第29話 あなたのその顔が

 結局、防御の要である丘は落ちなかった。しかし北側の防衛線の一部が崩れ、敵の陣地となったという報告が飛び交っている。


「もう夕刻だ。足下が悪いからあっちも無理には攻めて来ないだろうが、明日早々に奪還しないとまずいだろうな」

「北もひどいが、南はとんでもない激戦だったらしいじゃないか。まさか、守備隊が全滅なんてことはないよな……」


 それを小耳に挟んだ調理兵の面々が好き勝手言うので、大翔ひろとはいちいち気が気でなかった。フロムが疲弊して帰ってきた時から嫌な予感はしていたが、本当に大丈夫だったのかと胸騒ぎがやまない。


「──いや、今は仕事だ」


 邪推するだけ気力の無駄、と判断し病人食を作り続ける。そうして、小一時間ほど不安な時間が過ぎた。


「おい、帰ってきたぞ!」


 大翔が台所での仕込みを終え、たき火の横で休んでいると、ニコルとイラクが報告に来てくれた。


 あわてて皆と一緒に出迎えると、すでに数百人の防衛隊が帰ってきていた。その先頭に立つのはラシャとレイラ。ラシャは足をひきずっていたが、二人とも命に別状はなさそうだ。


「やあ、君か」


 大翔を見つけて、ラシャたちの方から近寄ってきてくれた。


「本当に、無事でよかった……!」


 激闘だと聞いていたから、大翔はずっと心配していた。二人の顔を見た瞬間、緊張が一気にゆるんでうっかり抱きつきそうになる。


「どうしました?」

「い、いえ別に。お二人とも、食事にしませんか?」


 大翔が言うと、ラシャとレイラはそろって眉をひそめた。


「……私はやめておこう」

「ごめんなさい、今はそんな気分じゃなくて」


 二人の間に流れた不穏な気配を感じ取って、大翔は口をつぐむ。何かを隠している感じがあからさまに伝わってきた。


 互いが交わした視線に意味があるのだろうが、詮索するには明らかに二人がぴりぴりしている。それに、二人が大翔に相談したいことがあるとも思えない。結局、大翔はそれ以上食い下がることができなかった。


 ラシャたちは奥の司令部へ入ってしまったので、大翔はあかりが眠っている天幕の中へ戻る。


「お帰り」


 灯の声がする。さっきまで子供のようなかわいらしい顔で眠っていたが、今は簡易寝台の上から起き上がっていた。思ったより元気そうで、大翔は安堵する。


「おう。ラシャさんとレイラさんは無事だったぞ」


 あえてややハイテンションに語りかけてみると、灯はうっすら笑った。


「何か食うか?」

「食欲か……ないな」

「だろうなあ。まともな食事はみんなが先に食っちまって、戦闘糧食しか残ってないんだから。あの二人にも断られたよ」


 まだ灯の顔色は青白い。本当は食べた方がいいのだ。しかし身をもって糧食のマズさを知っている大翔は、食えと無理強いするつもりにはなれなかった。


「ま、ゆっくり寝てろ」

「ありがとう」


 灯はそう言って、また薄い掛け布団に顔を埋める。


 フロムが無茶をしたので汚れまくった服は、優しい資材兵が持ってきてくれた歩兵の服に変わっていた。せっかくルタンがプレゼントしてくれた服だから、戦が終わったら返してもらわなければ、と大翔は脳裏に刻む。


「さて、俺は先輩に軍隊飯のレシピでも聞きに行くかな……」


 予定がない大翔がぶらぶら出かけようとした時、テントの外から複数の足音が聞こえてきた。


「ごめん、ちょっと入っていいかな?」


 入り口からラシャの声が聞こえてきた。それを聞いた灯が体を起こしたので、大翔は諾と返事する。


「具合はどうか気になってね」

「フロム様、今日は本当にありがとうございました」


 入って早々、頭を下げるラシャとレイラ。灯はそんな二人を見て、気まずそうにしていた。


「……私は大丈夫。二人の方が、大変だっただろ」

「気にかけてくれてありがとう。君とフロム様の援護のおかげで、ずいぶん助かったよ」

「明日は無理しないで、ゆっくり休んでください。すぐに完全勝利をもぎ取って帰ってきますから」


 そう言って去って行く二人の背中を、灯がちらっと見た。


「……大翔」


 そして二人がいなくなると、寝床から灯のか細い声がした。二人に会えて喜んでいるかと思いきや、勘のいい彼女はすぐに違和感を抱いたようだ。


「何かあったみたいだな、今日」

「戦場だぞ。そりゃ、何かあるに決まってる。それより明日のことだが」


 目をそらしつつ話題を変えようとする大翔の手を、灯がつかむ。


「なあ、大翔。私がなんとか食べられる飯を用意してくれないか」

「もう寝るんだろ? 今からそんなに食ってどうするんだよ」

「体力を回復できれば、わずかな時間でもフロムを呼べるかもしれない。今の二人──特にラシャには、フロムと話す時間が必要だと思う」


 灯はさらに続けた。


「私たちは所詮余所者だ。この国の歴史だってほとんど知らない。何かちょっと綺麗なことを言ったところで、きっとラシャには届かないし、取り繕わせて辛い思いをさせるだけだ」


 灯のつぶやく声には悔しさがにじんでいる。


「頼むよ。今夜話をしないと、大変なことになりそうな予感がするんだ」


 大翔はため息をついた。


「……いざという時のために、体力はとっとくべきじゃないのか?」


 灯は黙って大翔を見返す。大翔は頭を抱えたくなったが、灯の気持ちも分かった。


「仕方ないなあ。お前、納得しそうにないし。なんかアレンジしてやるよ」

「ありがとう!」


 時間をくれ、と言って大翔は外に出る。所在なく外を歩きながら、考えた。


 戦闘糧食に含まれる栄養は問題ない。味をごまかせばいいのだから、基本的には元の分を薄めて、何かを足すという作り方になるだろう。


「でも、カレースパイス系は昨日使ったし、ここにはまともなソースもないし」


 なんとか味の要になる物を探そうと、大翔は食堂がわりになっている大きな天幕の方へ向かった。こちらは天幕といっても防水布の屋根を金属柱で支えただけの本当に簡易なもので、屋根の下に炊事台が並んでいる。


「なんだ? ここはもう片付けだけだぜ」


 当番で片付けをしていたイラクが声をかけてくれた。彼は、すぐ横にある食卓から持ってきた汚れた皿を両手に持っている。その皿に、大翔の視線が吸い寄せられた。


「……その皿の骨、全部俺にください」


 大翔が言うと、イラクは目を丸くしていた。


「こんなの、ほぼ肉がついてない鶏の足だぜ? 腹が減ってんなら、別のものを……」

「いや、食べるんじゃなくて。出汁を取るんですよ」


 大翔は急ぎ足で食卓に赴き、食器に残っていた骨を全て集めた。それを一旦軽く洗ってからハンマーでたたき、鍋に水、塩、酒とともに投入し煮込む。


「これで鶏ガラスープがとれるぞ」


 糧食の中に、鳥挽肉と野菜を炒めた料理があったはず、と大翔は思い出していた。それにこのスープを入れて味を調整すれば、だいぶマシになるのではないかと予測している。


「だけど、時間が足りないな……」


 天からの恵みに見えた鶏の骨だったが、問題があった。こういう出汁系は基本煮込むのが長いほど美味いのだが、いかんせん時間がない。明日の調理に使うため、薪も無制限に使えるというわけでもなかった。

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