第30話 神の名のもとに
「圧力鍋なんてさすがにないしなあ、どうしたもんか……」
大翔が唸っていると、胸のあたりがむずむずと動き出した。視線を落とすと、
思ってもみなかったミルカの積極的な動きに、大翔は目をむいた。かといって拒絶するわけにもいかず、黙って好きなようにさせてみる。
そのうち、大翔の体から金色の光が漏れ出した。蛍のように小さく丸く光るそれは、熱さなど気にしない様子で鍋の中に飛びこんでいく。
するとすぐに鍋の中身が煮立ち始め、骨から白いスープがしみ出し始めた。ミルカの力は、食材だけでなく調理過程にも及ぶらしい。これならさほど時間はかからなそうだ、と大翔は安堵した。
スープが煮立っている間に、もう一つ鍋を探してきて、挽肉と野菜を軽く炒めておく。肉の臭みができるだけ消えるよう、余っていたスパイスも入れた。
具が完成したところでスープを注ぎ、最終的に少しの塩で味を調える。味見してみると、絶品とまではいかないが十分食べられるものになっていた。
「あのマズい飯をよくぞここまで……」
大翔が心底ミルカに感謝していると、後ろで物音がした。イラクが腕組みをして立っている。
「なんで鍋を持ち出してるんだ? さっきからいちいちおかしいぞ、お前」
「試作品を作ってたんですよ」
「残飯と……これ糧食か? ゴミ同士混ぜたって、ゴミができるだけだぞ」
「失礼ですね。ちゃんと食べられる料理になりましたよ」
スープをすくって差し出すと、イラクは半信半疑の顔で口を開ける。もぐ、と一口で平らげるやいなや、彼は目を輝かせた。
「嘘だろ、糧食の味がマシになってやがる」
「調理済みの骨でもちゃんと出汁が出るんですよ」
「へー、知らなかった」
「あなた調理兵でしょ……」
動揺を隠せないイラクの様子に、人が集まってきた。彼らは興味津々の目で、大翔が持っている鍋を見つめてくる。
「本当かよ!? 俺も食べてみたいな」
「俺も!」
普通ならば皆に配って回るのだが、今は何よりも
テントに戻った時には、軽く汗をかいていた。食器を出してきて灯によそってやると、待ち構えていた彼女は素早く手を伸ばしてくる。
「……どうだ?」
「うん、十分美味しい」
灯の評価も悪くなかった。心配していた大翔は、やっと胸をなで下ろす。
それからしばらく、灯が咀嚼する音と液体を飲みこむ音だけがテントに響いていた。大翔が少しうとうとしかけた時、わずかに衣擦れが聞こえてくる。
「無茶をしてまで呼びつけおって」
大翔はあわててはね起きた。灯から発する圧力が強くなり、急にぐっと成長したように大きく感じる。ミルカは早々に大翔の奥へ帰っていってしまい、呼んでも返事をしなくなった。
「……しばらく寝るつもりだったが、仕方無いの」
そう言って復活したフロムは寝台に手をかけた。まだ足下はふらついているが、言葉や視線はしっかりしている。
「話が」
「この娘の中でだいたい聞いておった。なるほどな、確かに神の出番のようだ」
フロムはゆっくりと歩いていく。それを大翔が支えながら、ラシャの居場所を探し始めた。途中、ニコルが心配してついてきたり、昨日サンドイッチを差入れた技術者のシャーンが担ぐのを代わってくれたりと、他の人に色々世話になった。
そしてようやく、ラシャの姿を見たという兵士を見つけることができた。彼はアラスといい、実直そうな青年だった。
「ラシャ少尉でしたら、ご自身の天幕でお休みのはずですよ。ほら、向こうの部隊章の入ったやつです」
教えてくれたことに大翔が礼を言っている間、アラスはじっとフロムの方を見つめていた。
「坊主。今しゃべっておるのはこっちの小僧じゃぞ」
瞼を持ち上げたフロムにたしなめられて、アラスは赤くなった。
「す、すみません。明日、僕が小隊の指揮をとることになったので、フロム様のご加護があればと……」
「指揮? お前みたいな若造が?」
シャーンにあけすけに聞かれて、アラスはまだあどけなさが残っている顔を引きつらせた。
「ヤノ中佐は本日の戦いで亡くなられまして……繰り上がりで一つずつ指揮権が上がったんです」
「そうかい。中佐が……そりゃ、悪いこと聞いたな」
戦死の報。それを聞くと、このまま無事に帰れるのではないかと思っていた自分の甘さを責められたようで、大翔は重い気分になる。全員無事などありえないと理解していても、フロムがいるのだからとどこか期待していたのを感じ取ってしまった。
「そうか。励めよ」
フロムはそんな大翔の落胆を気にもとめず、アラスにさらりと言い放った。そっけないように聞こえるが、それでもアラスは嬉しそうに目を輝かせる。
「行くぞ」
意に介した様子もなくずけずけと天幕に入っていくフロムを見て、大翔はため息をついた。
「……相変わらず図太いな。本当に大丈夫かよ」
大翔がつぶやくと、胸の中でまた何かがざわりと動いた。
「……さて、あそこか」
フロムの肩から滑り落ちた髪が夜風に遊ばれ、ふわりと跳ねる。周囲の兵がそよぐ赤い髪に熱い視線を送っているのを確認しながら、フロムは挨拶もせずにラシャの天幕にずけずけと入った。
ラシャは寝台に座ったまま、ぼんやりとした顔でフロムを見つめた。振り返ってはいるが、心ここにあらずでまだまともな反応がない。先に気付いて顔を強張らせたレイラに、フロムは無言で目配せしてみせた。
「軍人がそこまで無防備なのはどうかと思うぞ」
フロムはラシャに近寄り、その隣にどかっと深く腰を下ろした。振動で混乱から冷めたラシャは、弾かれたように立ち上がった。
「フロム様……」
「二人きりのところ邪魔したな。まあ、少し我慢しろ」
「申し訳ございません!」
分かりやすくラシャが狼狽するのを見て、フロムは笑う。さらに謝ろうとする彼を制して、フロムは自分の隣を指さした。
「くじいた足首がまた悪化するぞ。僭越は承知の上、さっさと座れ」
「は、はあ……」
神を待たせるのも無礼と思ったのか、まだ戸惑いつつもラシャは腰を下ろす。レイラはそのまま壁際に立って、様子を見守っていた。
「何かご用でしたら、こちらから伺いましたのに……」
「怪我人のお前が動くより、私が来た方が手間が省けてよかろう」
困惑するラシャに、重ねてフロムは言う。
「遠慮するな。何か言いたいことがあるなら言うてみよ。……その目は、助けを求めているように見えるぞ」
フロムが言うと、ラシャはうなずいた。
「助け、というのか……懺悔したい気持ちは確かにあります」
「ほう。何かやらかしたか」
「親友を殺しました」
フロムはそれを聞いて、ただ黙ってラシャの横顔を見つめる。それでも彼が何も言わなかったので、焦れたように口火を切った。
「今日の戦場に、知り合いでも出ておったか。しかし、向こうが敵として出てきたのなら、戦うのは仕方ないことであろ。その上、お主は部隊の指揮を任されていた。攻撃の指示を出さねば味方が死ぬ。そんな理屈は、子供でも分かることだと思うがな」
フロムが言うと、ラシャはのろのろと頭を上げた。
「……そうです。ですが、私の親友が敵の部隊に入ったのは、決して好き好んでというわけではなかった」
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