第6話 見敵必殺

「……神の思考は私たちには及びもつきませんが。何故そうしたのか、聞かせていただいても?」


 少尉がやや固い顔になって言った。それを聞いたフロムはわずかに目をすがめる。


「どちらも兵士としては甘ったれておったからよ。本当ならば殺すところだがな。見たところ今は訓練中のようだから、耳だけで勘弁してやった。妾の寛大さに感謝するがよいぞ」

「甘ったれ……」


 呆然としているように見える少尉の耳元で、フロムがささやいた。


「はん、分かっておるくせにとぼけるな。妾がこれを引き受けてやったことに、内心感謝しておるのだろ」


 少尉はそれを聞くと、低い笑いを漏らして引き下がった。二人の間で何らかの意思疎通があったことは大翔にも分かったが、これで終わりとされては到底納得できない。あかりの体を使ってあんな無体を働いたフロムに、せめてその理由を聞いてみたいと思った。


「あ、甘ったれってどういうことだよ。ただの喧嘩で、耳まで切るなんてやりすぎだろ!」


 叫んだ大翔ひろとを、フロムは困ったような顔で見やった。


「戦場には戦場の都合があってな。一旦戦闘が始まればそこは殺し合いの場、中途半端な喧嘩をしている余裕などない。兵士たるもの、戦場で戦意ある者と相対すれば、誰であっても必ず殺さねばならん。殺したくない、殺されたくないというのなら、そもそも一瞬たりとも戦意など見せてはならぬ。なのにこいつらの体たらくはなんじゃ」


 フロムはそう言って、まずタリスの方を指さした。


「貴様は取り押さえまでしておきながら、殺さずグズグズと周囲が仲裁してくれるのを待っていたな。途中でまずいことをしたと思ったか? それを動く前に気付けぬというのは、無能の証拠というやつよ」


 理論の業火でタリスを切って捨て、返す刃でフロムはゼノクを見る。


「貴様も情けないな。見たところ、腕に小さな隠し刀は持っていた様子。このタリスがグズグズしていたのだから、殺す機会などいくらでもあった。それなのにいつまでも殺さなかったのは、貴様もいつか仲裁が入って喧嘩が終わると思っていたのだろう? 甘えと言うほかない」


 フロムの厳しい言葉に、取り巻いている兵士たちは言葉もない。戦場を知らない大翔もそれ以上言い返すことはできなかった。


「他の者に申し伝えておくぞ。軍というのは斯様な場所じゃ、兵というのはそういうものじゃ。あくまで平時は刃を隠し、一旦動いたならばその刃で必ず相手を殺せ。誰であってもだ。中途半端はまかりならぬ。良いな」

「はっ……」


 その場にいる少尉以外の者たちが、次々と頭を垂れた。黙ってそれを聞いていた少尉は、しばらくしてからこう切り出す。


「フロム様のおっしゃること至極ごもっとも。逆らうつもりは毛頭無し。しかし、明らかに限度を超えた中傷が戦を終えても続く場合、私はしかるべき処置をとる。相手がいつまでも喧嘩をしないと思って余裕ぶっている者には、後日厳しい処置が下ることもあることを覚えておくように」

「はっ!」

「では、ゼノク、タリス両名を拘束せよ。本日の訓練はここまでとし、一旦町へ帰還する」


 その一言で再び場が引き締まり、兵たちは各々動き始めた。そのざわつきの中で、大翔はただ言葉もなく、フロムを見つめていた。


「……そんなに見つめなくても、灯って女にちゃんと体を返してやるさ。だがね、あんたには知っておいてほしかった」


 フロムはまっすぐな目で大翔を見た。彼女が少し構えた様子をしているのが意外で、大翔も思わず背筋を伸ばす。


「灯が敵を殺してしまうのは、妾の力を制御できていないせいだと思っていたかい?」


 大翔はその問いに、素直にうなずいた。


「半分はそうじゃ。あちらの世界にいると、妾の力はひどく不安定になって手加減がしにくくなる。しかし、もう半分は妾の元からの性分だ。分かるな」

「……敵意を見せた相手は、必ず殺すっていう」


 それを聞いたフロムはにやりと笑った。


「ああ、そうだ。その条件は全ての人間に適用される。あの娘の精神が乱れて、憑いている妾が出てくれば貴様とて例外ではない」


 フロムはそう言って、大翔の全身をなめ回すように見る。


「ゆめゆめ、妾をあの女だと思って油断するなよ。気をつけてものを言え」


 その冷たい瞳で見つめられて、大翔の拍動が一気に跳ね上がる。周囲で騒がしく行軍の準備をしている少尉たちの声が、しばしかき消える。全身から吹き上げてくる冷たい汗を感じながら、大翔はフロムの言葉に黙ってうなずくしかなかった。




 町へ戻るという行軍は、思ったより楽なものだった。起伏がきついところもあるし獣道だが、歩き慣れた集団の中にいると余計な気を配らなくても済むからだ。闇に沈もうとする空の向こうには天を衝くほど高い山が見え、ビルのような高層建築がある様子はない。


 フロムは嘘をつかなかった。しばらくすると赤い髪も長い爪もさっぱりと消え、灯は元の姿に戻った。しかし今にも吐きそうな、気分の悪そうな顔をしている。


「もしかして、さっきのことを覚えてるのか?」


 歩きながら大翔が問うと、灯は無言でうなずく。二人の耳をかき切った爪を、こわごわと眺めていた。


「……フロム、だっけ。私の中にいるの」

「ああ」

「彼女が言った言葉も全部聞いた。それがきっと、戦場の常識なんだろうな。現代日本で生きてきた私たちがのほほんとしてただけで、ここがどこか分からないけど、しばらく過ごすにはこういう価値観にも慣れていかないといけないんだろう」


 目を付せる灯を見て、大翔はため息をついた。


「……でもちょっとキツいんだろ? いくら意識を乗っ取ってるのはフロムでも、実際にやるのはお前の体だもんな」


 答えが的を射ていたのは、灯が無言になったことですぐに分かった。大翔は目で少尉の背中を追いながら、ゆっくり口を開く。


「すぐには思いつかないけど、一緒に考えるよ。お前が少しでも楽になる方法」

「うん」


 灯の小さな手を、大翔は握った。最近はこうすると子供扱いするなと怒ったものだが、すんなり握らせてくれる。だいぶ彼女が精神的にまいっている証拠だった。


「もうすぐ我がデイトの首都、リシテアの町です」


 話が切れたのを見計らって、少尉が話しかけてきた。


「今晩はとりあえず、私の知り合いの宿にお連れします。そこで処遇が決まるまでゆっくりお休みください」

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