第16話 僕の中にも誰かいる

「いいんですよ、仕事ですから。口に合って良かったです」

「……でも、差し出がましいことを言っていいかしら? 古くなった食材は、早めに処分した方がいいわよ」

「え」


 イリアが指さす方、厨房の流し台のちょうど角のところに、何か丸い物が落ちている。かがんで見ると、それはジャガイモもどき──トーフィというらしい──だった。本物と同じく、しなびて皮が緑っぽくなり、ところどころ芽が出ている。


「本当だ、すみません」


 掃除をしたときにはこんな物は落ちていなかったように思えたが、陰になっているから見落としたのかもしれない。そう思った大翔ひろとは、イリアに謝ってトーフィを手に取った。


 変化が起こったのは、次の瞬間だった。大翔の指からわずかに黄色い稲妻のようなものが走り、それがトーフィに吸い込まれていく。派手な静電気か、と大翔が思った次の瞬間、トーフィの表面に浮かんでいた緑色が消え、生えていた芽がぽろぽろと落ちていった。


 数秒の後に大翔の手にあったのは、やや悪くなっているが、十分食べられそうなトーフィだった。さっきの、もう明らかにダメになった野菜とはまるで別物に見える。しかし、他に入れ替わるような物はなかったはずだ。


 何故だ。ありえない。先にあった、あの老人の幻覚となにか関係があるのか?


 大翔の頭の中で、思考がぐるぐると回る。とっさのことで、きちんとした理屈は何も思いつかなかった。


「……あなた、大丈夫?」


 イリアの声が聞こえてきて、大翔はやっと我に返った。不穏な視線を向けられているのを感じ、大翔はとっさにこの場を取り繕わなければ、と思う。


「は、はい。思ったより傷みがひどくなくて、ほっとしてたんです。ほら」

「あら、本当。でも、そんなところに置かない方がいいわよ」

「気をつけます」


 幸い、イリアはそれ以上追求することなく食堂を出ていった。大翔が後を追うと、ちょうど彼女が宿の玄関扉を閉めた音がする。今日も取材で、しばらく戻らないらしい。


 これを絶好の機会とみて、大翔は一段飛ばしで階段を駆け上がった。自室に飛び込み、寝床でだらだらしていたあかりの前に陣取る。


「どうしたんだよ。まだ食堂の手伝いするには、早い時間だろ?」


 眠そうな眼で瞼をこする灯に、大翔は懇願した。


「どうしてもフロムに聞きたいことがある。悪いが、ちょっとだけ奴に代わってくれないか」


 灯は何か言いたげにちらっと視線を向けてきたが、結局言葉にせずにうなずいた。それからしばし無言が続き、後に灯の頭ががくんと下に揺れる。髪の先端がわずかに赤に染まり、爪がわずかに伸び始めた。


「なんじゃ。忙しない奴じゃの」


 顔を上げた灯の瞳が真紅になっているのを確認し、大翔は思いきって聞いてみた。


「フロム。お前なら見えるかもしれないから、単刀直入に聞く。俺にも、何か『憑いてる』のか?」


 その問いを聞いて、フロムはわずかに笑った。


「ようやく気づきおったか。鈍い奴よの」

「やっぱりいるのか……」

「そうでなければ、貴様がこの世界で言語に不自由せん理由が説明つかんであろ。自分の頭の程度くらい把握しておけ」


 大翔は相変わらず尊大なフロムにむっとしたが、違和感を放置していたのは事実だったので言い返せなかった。


「……何がいるんだ?」

「地の神テルースの眷属であり、かの神の食事を受け持ったとされる神──ミルカだな」


 なるほど、と一旦大翔は納得した。確か、日本神話にもそんな神がいて、伊勢神宮の近くに祀られていると旅行の際に聞いたことがある。しかし、しばし経つと疑問が湧いてきた。


「こっちの神って飲食するのか?」

「神として単独で実体化したときは地脈の力や信仰心を糧に体を保つ。人の体を借りている時は普通のものを食わんと依代が弱るがな」

「とにかく依代がいると依代優先になるわけだ……」

「そうだ。あくまで実体があるのは人間の方であって神ではないからな。ついでに言うと、依代を自由に動かせる時間も限られる」


 神が好き勝手すると人間の体の耐久能を超えるため、長くても一日二日動かすと、その後休憩時間が必要になるのだという。


「休憩時間がどのくらいで済むかは、依代の体力と適性に依る」

「よく分かった。一旦話を戻すぞ……その役割からすると、ミルカって全然戦い向きの神様じゃなさそうだな」

「ああ。本人も気が弱い。妾のように宿主に話しかけることもできるのだが、近くに炎神の気配があるだけですくみ上がっておってな。お前から話しかけねば、まともに答えはすまいよ」


 フロムに言われて、大翔は困ったが、とりあえず普通に思いを口に出してみた。


「……えっと、ミルカ? 聞こえてるなら、返事してもらえると助かるんだけど」

『聞こえた』


 ぞわり、と大翔の胸のあたりを、柔らかな何かが這う気配がした。見た目に盛り上がっているわけではないのだが、小さな獣を胸に抱いている時のように温もりとくすぐったさを感じる。


 それにしてもミルカの声は小さい。声質からして若い男性神だと思われるのだが、物怖じする子供のようにか細い声だった。


「ここに来てから、初めて作る料理がうまく作れたのも、ラタン亭の親父さんの姿が見えたのも、君の能力?」

『うん』

「トーフィを復活させたのも?」

『うん』


 それから大翔がいくつか質問しても、ミルカは最低限しかしゃべらない。フロムみたいに自己主張と性格が強すぎても嫌だが、こういうタイプも別の意味で厄介だった。


「……フロム、とりあえず謎は解けた。ありがとう」

「珍しく殊勝に礼を言いおったな」

「まだ聞きたいことがあるからな。ミルカって、具体的に何ができるんだ?」


 フロムはめんどくさそうに息を吐いたが、そのうち諦めたように口を開いた。


「主な能力は、農作物を育てることじゃな。ミルカの祝福があった土地は、作物がよくとれる。それに腐ったりダメになった食材を食べられる状態まで少し『巻き戻す』こともできる」


 ミルカは眷属神であまり強くないため、巻き戻せる時間はわずか。獲れたてのように非常に美味い状態までは戻せないが、食中毒を起こさないレベルまでは持って行けるそうだ。


「……憑いた人間の料理の腕を上げる、なんて作用もあるのか? 俺が料理が好きなのも、もしかしてミルカの思考が反映されてたりするのか?」


 大翔は一番気になっていたことを聞いた。もしかしたら、今まで自分で努力して得たと思っていたものは、全てミルカのおかげだったのかもしれない。その思いは、大翔が時間をかけて作ってきた自信を砕こうとしていた。


「あるか、阿呆」


 しかしフロムはばっさりとその懸念を切って捨てる。


「妾を見てみよ。五大神であるこの身でさえ、小娘に力を押さえ込まれておったではないか。依代を使っている弊害でな、宿主の意識がまだはっきりある状態、体を明け渡していない状態でそやつが心底嫌だと思うことをさせることはできんのよ。いかに体がミルカと相性が良かったとはいえ、貴様の趣味趣向は神とは関係ない」


 ほっとした大翔に向かって、フロムはさらに続ける。


「まあ、フロムの中にはこちらの食材や料理の歴史が蓄積されておる。食べるだけで料理の作り方が分かるとか、高名な料理人の思念を読むとかそういったことはあるかもしれんがな」

「ルタン亭の台所で起こったのはそういうことだったのか……」

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