第27話 さらば、友よ

「敵、前方より接近。フロム様が攻撃した第一軍の生き残りと思われます」

「あれだけの攻撃を受けて司令が無事とは……大事をとって上官たちは避難していたのか。流石に用意周到だな、シレールは」


 司令の避難は予想できたことだったため、ラシャは驚かなかった。むしろ、よくぞフロムがあれだけ削ってくれたものだと思う。


「他の軍との連携はまだ取れていないようですが、第一軍単独で進行してきましたね」

「第二軍は丘の北方を攻撃中だから参加できないにしても、第三軍と連携してきた方が効果が大きいだろうにな……」


 将軍同士で意見が割れているのか、それとも連絡の不備か。読み切れないが、それでも敵は少ないほどありがたい。


「敵接近の報告あり。間もなく、先頭集団が第一防衛線に到着します」

「やはりここから攻めてきたか。死守しろ!」


 ラシャたちが守る地点は、主力部隊の左脇腹の位置に当たる。この位置を失えば、せっかく時間をかけて築いてきた防御陣地の裏をかいくぐられることになり、今までの努力が水の泡だ。


「簡易要塞への狙撃部隊配置、完了しました!」


 要塞といってもそんな大したものではない。土嚢を積み重ね、その上に丸太を重ねただけの本当の即席のものだ。しかし少しでも敵から身を隠し、被弾確率を上げるためには有効な手段である。


「よし、撃て! 接近される前に、少しでも敵の数を減らすんだ!!」


 指令が下り、躊躇のない発砲が始まる。しかし敵撤退や殲滅といった報告は入ってこず、代わりに負傷者や簡易要塞の放棄が知らされるようになってきた。十分に警戒はしているつもりだが、何か予想外のことが起きている。ラシャは報告を読みながら唇を噛んだ。


「……砲の数が足りないのか」

「砲撃はやっていますが、岩に阻まれて銃弾の効果が薄くなっています。逆に敵の狙撃手は、その地形効果を利用して攻撃中。味方の被害が拡大しています」

「追加の砲はまだか」

「無茶言わないでください。小型砲でも大人数人分の重さなんですよ」


 冷たい眼差しを浴びせられて、ラシャは唸った。こちらは高所を取っているが、あまりに準備時間が足りず装備が十分に運び込めていない。


「砲の準備が整うまで、こちらも射撃部隊で保たせるしかないか……!」

「ザザ少佐もそうお考えです。すでに少数ですが射撃班の精鋭が到着、撃ち合いが始まりました。しかし、しばらくは膠着が続くかと」

「他の隊の到着状況は」

「ヤノ中佐率いる歩兵隊が間もなく丘最上部に到達、登ってきた敵兵と衝突するものかと。ただし弾薬を補充する時間がない可能性もあります」


 剣での白兵戦になれば、さらに犠牲は拡大する。反対側で戦っている同士たちが無事であるよう、ラシャは祈ることしかできなかった。


「私も狙撃班に加わります。少尉、ご武運を」

「アバンス准尉、幸運をな」


 レイラを見送ってからしばらくして、ようやく機関銃や軽砲が届き始めた。味方の反撃が始まり、土煙で視界が悪くなる中、ラシャは双眼鏡片手にある一団を探していた。


「姿を見せろ、通信兵……!」


 こちらの防御はまだ完全とはいえない。通信兵にそれを見抜かれ、弱いところに一斉攻撃をかけられれば丘が落ちる可能性は十分にあった。もともとシレールの軍の間隔は離れていて連絡が入ってもすぐには集結しづらいが、より勝利を確実にするためには、相手の連絡手段を断たなくてはならない。


 しかし、ラシャは通信兵を見つける前に、唐突に違うものを見つけてしまった。


「マトシ……」


 黒と白色が入り交じった、変わった髪を持って生まれた子。気味悪がる者もいたが本人はいたって溌剌とした少年で、いつも愉快ないたずらを考えついて。そして大人になると、この国を守るのだと言って辺境警備に志願した。ラシャはそれをまぶしく思いながら同じ道を行ったものだ。


