第10話 異世界浴場
「なんだい。ラシャの坊やもケチだねえ」
「いえ、突然押しかけて宿まで手配してもらったんですから……もらいすぎなくらいですよ」
「そういうことならいいよ、好きに使っておくれ。ただし、火の始末だけはしっかりやっておくこと」
「ありがとうございます」
これで生活の目処はついた。
「今日はどこへ行くの?」
「鍋を返したら、最初は浴場かな。さっぱりしてから、市場で食材買って戻ろう。たぶんしばらく肉料理が続くと思うけど、構わないだろ?」
「うん。大翔の料理の腕、信用してる」
会話をしながら、大翔は行き交う人々を見つめる。彼らの顔立ちはいずれも彫りが深く目鼻立ちがはっきりしていて、西洋人かアラブの血が入っているように感じられた。紫とか緑とか、非常に奇妙な髪や肌色をした人間はいないので、そのことに関してはほっとする。
定期的に街角に現れる丸い屋根の入り口の横には川が流れていて、もう少し温かければさぞ気持ちが良かっただろうと思う。灯は川を覗いて、魚が見えないことにがっかりしていた。いたら焼いて食べたかったという感性が、日本人だなあと大翔は思う。
「ここかな」
昨夜の店を後にして歩いているうちに、言われていた浴場に到着した。煉瓦造りの門扉の上には、大きな文字で「浴場」と書かれた看板がかかっている。名前が間違いないことを確認し安堵してから──大翔は驚愕した。
「それにしても……どうして、外国の文字が読めるんだ?」
大翔は英語なら少し理解できる程度で、そんなに外国語に堪能というわけではない。フロムの故郷で、同じ世界すら疑わしい国の文字がすんなり読めるとはとても思えなかった。
「大翔、どうした?」
浴場に足を向けていた灯が振り返る。それを見て取った大翔は、黙って浴場へ歩を進める。この不可解な現象、また不思議な夢のことは、また仮説を立ててからフロムに聞いてやろうと決めた。
入ってみると灰色の壁と床が広がる空間で、受付のカウンターには、「何が楽しくて生きているか分からない」と言いそうなほどまでに無愛想な女性が一人だけ座っていた。
「あの、男女ひとりずつ……」
話しかけても、彼女は指で黙ってカウンターをたたくだけ。金を払え、ということなのだろうか。確か、ルタンが一人五百円ほどで入れると言っていたな、と大翔は思い出す。
大翔が一本線の銀貨を出すと、受付の女性はしげしげとそれを見てうなずいた。そして大翔には緑の、灯には赤のチケットを渡してくる。
「男は右。女は左」
「はい」
口答えする気力もなく、大翔は灯と別れて右の階段を下った。通路は客が通るところだというのに雑然としている。突き当たりの扉の前にまたカウンターがあり、そこにいるこれまた無愛想な中年男性にチケットを渡すと、無言で番号札のついた小さな鍵をくれた。
扉をくぐると、壁際に小さなロッカーが並んでいる。客は数人居たが、大翔をちらっと見るとすぐに目をそらした。
「なるほど、ロッカーの鍵か」
大翔は小声でささやいて、渡された番号のロッカーを開ける。タオルが入っていたのでそれを上にして、荷物を押し込んだ。
浴場に入ると、そこは青と白の細かいタイルがびっしり敷きつめられた、なかなかきれいな空間だった。中央部分に太いパイプが通っていて、そこからお湯が落ちてきていてシャワーのように温泉を浴びられる。なかなか豪快で、髪と体を洗うととても気持ちが良かった。
しかし肝心の浴槽はびっくりするほど小さい。数人入ればいっぱいになってしまうほどの大きさで、地元民とおぼしきむくつけき男性でミチミチに詰まっていた。
彼らの体毛に触れてスキンシップするつもりにはなれなかったので、大翔は諦めて外へ出る。ドライヤーなんてものはないので、できるだけタオルで入念に頭を拭いて一階へ戻った。
驚いたことに、灯の方が先に出て待っていた。足音に気付いてこちらを見た灯は、心なしかむっつりして見えた。
「よう。女湯も浴槽が小さかったか?」
「……男湯、浴槽あったのか!?」
聞けば、女湯にはシャワーだけで浴槽がなかったという。そのかわりサウナが広かったそうだが、浴槽に入るのをかなり楽しみにしていた灯はぷりぷりしていた。
「まあ、機嫌直せよ。市場で美味い物買おうぜ」
そう言って街道を北の方、新市街の方へ向かってしばらく歩く。幸い道の途中にアイスクリーム屋があったので、大翔が買ってやると灯は機嫌を直した。これで残金、二万八千七百円。だいたい二日に一回に風呂に入る金を残すとすると、二万五千円くらいが食費となる。
「ここか……」
市場に近づくに従って人が増えて活気が出てきて、到着するとそれは最高潮に達した。市場はだいたい学校の体育館くらいのスペースを区切ってそこに屋根をかけたような簡易な作りで、その中にお祭りの屋台のような商店たちがひしめいている。
売ろうとする店主の声に値切る客の声、物持ちをする子供の足音、そして時折聞こえる犬の鳴き声。わんわんとかしましいその音たちは奇妙な合唱曲のようにまとまっていて、大翔には不快に聞こえなかった。
「大翔、フルーツがある!」
灯も明るい顔になって駆け出す。道まで溢れそうに積み重ねられた果物の屋台からは甘い匂いがしていたが、大翔は灯をそこから引き離した。
「買ってくれ」
「悪いが予算がないんでな。日持ちのする野菜とパン、最低限の肉。これが今日の買い物だ。フルーツは当分お預け」
「ケチ! あんな子供だって買ってるぞ!」
「うちはうち、よそはよそ!」
駄々をこねる子供とその母親のようなことをいいながら、大翔は広い市場を歩く。だいたい数店舗見回って価格を確認してから、玉ねぎとジャガイモに似た野菜を購入した。どのジャンルの料理でも、この二つがあればだいたい何か作れるものだ。後は安売りしていたちょっと固いトマトのような野菜も買う。
パンは日本と違って、丸くて平たい形で売られている。店主がせっせと釜から新しいものを出していくのが側から売れていくので、大翔もまだ温かいものを買うことができた。さらに驚いたのは、パンが一個五十円程度だったことだ。
「さて、後は肉だな……」
本日のメインイベント。日割りした代金で計算すると、あと二千円くらい使えることになる。塊肉をごろごろ置いている肉屋ばかりで賞味期限なんて書いていないので、大翔はできるだけ地元の人たちが訪れている一店を選んだ。
「いらっしゃい。何にするね?」
しっかりした口ひげを生やした肉屋の店主が、声をかけてくる。
「……煮込みにしようかと思ってるんですが。おすすめの部位はありますか?」
「さっと作りたいならロース肉がいいかな。時間がかかっても安くあげたいならスネ肉がおすすめだ」
「じゃあ、スネ肉をこれで買えるだけください」
大翔が銀貨と銅貨を出すと、店主は結構な重さの肉を計ってくれた。重さを聞くと、三キロ近くあったのでさすがに驚く。
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