第15話 牛の串焼きとバーベキューソース
「いいですよ」
ちょうど最後に席についた客の肉が焼けたところだったので、
「……驚いた。本当に若いんだな」
目を見開きながらも、客は手を引かない。大翔は差し出された手を握り、軽く頭を下げる。
「美味かったよ。この年であの料理なら、将来が楽しみだ」
「必ずまた来るよ。今日はありがとう」
口々に熱っぽく礼を言われ、その上横に座っている客からも声をかけられて、大翔は十分ほど厨房に戻ることができなかった。ようやく一人になれた後、大翔は大きく息を吐く。
気分が高揚してしばらく落ち着かない。己の腕が通用するのかと疑っていた気持ちが、客の言葉ですうっとどこかへ行ってしまったようだ。やはり自分は料理が好きで、それで認められるのは嬉しいことなのだと実感する。
「よし、やるか」
大翔は気合いを入れて、新しい客に出す前菜の盛り付けにとりかかった。
それから浮かれている暇はなく、大翔はひたすら手を動かし続ける。最後の客が帰った時には、とっぷり夜が更けていた。
「お疲れ様」
「いやー、思った以上に盛況だった……」
食堂が静かになって、大翔たちが一息ついたのを見計らったように、イリアが入ってくる。
「あ、お帰りなさい」
「執筆と取材に夢中になってて、帰るのが遅くなってしまったわ。ごめんなさい」
黒いコート姿の彼女は、相変わらず背筋を伸ばしたまま言った。
「今日は食堂に客を入れてたから、イリアさんにはその方がよかったかもしれないねえ。食事はしたのかい?」
「……まだでした」
イリアはばつの悪そうな顔で返事する。
「今日はキノコのスープ、ジャーニニ、牛の串焼きとパンってメニューなんですけど、要りますか? また有料になりますけど」
「そうねえ、時間も遅いからジャーニニとキノコのスープだけいただけるかしら。また部屋に持ってきてもらえると助かるんだけど」
「分かりました」
彼女には昨日多めに払ってもらったので、千円分の銀貨を受け取って部屋に戻ってもらう。
「行ってきたー」
「おう、ごくろう」
戻ってきた灯の前に、大翔は温かいスープカップを置く。ポタージュが好きな灯は、今日は文句も言わずすすり始めた。大翔もそれにならって、カップに口をつける。
しっかり材料からとった出汁と、荒ごしのキノコの野生の旨み。それをミルクの優しさが包み込む、よくまとまったスープに出来上がっていた。これからこの地域は寒くなるというから、定期的に作ったら喜ばれるだろう。
「染みるねえ……」
ルタンもほっとした顔になっていた。その横で、灯はジャーニニに挑戦しようとしている。
「どうだ?」
野菜料理が苦手な灯にはどうかな、と大翔は思ったが、彼女はにっと笑って親指を立ててみせた。
「美味しい。中のナッツが香ばしくて、するするいける」
大翔が食べてみると、灯の言う通りだった。ナッツと香辛料の相性が良く、塩気と辛味のバランスが良い。最初はパンに塗っても美味しいのかなと思ったが、ペーストは茄子の水分と混じってちょうど良い感じになるよう計算されている。もし包むのをパンにするのなら、調味料の量を調整しなければならないだろう。
「さて、最後に肉か」
しばらく前に焼いて持ってきているので、少し冷めている。それでも良い肉だったので、そんなにカチカチにはなっていないはずだ。その証拠に、ルタンも問題なく噛み切っている。
「肉肉肉」
灯は夢中になってパンと肉をがっついている。彼女にとってバーベキューソースは懐かしい味だろうが、ルタンにとってはどうだろうか。このソースが唯一、ノートのレシピではなくアレンジ品なのだ。
「ソースはどうです?」
「……食べたことのない味だけど、甘味がきいてて美味しいね。ただ、私はもうちょっとさっぱりした方が好きだけど」
「なるほど」
大翔は腕組みした。醤油があれば、玉ねぎもどきと合わせて和風のさっぱりソースも作れたのだが、さすがにそれに似たものはなかった。今後、どこかで出会う機会はあるだろうか。もっとノートを読み込んでみよう、と大翔は思った。
「明日もやる? 食堂」
ふと我に返ると、灯がじっとこちらを見つめていた。今日の儲けは強気の価格も幸いして、三万円を超えている。正直、一週間暮らすだけなら十分な額だ。……だが、大翔は今日の高揚感を忘れられそうになかった。
「やろう。でも、ルタンさんが場所代を受け取ってくれるならだけど」
大翔が言うと、ルタンは目を丸くした。
「いいんだよ、そんなのは」
「でも、ちゃんとやるなら家賃は払わないと。俺、将来本気で店を持とうと思ってるので……そういうの有耶無耶にするの、苦手というか嫌というか」
結局、売り上げの二割をルタンに受け取ってもらうことになった。ルタンは一割もあればいいと言ったのだが、大翔が押し切った形である。これでタダで使わせてもらっているという負い目もなくなり、思いっきり料理ができる。
「……明日もやるなら、甘いものが食べたい」
「なるほど、デザート入りの献立もありだ」
大翔と灯の熱い掛け合いは、ルタンに早く寝ろとやんわり制されるまでしばらく続いた。
翌日も食堂は盛況だった。用意した二十人分はあっという間に売り切れ、徐々に人々が早くから行列を作るようになっていく。路地を行き交う人々の迷惑になるからと整列させたり、列に割り込む者がいないか時々見に行ったりという苦労はあったが、おおむねトラブルなく順調だった。
デザートを出してみたり、食べたこともなかった食材にチャレンジしてみたりと、大翔は色々と忙しかった。だから、灯に言われるまですっかり忘れていた。
「明日でここに来て一週間だな。ラシャは来るのか?」
「……そういえばそうだった」
灯はともかく、大翔はとても軍隊向きとは思えない。ルタンさえ許してくれるのであれば、ここでもうしばらく修行をしていたいくらいだった。しかし、そうなると灯は一人になってしまう。
どうすればいいのか、どう言われるのか、考えていると大翔の心は揺れる。その揺れを察したのか、気付くと灯は厨房からいなくなっていた。
「気を遣わせたな」
ため息をついて夕食に使う玉ねぎもどきを刻んでいると、再び食堂の方から足音がした。見ると、相変わらず黒一色の装いをした女性が入り口に立っている。
「イリアさん。何かありました?」
「いえ。私は明日発つから、今までのお礼を言っておこうと思って」
結局彼女は連日夕食をルタン亭でとっていて、大翔の料理を残すことは一度もなかった。だから料理を気に入ってくれているのは分かっていたのだが、彼女が頭を下げるのを見ると大翔は妙にどぎまぎする。
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