第9話 異世界のお金事情

「ごちそうさまー……」


 あかりは食べ終わるとまた沈没してしまった。大翔ひろとは苦笑しながら、厨房で皿と鍋を洗うのを手伝う。


 家の奥にある厨房は、洗い場も作業台も広く、大きな釜やこんろの姿も見える。人員さえいれば十分に店としてやっていける設備は、主もおらず大半がそのまま放置されていた。


「今日行った店の場所は分かるかな。私は明日仕事だから、鍋を返しておいてほしいんだけど」

「あ、大丈夫だと思います」


 並んで皿を洗っていたラシャに聞かれて、大翔はうなずいた。全て洗い終えて片付けを終えると、ラシャは「当面の食費だよ」と言って、小さな財布を丸ごと渡してくれる。中には、様々な紋様が刻まれた銀貨や銅貨が入っていた。


「色々根回しがあるから、一週間くらいはここにいてもらうことになると思う。その間、やりくりしながら使ってくれ。彼女が大食漢だと大変だろうけどね」

「ありがとうございます」


 礼を言って受け取り、大翔はラシャとそこで別れた。眠ってしまった灯を背負って部屋に戻し、ベッドの背にもたせかけるようにして座らせる。


「フロム、大事なことなんだ。ちょっと聞かせてくれ」

「なんじゃ。神をそんなに何度も呼びつけるものではないぞ」

「今後の食生活に影響することだから真面目にやってくれ。さっきのラシャって奴に食費としてこれだけ金をもらったんだが、日本円に換算するとどれくらいか教えて欲しいんだよ」


 硬貨を目前で広げてみせると、灯の本体がうっすらと目を開いた。


「ふむ、そうじゃな。物価を考慮すると、全額で三万円といったところかの。まあ、あまり高いものを買わねばしばらく保つのではないか」


 銀貨の表面に装飾入りの線が引っ張ってあり、それは最大で五本。五本線の銀貨がだいたい五千円相当だという。その後、線が一本減るごとに、千円ずつ価格が落ちる仕組みらしい。


 銅貨も線の仕組みは同じだが、一つ桁が下がって五本線で五百円相当となる。十円や一円単位の細かい硬貨は、鉛を使ったもっと小さな硬貨になるのだとフロムは言った。


「だいたい食材の値段は日本と一緒くらいか? 米があるって感じの土地じゃないけどさ」

「この辺りは穀物がよう取れるし畜産も盛んじゃから、小麦や肉類は日本より安価になる。逆にわざわざ運んでこないといかん魚介類は、干し物であってもかなり高価じゃから避けた方がよかろうな」

「なるほど」


 大翔は記憶をたどる。確かさっきの支払いの時、フロムが出していた銀貨の表面には、線が三本入っていた。わりと大きめの鍋二つで三千円くらいと考えれば、あの店は良心的な値段だったと思える。


「それでも、一食三千円すっ飛んでいくとなると、一週間もたせるのはきっついな」


 大翔はため息をついた。朝だけは宿で出してもらえるが、一日六千円も浪費していてはとてもじゃないが保たない。もっと安い店を見つけるか、さもなくば自炊するか。日雇いなどで雇ってもらえるなら、働かないといけないかもしれない。


「どっちみち、明日は風呂に入りたいからなあ。町に行くついでに、食材の値段も見てこよう」

「頑張れよ、料理番。妾の体を飢えさせるでないぞ」


 フロムはくくっと低く唸ると、静かになった。大翔はため息をついて灯の体を横たえ、上掛けをかぶせる。そして自分もその横に滑り込んだ。


 うとうとしている、という自覚があったのは数分のこと。大翔はすぐに眠りに落ちていった。


 そして、夢を見た。自分がたくさんの食材や香辛料に囲まれて、そこから特定の数種類を選び出している様子が、映画のように脳裏に浮かんでくる。しばし手を動かした後に、作り上げていたのは今日食べた豆のシチューとヒンカだった。


 できた料理は、プロが作ったものと遜色ない出来だ。しかしそれを目にした夢の中の大翔は、不満そうに唸っている。


「もう少し……もう少し、テルース様の依代好みの味にならないかな」


 何故灯でなく、テルースとかいう知らない奴の機嫌をうかがっているのか。それが分からず、大翔は夢の中の分身をじっと見つめた。すると分身が、晴れた日の太陽を思わせるような黄色い瞳をしていることに気づく。


「誰だ、お前は……?」


 自分であって自分でないものが料理をしている。その様子が不気味で、大翔は混乱して首を振った。視界は暗く閉ざされたが、夢の中の「誰か」が低くつぶやく声だけはずっと聞こえてくる。


 もうやめろ。やめろ。しゃべるな。


「──やめろ!!」


 大翔が叫ぶと同時に、目が覚めた。現実世界では声を出していなかったようで、横にいる灯はすやすや眠っている。再び崩れるように寝床に入りながら、大翔は長く息を吐いた。


「灯に続いて、今度は俺か?」


 つぶやいてから、そんなことがあるはずがないと思い直す。きっと知らず知らずの間に灯の変身に憧れている部分があって、それが夢でちょっと叶った様に見えた、それだけのことだ。


 そう言い聞かせ続けていると、やがて目に映る風景がぼやけていき、今度こそ大翔は夢も見ずに深く眠った。




「……おはよう」


 次の日の朝、大翔は灯に揺すり起こされた。あれから相当深く眠ったらしく、大翔は外から入ってくる陽光が強くなっていることに驚く。早くても朝の九時は回っているのではないだろうか。


「早く朝食を食べないと、ルタンが片付けられない」

「ああ、すまん」


 大翔が起き上がると、枕元に着替えが一式置いてあった。上衣の胸元に異様に小さなポケットがついているが、それ以外は普通だ。下衣は普通のパンツスタイルで、それに非常に丈が長いTシャツのような上衣を重ねて着る。そして腰のところに装飾のはいったベルトを締めれば完成だ。布は毛織物で、薄手に見えて結構温かい。出かけることを見越してか、小さな肩掛けの鞄までつけてあった。


「ルタンの旦那さんの。若い頃の服だって」


 そう言う灯の服は、長袖のロングワンピースに近いつくりだ。服自体に装飾はほとんどないが、男性のベルトのかわりに胸元に大きな木彫りのネックレスをつけている。


「そっちはルタンさんのやつか」

「うん、そうみたい。同じ服を着てるのを見て、出してきてくれた」

「そうか、洗い替えもないからな……大事なものを貸してもらったんだな。世話になりっぱなしで悪い気がする……」


 頭をかきながら下に降りると、すでに食卓の上に皿が並んでいた。全粒粉のパンの横には、自家製らしい赤い果実のジャムが添えられている。


「おや、よく似合うじゃないか」

「服まで貸していただいて、ありがとうございます」

「構わないよ。着てもらえて服も喜ぶさ」


 厨房から顔を出したルタンが笑った。彼女はまたすぐに奥に消え、しばらく経つと大きなオムレツの載った皿を持って戻ってくる。


「さ、若いのはいっぱい食べな」


 オムレツをナイフで割ると、ふわふわとした卵の中に刻んだ芋とベーコンのような肉が入っている。塩気と甘味のバランスがよくて、大翔はわしわしと食べた。少し残して、パンと一緒に食べてもまた美味しい。


「ごちそうさまでした。皿は自分で洗います」

「そうかい? そうしてくれると助かるよ」

「あと、ご相談なんですが……少し自炊をしたいので、厨房をお借りしてもいいですか?」


 大翔は恥をしのんで、ルタンに懐事情を打ち明けた。

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