第25話 猛攻のあとに残るもの

 決戦の二日目は、嫌になるくらいの良い天気だった。フロムは炎の翼を駆使して戦場を上空から睥睨し、敵の配置を確かめて戻ってくる。作戦本部で待ちかねていたザザとラシャが、戦場の地図片手にフロムを出迎えた。


「いかがでした」

「昨日から大きな配置変更はないな。不安材料の騎兵隊も大きく動いておらぬ。奇襲がないと割り切ってしまうのは拙速というものだが、少なくとも朝一番に横腹をついてくる可能性は極めて低い」

「ならば、昨日と同じ包囲戦になるでしょう。主戦場は北と西……」

「そして時間が経過してくれば南、か」


 昨日猛攻撃を受けて北・西部分の陣地構成は完璧なものに近づきつつあったが、南にはまだまだ手が回っていない。そのことを相手が読んでいるとしたら、完全に包囲すべく動いてくる可能性は十分にあった。


「今日のうちに動くとしても朝のうちは動かぬ。まだ妾が動ける時間帯だからな。動くとしたら午後だ」

「……フロム様は何時くらいまで動けるとお考えなのですか」

「この依代でさして連続して戦闘したことがないでな、予測がなかなかできぬ。──午前中は保証するが、午後は期待するなと言っておこうか」


 フロムが言い放つと、二人が引き締まった顔になった。フロムは南の要となる小さな突出部の防御を任されている。


「そうなった場合は、包囲は我々の手で阻止することになるでしょう。なんとしても、我ら第一軍にやらせてください」

「了解した。大型砲は持ち出せぬが、小型速射砲や機関銃はできるだけ持っていけ。敵の動きに対応できるよう、通信兵も配置しておく」

「はっ、了解しました」


 きびきびした軍人たちの会議を横耳で聞きながら、フロムは考えていた。


「……見えぬな」


 ふとこぼし、それからしばらくして、軍人たちから問うような視線を向けられていることに気付いてフロムは動きを止めた。


「いや。昨日のことで、妾の存在は向こうに知れたはず。それなのに、ことさらそれに対して策をうってこようという気配がないのがちと不気味でな」

「憑依の時間切れを狙っているのでは?」

「それならば最初から最大出力でいくだけのことだがの。攻撃を緩和する策も、妾に対する抑止もなしで、時間切れまで持ちこたえられるとは思えぬゆえ」


 二人は無言になった。昨日一日戦ってみた肌感覚でしかなかったが、今回の司令官はそんなにバカでもなければ無能ではない、という手応えが確かにあった。そのやり手が動いているように見えないとしたら、それは。


「何かを隠している可能性はありますね」

「ああ。妾の周りに安易に兵を寄せるなよ。最も南寄りの相手第一軍ににらみをきかせるという意味でも、前進指示を出しておけ」

「しかしそれでは……」


 フロムの横を守る第三軍を前進させると決まれば、フロムが落とされれば攻略拠点の一つがガラ空きになる可能性が極めて高くなる。


「仕方が無かろう。敵が神憑き、またはそれに準ずる存在でも投入してくれば、近くに居る兵が蒸発する確率は高くなる。後ろを守る第一軍は、妾の動向から目を離すな。戦闘の形跡が見えなくなれば、直ちに前進し突起部を守れ」

「はっ」


 手はずが整ってから、フロムは今日の防衛拠点に赴いた。通信兵から伝令が行き交い始める。遠目にも、敵軍団がじりじりと動き出したのが分かった。しかし一時間経過しても、一向に丘の方へ向かって押し寄せてこない。


「やはり、本格的に攻めて来ることはまだない」


 相手が狙うのが時間切れだとしたら、こちらの射程範囲ギリギリと計算したところで待つはずだ。そうやって、反撃を避けつつ最大の打撃を与えられる瞬間を待つ。


「……間違いではないか、神に対する策としては愚かじゃの」


 フロムは弓を引くときのように腕を絞り、巨大な火矢を作って構えた。


 それを放てば全て終わり。敵の一隊は、昨日と同じように炭化して命を失うだろう。フロムはそう思っていたのだが、今日の敵はそうはいかなかった。


 矢を放った瞬間、空気の抵抗が急に強くなったように感じた。向かい風が吹いている中を、強引に進んでいる時のような全身への感触。


 次の瞬間、矢に亀裂が入り、敵の目前でばらばらに砕け散った。思わぬ変化にフロムは目を見開くが、すぐにその原因に思い至る。


「術返しか……!」


 神憑きが今より多かった頃、考え出された対抗手段。相手の力を殺し、消滅させることに重きを置いた術。主に神を知り尽くした神官や神学者が修得者となることが多く、神憑きの暴走を止めることも多かった。


「しかしそれを、シレールが手に入れていたか」


 活動限界のことを知っている素振りといい、この術返しといい、シレールの将官の中に相当の知識を持った者がいることは間違いない。数百年、広大な国土を維持してきたという実績は伊達ではなかった。


「しかし、まだ甘い!」


 術返しも長く失われた技術、復活させたようだがフロムの全力攻撃をはね返すまでには至っていなかった。やや活動時間が短くなるのを承知で攻撃を放てば、何も問題はない。


 フロムは攻撃のために前方を見据える。灯の体を借りてはいてもその目はすでに神の目、敵の様子をつぶさに見ることができた。


 だから気付いてしまう。もう一つ、敵がこちらに対して仕掛けた策に。


「小賢しいことを……」


 フロムは低くつぶやく。そして忌々しげに、前方をにらみすえた。


 しばし状況は膠着する。さすがに奥に居るであろう指揮官までは特定できないが、相手の視線が己に注がれていることは間違いないとフロムは思った。


 そして決断する。右手を天に向かってかかげ、左手は弓を撃つ体勢のまま構えた。力をこめた右手の上には巨大な力が集まり、先ほどとは比べものにならないほどの矢となって顕現する。熱気の洪水が、フロムの体に押し寄せてきた。


 矢をつがえ、引き絞る。そのまま一気に放った。


 術返しと矢がぶつかる。しかし今度は、矢が強力になった分、押し返す力が弱いのをフロムは感じ取っていた。


 矢が中央に食い込み、大きくたわんでいる無色の壁が見える。その向こうには、四肢を硬直させ戸惑った様子の人間たちがいた。


「許せよ」


 フロムがつぶやいた次の瞬間、矢を押し戻していた力がかき消えた。豪炎でできた矢は、多くの人間が立っていた大地へ向けて抵抗なく吸い込まれていく。


 天まで達するかと思われるような巨大な火柱があがった。一瞬で燃え上がったそれは消え失せるのも早く、フロムがひと息つく間にはなくなっていた。


「ん……?」


 大地を焼いた黒煙の中に、まだちらちらと動く赤い炎が見える。そしてもう一つ、不規則な動きをする物体が炎の中に浮かび上がっていた。


 フロムはわずかに目をすがめる。あの攻撃を受けて生きている者など、いるはずがない。……少なくとも、人間では。

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