第11話 ないはずの記憶
「半分くらいでいいだろ?」
「全部買って、冷蔵庫に入れておけばいいじゃないか」
「宿の冷蔵庫見たけど、あんまり冷えてなかったんだよな。今日食べる分だけにしといた方が無難だ」
結局半量ほどを購入し、包んでもらうのを待っていると、市場の奥から片足を引きずった男性がやってきた。
「やあ、アブーさん。今日は何にする?」
「スネ、まだあるかい」
自分たちと同じ部位の肉を買う男性を、
「じゃ、これで取ってくれ。ちょうどあるはずだから」
大翔はおいおい、と心の中でつっこんだ。しかし、店主は特に異論を唱えることなくそれを受け取る。男性がゆっくりと足を引きずって雑踏に消えていくのを見届けてから、
「さっきの人、なんであんなに安く買っていったんだ?」
灯の顔には、「自分たちにももっと肉をよこせ」と書いてある。そのあけすけさに苦笑しながら、店主が灯の顔をのぞきこんだ。
「あの人、傷痍軍人だからさ。胸元に金色のバッジがあるのが見えなかったかい?」
そういえば、男性の胸元に何か光る物があったような気がする。大翔は思い出しながら、まだ不満げな灯の襟元を引いた。
「すみません、不躾で。俺たち別の町から来たんで、割引のことを知らなくて」
「そうなのかい。まあ、割引は全部の店がやってることじゃないから。うちは先祖がイルマートにいたことがあってな。そこがシレールに攻められた時に、軍人さんたちに世話になったんだ」
その話を聞いた店主の祖父が軍属や傷痍軍人への割引を始め、孫の代まで続いているという。義理堅いことだ、と大翔は密かに感心した。日本にも自衛隊があったが、そこまでする店があるとは聞いたことがない。
「割引までするかは分からんが、俺たちは小さい頃から軍人さんには敬意を払えと言われて育ってきたからな。山のラインが入った金バッジをつけた人間を、粗末に扱う奴はそういないよ」
「なるほど」
大翔がうなずくと、店主はかすかに笑って灯を見た。
「そういうわけだ、嬢ちゃん。さすがに嬢ちゃんが軍属になるには十年早いかな」
灯は完全に子供扱いされていた。童顔なのは確かだが、さすがにこれにはプライドが傷ついたようで、彼女は口を尖らせる。
「軍属じゃないが、軍人の知り合いはいるぞ。ラシャって言うんだ」
灯がそう言うと、声の聞こえる範囲にいた人たちが一斉にこちらを振り返った。じっと見つめられて、大翔は気まずい気分になる。
「嬢ちゃん、本当かい?」
「金髪で背が高くて、ちょっと鼻につく感じのイケメンだったな。でも、悪い奴じゃなさそうだった」
灯が肉屋の店主にそう答えると、どっと場が沸いた。集まってきた人混みはさらに多くなって、壁のようになっている。
「そりゃ本物のラシャだ。あいつはここの出身でね、小さい頃はよくこの市場でいたずらしてくれたもんだよ。……それが今や少尉で、若手の出世頭っていうんだから大したもんだ」
「そうそう、マトシやハーシュの後ろにいつもくっついてたのにね」
「あいつも帰ってきてるのかい?」
大翔が、ラシャは仕事でどこかへ行ってしまったと言うと、人々はちょっとがっかりした様子だった。しかしすぐに気を取り直し、大翔が遠慮するのにも構わず色々「おまけ」を渡してくれる。結局灯が欲しがっていたフルーツまでたくさんもらってしまい、大翔は恐縮しきりで市場を出た。
「ラシャっていい奴なのかもな」
灯が戦利品を掲げ、ほくほく顔でつぶやく。少なくとも、地元でとても信頼され、かわいがられている人だということは大翔にも分かった。……だからといって、無条件でこちらにも優しいと断じることはできないのだが。
「私はこの町、気に入ったぞ。食べ物もたくさんあるし、通りも綺麗で強盗なんかもいなさそうだしな。異世界ものって、時々すごい場所に飛ばされたりするだろ?」
「まあ、アニメや漫画だと、いきなり奴隷にされたり襲われたりってのはよくあるわな。でも、油断するなよ」
灯に釘を刺しつつ、大翔も少しほっとしているのも事実だった。そこそこの文明レベルがあって、友好的な人がいる世界に来られたのは本当に幸運だったと思う。
……本当にこんな調子で、戦場に適応できるようになるのだろうか。大翔は宿に向かって走り出す灯の背中を見ながら、小さく息をついた。
「まあまあ、大荷物じゃないか。さっさと下ろしてしまいなさいよ」
宿の玄関をくぐると、ちょうど宿帳をつけていたルタンが驚いて声をあげた。彼女は、灯に温かいお茶を分けてくれる。大翔は夕飯の支度をしてしまいたかったので、誘いを断って厨房に入った。
パンは切ってバスケットに入れておけば問題ない。まず先に煮込みに取りかかることにした。薪から火を起こすのかと思ったが、つまみつきのガスこんろだったので心底ほっとする。
油は厨房にあるものを借り、寸胴鍋にそれを投入してから刻んだ玉ねぎとジャガイモもどきを軽く炒める。それから水と牛肉、刻んだトマトもどきを入れて煮立たさせる。
「問題はここからの味付けなんだよな……」
少しスネ肉から出汁は出ると思うが、それだけではあまりに物足りない。昨日食べたような、ちょっとぴりっとした風味のシチューにしたいのだが、何を入れたらいいのだろうか。
大翔がそう考えた、次の瞬間だった。脳内に電流が走り、動画が再生されるように画像が次々と浮かび上がってくる。初老の男が、背筋を伸ばして塩やいくつかのスパイスをつまみ取り、唐辛子も入れている。
大翔の手は、自然に老人の真似をしていた。そして、最後に彼がなにやらペースト状のものを入れたことに気付く。通常なら赤くてどろっとしたもの、とくらいしか分からないはずなのに、どうやってそれを作ったのかも自然と分かった。
「……なんでだ?」
大翔がつぶやいたのは、トマトもどきを刻んで煮詰めたペーストを鍋に投入した後だった。今の動きは自分で動いたというより、動かされたといった感じだった。そう、灯が言う、意識はあるのに、自分の体ではないような感じ。
「俺にも何か憑いてるのか……まさかな」
スパイスのスープやトマトシチューなら作ったことがあるから、きっとその記憶が出てきただけだろう。灯にフロムがくっついているから、自分にも変な余波があるのかもしれない。大翔はそう割り切って、サラダの製作に乗り出すことにした。
「そんなに根を詰めないで、少し休んだらどうだい」
入り口の方から、ルタンの声がした。
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