 その少年が大きくなった姿で、こちらに駆け寄ろうとしている。思わず双眼鏡片手に身を乗り出し、相手の名を呼びそうになって、ラシャはようやくこらえた。


「なぜお前が、シレールの軍服を着ている……まさか……」


 腹の底からシレールへの嫌悪感がわき上がってくる。辺境で起こった最悪の事態が、シレールがわざわざデイトの要衝に攻め込むのに使うであろう詭弁が、こと細かに想像できた。


 そんなに憎いか。お前たちより豊かな地に住んでいたことが恨めしいのはまだ理解する。しかし、だからといってそんな手段を使うなんて。


「余計なことを考えるな……!」


 暴走する思考を止めようと、ラシャは唇を噛んだ。腹の底にある感情を、必死に押し込めようとする。しかし飛び交う銃弾や響き渡る砲弾の着弾音ですら、嫌だと心の中で叫ぶ声の勢いを弱めるには至らなかった。


 つっこんでくる敵兵を、単純な敵と認識できればどんなに良いか。倒れる相手を、必要な犠牲だと割り切れればどれだけ幸せか。だが、彼らの置かれた立場や心境を慮ることができてしまい、思い出を忘れられない人間にそれは不可能だった。


「だったらそのままでいい、今やるべきことは何だ……!」


 彼らの運命は決まっている。それならせめて、その中でも最悪の事態だけは己の手で避けるべきではないのか。ここで権限を持ち、それができるのは自分だけなのだから。


 ──人殺し。


 そう考えるラシャの中で、もう一人の自分が叫ぶ。


 ──それはお前が判断することじゃない。


 判断することだ。現場の指揮官という立場は、選択する責任を負っている。


 ──見捨てるんだな。もっともらしい理屈をつけて。その方が、自分が楽だから。


 違う、それだけは違う!


 ──これ以上見たくないと言うのなら、お前が向こうに殺されてやればいいのに。マトシの命は助かるぞ。


「違う! 生きていればいいというものじゃない!!」


 自然と声が漏れた。それからしばらくたって、その声は嗚咽に変わる。戦場の様々な音にまぎれて、それは近くに居た護衛兵だけに届いた。


「……少尉」

「すまん。分かってる。……もう決めた」


 胸の中をごっそり持って行かれるような深い葛藤の後に、ラシャは選ぶ。友であり、道を示してくれた恩人であった相手に砲を向けることを。


「あの一角を打ち崩せ! 先頭が崩れれば、ぴったりついている後方がつられて倒れるぞ!」

「了解いたしました、少尉殿!」


 少し離れた場所にいた砲兵はマトシのことを知らない。あっさりと命令は受け入れられ、独断だと責める者もいない。きっと冷酷な奴だと罵られた方が、ラシャの気は楽だっただろう。


「狙いを定めろ!」


 最後の命令を出すまでの間、ラシャはマトシから視線を外さなかった。それがせめてもの礼儀だと思ったから。


「撃て!!」


 砲弾が着弾するまでのわずかな間のことだった。こちらに気付いたのだろうか。マトシが最後にあの人なつこい顔で笑ったように見えた。


 その顔も姿もすぐに、黒い煙の中にかき消える。一瞬だけ向こうからの突撃が止まったわずかな合間に、ラシャは頭を振った。


「……いや、きっと私の願望だろう」


 向こうが高所にいるラシャに気付く可能性はほとんどない。あれは、罪の意識にさいなまれた自分が最後に見た幻影なのだと、ラシャは自分に言い聞かせた。


 間もなくして、また相手の姿が見えてくる。換えの銃弾を取り出しながら、ラシャは小さくつぶやいた。


「さらば、友よ」


 行くならば君は天の国へ。そこから地獄に落ちた自分を見て、笑ってくれ。


 ラシャはそう思いながら、部隊に新たな指示を出すべく口を開いた。


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