第7話 古都リシテア

「ありがとうございます……えっと」

「ラシャ・ベリーエフと申します。ラシャとお呼び下さい」


 フロムを意識しているのか、ラシャ少尉の態度は常に丁寧なものだった。表面的なものだということは分かっているが、異世界で心がささくれ立っている大翔ひろとの心にはありがたい。だが、どうにも座りが悪い思いにもなるのだった。


「ラシャさん。リシテアってどんな町ですか?」

「陸路交通の要衝である大きな町ですよ。人口は現在、八十万人弱。歴史も古く、二千年近く首都として栄えてきました。まあ、途中で首都が移動したこともあったんですが」


 ラシャはそう言って、林を抜けた先にあった小高い丘の上で足を止める。左手側には大きな尖塔のついた教会らしき建物と、無骨な四角形に近い要塞の姿が見えた。その建物を背に、ラシャは右手に向かってどんどん歩いていく。


「お疲れでしょうから、空中車で一気に町まで降りましょう」


 ラシャが指さす先には、太い柱と、それを繋ぐように張り渡された丈夫そうな対のロープ、そしてロープにぶら下がっている小型の車両が見えた。ロープをつたうようにして登ってくる車体を見て、あかりがぽつりとつぶやく。


「ロープウェイだ」


 大翔がうなずくと、灯は小声でさらに続ける。


「結構文明レベルが高い世界みたいだな」

「そうとは限らないけど。元の世界では、十五世紀頃にはもう水力や重力、風車なんかを利用して移動してたみたいだしな」


 大翔はそう言いながら、ちらっと操作室らしき小屋を見る。この世界での動力は何なのか分からない。もし電気や石油由来のエネルギーを使用しているなら、灯の言うことの方が当たっていることになるが。


「準備ができました。乗って下さい」


 ラシャが丸っこい車体を止めて、待ってくれている。乗り込むと車体の中は意外と広く、大人四人分の座席があった。大翔と灯は、手を繋いだまま隣り合って座る。赤い布張りの座席はそうクッションがきいているとはいえないが、山道を上り下りすると思えば楽なものだ。


 乗り込んで扉が閉まると、ロープウェイはゆっくりと動き出した。暗く沈み始めた夜の空の中に、ぽつりぽつりと橙色の光が浮かび上がる。空に浮かぶ星のようなその光景を見ていると、結構な規模の町というのは間違いないようだった。


「リシテアは新市街と旧市街に分かれていてどちらにもそれぞれの美しさがあります。建物の色彩も鮮やかなのですが、この時間だとほとんど見えませんね」


 大翔の向かいに座っていたラシャがつぶやく。乗っていた時間はせいぜい五分くらいのもので、すぐに下の乗り場に着いた。車体を降りるやいなや、大翔はかいだことのあるにおいを感じ取って顔をしかめる。


「硫黄の匂いだ。ということは……ラシャさん、ここって温泉街なんですか?」

「おや、ご存じでしたか」


 ここはリシテア旧市街の南側に位置する区域で、昔から良質な温泉が湧くことで有名な土地だそうだ。大小様々な公衆浴場があり、毎日通う住民も少なくないという。


「温泉の効果に驚いた王が、首都をこちらに移したなんていう逸話もあるんですよ。さすがにそれは後世の作り話でしょうけど」


 ラシャはそう言って苦笑する。


 町を歩いて行くと、時折地面に丸いドームと煙突がついている場所があることに気付く。灯がこわごわとそれを覗きこんでいると、何人かがドームの横にある入り口へ消えていった。


「どこに行ったんだ、あいつら?」

「温泉ですよ。あの丸屋根の地下が浴場になっていて、皆がそこに入るんです」


 ラシャの説明を聞いて、大翔は納得した。なんでこんなに低いところにドームがあるのか、不思議に思っていたのだ。個室の浴場と大浴場があり、やはり個室の方が高価なようである。


 目抜き通りには風呂上がりとおぼしき上気した顔の人々が行き交い、明るい硝子窓の中には美味しそうな料理やビールに似た酒を口にしている人々がうつっている。ごったがえす通りを抜け一本奥の通りに入ると、比較的小さな家が建ち並ぶ。戸口に時々看板を掲げている家があって、そこは何らかの商売をしているところなのだろうと見て取れた。


 そのうちの一つ、古びた飴色の木扉の前でラシャは足を止める。彼がノックすると、内側から扉が開いて、人の良さそうな小柄な老婆が顔を出した。


「おや、ラシャ坊やじゃないか。言ってたお客っていうのはその人たちかね?」

「そうですよ。しかし、いい加減ベリーエフ少尉と呼んでもらえないですかねえ、ルタンさん」

「あたしにとっちゃあんたは、いつまでたっても仲間とうちの窓硝子割ってた悪ガキだよ。さ、お客さんたち。寒くなってきたからさっさとお上がり」


 大翔たちは手招きする老婆に従い、ラシャと一緒に宿の扉をくぐった。白い石で作られた壁と床がまず見えて、次に受付らしきカウンターと、どっしりした椅子と机があるのが分かった。


「客室は二階の一番左奥だよ。二人でひと部屋を使っておくれ。風呂はないから、入りたければ公衆浴場を使うこと。そうそう、便所は一階だよ」


 説明を聞いて大翔はうなずく。部屋の手前側にある小さな扉が便所なのはすぐ分かったが、扉は奥にももう一つあった。


「あっちはなんですか?」

「厨房さ。朝食は宿泊料金の中に入ってる。夜は使ってないから、外で好きに食べとくれ」


 そこでちょっとルタンは寂しそうな顔になった。


「……爺さんが生きてた時は夕食も作ってたんだけど。あたし一人じゃ調理はけっこう重労働だし、たまに手伝いに来る娘はいくら教えても料理が下手くそでね。そういうわけで、悪いけど頼むよ」

「分かりました」


 返事をして、大翔はルタンから部屋の鍵を受け取る。二階にあがっていくと、思ったより広々した廊下が目の前にあった。その両側に扉が三つずつついている。大翔は言われた通り、一番左奥のドアの鍵を開けた。


 部屋の洋燈はついていた。オートロックなんてものはないので、内側からしっかり鍵をかける。


 振り返ってみると部屋は一般的なビジネスホテルのダブルルームより少し広いくらいだった。壁際には戸棚と書き物机があり、大きめのベッドが部屋の中央にでんと鎮座している。古びていたがシーツはきちんと洗濯された清潔なもので、顔を近づけてみるとわずかに石けんの匂いがした。


「つかれた……」


 灯はぽすんとベッドに大の字で横たわると、そのまま動かなくなってしまった。しばらくすると、かすかに寝息が聞こえてくる。大翔はその姿を見ながら、こり固まっていた肩をほぐした。


「しばらく寝かせてやるか……」

「おや、寝込みを襲ったりはせんのか」


 不意にフロムの声が聞こえてきて、大翔はびくっと肩を震わせた。相変わらず灯の目は閉じているのだが、その口だけが腹話術の人形のようにぴくぴくと動いている。


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