第24話 シレール軍の暗躍

「デイト五大神の一柱、フロムの復活か……これは少々厄介なことになりましたな。迅速な攻撃を旨とする、我が兵の足も鈍り初めております」


 そう言って眉間に皺を寄せてみせたのが、第四軍団、一万二千の騎兵を預かるヴラディ・グーバレフ中将である。馬乗りらしく、無駄な筋肉のついていないすらりとした体型の美丈夫で、形の良い顎髭を手でなでつけている。


「その報告は本当なのですか? 兵が現場で相手の火器を見間違えただけでは」


 ヴラディ中将の横で、予想外の事態を無かったことにしようとしているのは、第三軍二万を預かるシューラ・チューリン少将である。ヴラディとは反対的に筋肉をまとった大きな体型をしている彼は、シレール本土に広大な農地を持つ裕福な領主でもあり、元からこの遠征にはあまり積極的でなかった。わざわざ苦労して領土を広げなくていいほどのあがりをたっぷりと受け取っており、今の地位から滑り落ちるようなことさえなければそれで満足だったからである。


 そんな彼が遠征軍に加わったのは、豊富な資金援助と、征服後の敵地資産管理を目的にしたところが多分に大きかった。つまり、シレール本部は今回の作戦で負けることなど最初から考えていなかったのだ。


 転ぶことを考えていない人間は一度崩れると脆い。その危険性を最も晒しているのが、今回最も大きな犠牲を出した第二軍の指揮をとる、コンスタン・エゴロフ中将であった。中年であるが、彼の薄い毛にはすでに白いものが混じっていた。


 コンスタンは神経質そうな顔をますます青くして、総司令の前で背中を丸めている。彼には、そうしなければならない理由があった。


「う、嘘なものか。私は目の前で確かに見たんだ、あの炎の翼と、灼熱の壁を。そしてそれを操る若い娘を」


 そう言って低く唸るコンスタンを冷ややかな目で見るのが、隣に座っていた第一軍の司令官、キリル・ドラグノフ少将であった。彼はコンスタンより十ほど若く、涼やかな顔をした野心溢れる軍の新星である。その美貌を生かして男娼まがいのことまでしていると揶揄する声もあるほどの速度で出世した彼は、今度の遠征で手柄をたてることに何より執着している。彼が怯えるコンスタンを鼻で笑うのは、総司令のミハイロには容易に想像できることだった。


「だからといって、総崩れの敵軍の追撃もせず、おめおめと逃げ帰ってきた理由にはなるまいよ。あそこで防御陣形が完成する前に叩いておけば、今頃敵軍は総崩れだっただろうに。一番兵の数の多い第二軍を任されておきながら、情けないことだ」


 最年少だったため今日の前線から遠い配置にされていたキリルは、その鬱憤をコンスタンにぶつけることで解消している。それも頃合い、と判断したミハイロは、手を上げてキリルを制した。


「……それに関しては残念だが、今更言っても仕方はなかろう。考えるべきは、フロム擁する敵軍とどう戦うかだ。キリル、案はあるか」


 総司令に他をさしおいて指名されたキリルは少し気を良くした様子で、コンスタンから視線をそらす。


「当初の予定では、北と西からの二方面攻撃で敵の防御を破る予定でした。しかしただでさえ地形の険しいあの丘にある程度陣を構築され、それにフロムも加わったとなれば、まともに攻めた場合のこちらの被害は甚大なものになるでしょう。私は、計画の変更を提案いたします」

「具体的には?」

「南方からの包囲です。明日には攻撃開始からほぼ一日が経過し、この近くに居て駆けつけられる援軍は全て丘に揃うでしょう。その隙間を狙い、南側から包囲を完成させます。さらなる援軍はすぐに来ず、完全に包囲されたと分かれば奴らの戦意も折りやすくなります」


 ここでヴラディが発言を請い、許可された。


「一般兵だけならそれでいいだろうがね、フロムの存在を忘れてないか? せっかく時間をかけて包囲を完成させたところで、あの女神様がいれば一角ぐらいはブチ破られると思うけど」


 ヴラディの指摘を聞いて、キリルは薄く笑う。


「包囲をするのには、もう一つ意味があります。時間稼ぎです」

「活動限界時間か……」


 キリルの意図を察したミハイロが低く言う。キリルは満足げにうなずいた。


「そう。いかに強大であろうと、神が人間の体に押し込められている以上、限界は必ず来る。夜に休んだとしても、日中に爆発的な力を発揮できるのはせいぜい明日まで。明後日には顕現を解かざるをえなくなり、そこからしばらくはかなり力が弱まるでしょう。いかに犠牲が出ようとも、明日に我が軍が壊滅さえしなければ必ずフロムを依代の娘ごと捕らえることができます」

「そして依代を殺せば、フロムはまたしばし歴史の闇に消える、か。実行できれば悪い案ではないが、そこまで兵が保つか」

「保たせます。そのために盾を用意したのですから」


 そう言い切ったキリルの顔が、一瞬陰惨なものに変化した。ミハイロは顔をそらすこと無く、正面からそれを見つめる。この双眸に宿る欲望を隠そうともしない若き狼をどう扱うか、老いた男はしばし思案していた。


「……分かった。第一軍は南への包囲に回すものとする。ただし、攻めかかる時期はフロムの動きを確認した上で、慎重にせよ」

「かしこまりました!」


 キリルに言い放つと、ミハイロは無表情に他の将たちを振り返った。


「第三軍は引き続き西の方位を守れ」

「仰せのままに」

「第四軍は後方で待機せよ。ありえぬとは思うが、東からの迂回攻撃が必要になる場面が来るかもしれん」

「兵には申し伝えておきます」

「さて、問題の第二軍だが……」


 ミハイロは色を失った声で淡々と言う。何を言われるかと恐れているのか、絶望を顔面に貼り付けたままコンスタンはミハイロを見た。


「そのまま北で待機。キリルの第一軍が南方の包囲を始めた段階で動き、敵軍を北に引きつけよ。戦闘の後、丘の一部を奪取しそこを足がかりとする。今度こそ、逃げ帰ることは許さぬからそう思え」

「は……ははっ!」


 コンスタンは深く頭を下げ、しばらくそのまま動くことはなかった。ミハイロはそれをじっくり見るでもなく、話は終わったとばかりに司令部の天幕から遠ざかる。追いすがる部下についてくるな、と短く言い捨てて、丘を見渡せる林の切れ目まで歩いた。


「……念のため貴様を連れてきたが、まさか向こうの主神と戦わせることになるとはな」


 つぶやくミハイロの外套の中から、ぞろりと闇の塊が這い出してきた。黒い影はやがてミハイロをすっぽり覆い尽くすほどの巨大な熊となった。異常なまでに発達した太い脚の先にあるかぎ爪は、今にも走り出しそうに土を掻いている。


「貴様の出番は、あるとしたら明日だ。大口をたたいたキリルの作戦が成功すればそれで良し、駄目なようなら貴様が依代とやらを屠れ。いいな」


 ミハイロの声に応じて、熊が低く吠える。そして再び形を崩し、再び外套の中に戻っていった。


「さて、もう両軍そろって後には引けぬ。神を殺すはやはり神か、それとも人間か。確かめさせてもらおうか」


 ミハイロの最後のつぶやきは夜風にからめ取られ、どこへともなく消えていった。

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