦神、それ以上にも以下にもなれない。


「望みを抱け。そして我に誓いを立てよ。失ったものの代わりに、必ず勝利を手に入れると。お前にはそれが出来る」


 ラシャは両膝をついてその場に跪く。フロムは傍らにあった彼の剣を手に取った。今日の激戦で血を吸ったそれはもはや使い物にならず、鞘に押し込められて壊れた柄だけが鈍く洋燈の光を受けて光っていた。


 フロムは鞘に入ったままの、剣の切っ先をラシャの眉間に躊躇なく向ける。それを合図にしたように、ラシャの唇が動いた。


「昔から願ってきた──男が徴兵に怯えなくても良い国が欲しい、女が陵辱に怯えなくても良い国が欲しい。子供が誘拐されない国が欲しい、老人が略奪に遭わない国が欲しいと。私は、ずっとそう願ってきた」


 フロムがかすかにうなずく中、ラシャは続ける。


「今ここに改めて申し上げる。我が悲願が達成されるまで、この国を守る剣の一本として最後まで戦い抜くことを誓う。これが、ラシャ・ベリーエフの生涯を賭けた誓約である」


 フロムはラシャの言葉を聞いて、ほんの少しだけ表情を和らげた。


「再び生まれ出でた炎神フロムがその剣を受け取った。ラシャ、今日は眠れ。そして明日はまた立ち上がってゆけ。──戦神の子よ」


 その言葉を、名を呼ばれるのを聞いて、ラシャは呵責なく頭を下げた。傍らにいたレイラも、両膝をついて敬礼の姿勢をとっている。


 フロムは預けられていた剣を肩にかついだ。


「これは持っていく。明日、もう少しましなものを渡すようザザに言っておこう。まったく、あの程度斬ったくらいでいちいち交換せねばならんとはな」


 そのまま二人に軽く視線を送り、フロムは天幕を出た。さほど時間は経っていないため、まだ兵士たちがこわごわとこちらを覗いているのが見える。


「全く、真面目で常識的な男よな。大将軍からしてみれば、実に他愛のないことで悩んでおる」


 天幕を出たフロムは苦笑した。だが、だからこそ死なせたくないとも思う。平時に国を守っていくのは、ああいう男たちだ。


「……で、のぞき見は済んだか、ミルカ」


 ふと思考をやめたフロムが闇に向かって声を投げると、傍らの茂みから小さな金色の光が飛び出した。光は叱られた子供のようにきゅっと縮まり、すすり泣きのような音をたてる。


 フロムは眷属神の様子を見て、ため息をついた。


「昔からびーびーとよく泣く神であったが、変わっておらんの」

「違う……これは、人間たちの声……」


 ミルカに言われて、フロムはわずかに目をすがめた。金色の光の中に、肩を寄せ合って泣いている人間たちの姿が見える。影法師にしか見えないほど薄かったが、彼らは確かにラシャの痛みを共有していた。


「ああ、依代もお前と同じものを見たか。で、ご丁寧に周りに伝えたか? せっかくあの男が、周囲には影響を与えまいと隠していたものを」

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