第12話 初めての客は謎の美女

「今、煮物に火を使ってるので……」

「なら、そっちに持っていくよ。おや、いい匂いだねえ」


 ルタンが湯気のたったマグカップを持ってくる。あかりも手持ちぶさたなのか、一緒についてきた。ふわりと動いた空気を吸い込んで、ルタンが言う。


「シチューかい?」

「はい。昨日食べた味をちょっと変えて作ってみました。具材も牛肉ですし。まあ、三人で食べるには作りすぎましたけどね」


 大翔ひろとが言うと、早くも灯がもの欲しげな顔になった。ルタンがその顔を見て吹き出す。


「あと一時間もすれば夕食が食べられるから、もうちょっと我慢しろ。アイス食べただろ」

「あれはもう溶けて液体になったので、ゼロキロカロリー」


 灯が屁理屈を言うので、大翔は派手に顔をしかめた。


「んなわけあるかい。腹ごなしに、宿の仕事でも手伝ってこい」


 ルタンがシーツを取り替えに行くというので、灯を一緒に追い出して、大翔は料理の仕上げに入った。フルーツと生ハムのサラダを盛り付けてドレッシングをかけ、パンを入れたバスケットを食卓の中央へ。そしてシチューの火を弱めて、二人がやってくるのを待った。


「大翔、できてる?」


 背後からぽてぽて足音がするので大翔が振り返ると、灯が立っていた。真面目に手伝っていたのか、ちょっと疲れた顔をしている。


「ああ。お仕事ゴクローサマ。シチュー、大盛りにしてやるよ」


 配膳されて灯が喜々として席についた時、ルタンも戻ってきた。大翔がシチューの皿を彼女の前に置くと、ぱっと少女のような顔になる。


「おやあ、これはスネ肉のシチューじゃないか。うちの人の、一番の得意料理だったんだよ」

「そりゃちょっと困ったな。批評はお手柔らかにお願いします」


 大翔は笑ってルタンの向かいに座った。灯は三人そろうなり、いただきます、と口早に言ってパンをシチューに浸して食べている。がっつきっぷりを見るに、味はそこそこ以上にうまくいっているようだ。


 大翔は自分でも食べてみた。トマト味をベースに、時々スパイスのぴりっとした刺激がある。濃いめの味がとろとろに溶けたすね肉に絡むと、思わず次の一口が欲しくなる美味さだった。初めて、かつレシピなしでここまでいけるとは、俺もなかなかいけるじゃないのと大翔は内心で自画自賛する。


「どうですか?」


 自信をつけた大翔はルタンの様子を見た。その瞬間、自分の顔から笑みがそぎ落とされたのを感じる。ルタンが涙ぐんでいたからだ。


「す、すみません!! マズかったら作り直します──」

「マズいもんかい……違うよ。これは、あんまりにも……あの人のレシピにそっくりでさ……」


 ルタンは時々鼻をすすりながら言う。それでも手を止めず、彼女はゆっくりとシチューを完食した。


「……もしかしたらあんた、想像以上に年寄りで、うちのシチューが好きだったりしたかい?」


 しばらくしてからルタンが笑ったので、ようやく大翔はほっとした。


「俺は十七ですよ。ご主人のシチューは食べてみたかったですが、その可能性はないですね」

「じゃあ、たまたま作った味が似ちまったってことかね。いやあ、長生きすると、神様も粋なことをなさるもんだ……」


 ぽつりとつぶやくルタンの腕を、灯が軽くたたく。


「おかわり、する?」


 その言葉を聞いて、ルタンはうなずく。


「サラダもちゃんと食べてないから、もう少しだけいただこうかね」


 灯がルタンに注いでやるのを見てから、大翔はその背中に声を投げた。


「灯、お前もサラダ全部食えよ。ただでさえ野菜少ない生活なんだからな」

「ぎく」


 なんだかんだ誤魔化そうと思っていたらしい灯がうろたえる。大翔は席に戻った彼女の口に、せっせとサラダを運んだ。


「メロンみたいなのと生ハムだから、そうマズくはないだろうが。せっかくもらった物なんだから、なんでも食えよ」

「ふむむ」


 四苦八苦した末になんとかサラダがなくなった頃、玄関を誰かがノックした。ルタンが扉を開けると、眉を八の字にした細身の男が立っている。


「リックじゃないか。どうしたんだい」

「おばちゃん、ごめん。今から一人泊めてやれないかな? うち、満室なのに若いのが間違えて予約を受け付けちまったんだよ」


 リックと呼ばれた男の背後に立っていたのは、きりっとした雰囲気の女性だった。色の薄い金髪を頭の後ろで一つにまとめて、ひっつめ髪にしているので教師のように見える。もっとおしゃれすればモデルみたいなのにな、と大翔は思った。


「部屋は空いてるけど、夕食はないよ。それでいいなら」

「……今、美味そうなもん食ってんじゃん。それ、もしかしておじさんのシチュー? いいなあ、久しぶりに俺も食いたい」


 リックがよだれを垂らしそうな顔をするので、大翔は苦笑した。


「これは俺が作ったまかないみたいなもんですよ。お客さんに出せるものじゃありませんって」


 そう言う大翔の前に、女性がすっと近付いてきた。彼女が興味深そうに皿を覗いたので、灯があわててそれを隠す。コントのような光景にルタンが笑っていると、女性が彼女の前に移動した。


「私、飲食店のように人が多いところが得意でなくて……お金を払いますから、このパンとシチューを夕食にいただけませんか? お願いします」


 そう言って彼女は、掌に銀貨を三枚並べて出す。全て一本線、三千円相当だ。それを見たルタンが、大翔の方を向いた。


「どうかね。出してやっちゃ? その料理の代金は、あんたが取って構わないからさ」

「え!?」


 大翔の心が動いた。今日の出費が一気にゼロに近付く額を提示されたのだ。これならもっといい浴場に通えるし、食材の幅も広がる。取り分の減る灯は不服を言うだろうが、彼女はすでに十分すぎるくらい食べている。


 しばし考えた末に、大翔はうなずいた。


「分かりました。人が苦手なら、お盆に盛って部屋までお持ちしましょうか? その方が落ち着くでしょう」

「本当? 嬉しいわ」

「食器は後で回収しますので、食べ終わったら外に出しておいてください」


 大翔の提案に女性は喜び、ルタンにずいぶん色をつけた宿泊料を支払った。金持ちなのには違いないが、宿帳には職業の記載がない。いったい何者なんだろうと大翔はいぶかった。


 鍵を受け取った彼女は、お盆を持った灯とともに、二階へ上がっていった。間もなく、手ぶらの灯が帰ってくる。


「お帰り。突然のことでびっくりしたろう。普段はフリの客なんて、そうないんだけどね」


 ルタンがねぎらうと、灯は素直にうなずいた。大翔はリックに聞く。


「彼女は何をしてる人なんですか?」

「あちこちを旅して、旅行記や詩を書いてるって言ってたよ。物書きにしとくにゃ勿体ない美貌だと思うけどねえ」

「……そしてもう一つ、なんでいつの間にかシチューをよそってるんですか?」


 大翔が灯に気をとられているわずかな間に、リックはちゃっかり湯気のたつ小鍋を手に入れていた。

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