第5話 神なるものの裁定

「……小さき者よ。ここは我らの生まれた世界じゃ。少しは抑制が利く」


 大翔ひろとの心配を予測したようにまたあかりもどきが言った。彼女の中にいる何かを恨めしく思いつつも、大翔はそれに頼るしかないのだと悟っていた。


「神だと?」

「さよう。五大神が一柱、赤炎のフロムを忘れたとは言うまい。今はこの小娘を現世の依代とし、窮屈ではあるが生存しておる。全ては、貴様らデイトの民がシレールにいいようにされているせいなのだがな」


 灯が毒づくたびに、知らない単語が口から紡がれていく。大翔にはさっぱり意味が分からなかったが、少尉と呼ばれた若い男の顔には動揺が広がり始めた。


「フロム神……まさか、いや、だがその赤い瞳と髪は伝承の通り……」


 少尉は少し迷っている様子だった。しかしすぐに、皮肉げな表情に戻る。


「いや、髪と瞳くらいなら伝聞でどうとでもなろう。神を語って、我々を煙に巻こうとしているのか。……やはり貴様、シレールの」

「素直に受け取れば良いのに、疑り深い男じゃの。ふーむ、どうしたものか……」


 少尉と灯の間に、緊迫した空気が流れた。実力者同士がにらみ合う中、大翔や後ろの兵たちは嘴をはさめずただ黙っている。


 その沈黙を切り裂いたのは、林の中を駆けてくる足音だった。


「通信か。何があった」


 正面を向いたまま聞く少尉に、やってきた兵は少し怯えた口調で言った。


「……第三班内で、チオキ人とデイト人の兵が諍いを起こしています。班長がなだめていますが両名全く引かず、少尉のお出ましを願うしかなさそうな状況で」


 それを聞いた少尉は舌打ちした。


「起こるだろうと思っていたが、思ったより早かったな。分かった、俺が行く。お前たちはこの二人を拘束し、本部に送っておけ」

「はっ」


 林の中から兵士たちが出てきた。いきなり伸ばされた腕に大翔は一瞬怖じけたが、先に悲鳴をあげたのは手を出してきた兵士の方だった。


「な、なんだこれは!」


 兵士の手をねじり上げているのは、紐状になった細い炎だった。灯の髪から生じたそれはみるみる長くなって、兵士の全身をぐるぐる巻きにして放り出す。その様子を見て、他の取り巻きたちが目を丸くした。


「最初からこうしておけば良かったかもしれんの。さて、得心がいったか?」


 灯の体を使っているフロム、という女がうそぶいた。少尉は地面に転がった男と、灯の顔を見比べる。そしてしばしの沈黙の後に片膝をつき、深く頭を垂れた。


「フロム神、大変失礼をばいたしました。神殿を奪われたのみならず、疑いを向けるとはあってはならぬことを」

「分かればよろしい。……すまぬついでに、一つ取引といかぬか。我が依代とその連れは、故あって違う場所から妾が連れてきてしまった。この国に居場所がないのだ。二人の戸籍と居場所を、どうにか用意できぬか」

「軍内部にかけあってみなければ。戸籍はすぐには確約できませんが、宿で休んでいただくことならば私の伝手で何とかなるでしょう」

「よろし。その礼として、さっきの喧嘩を妾が仲裁してやるとしよう。連れに、妾がどういう性分か見せてやるにもよい機会ゆえな」

「それは隊を預かる私の仕事で……」

「お主、デイト人であろ。下手なことを言うと、部隊内に遺恨を残すぞ。分かったら黙っておれ」


 勝手に話が進んでいくのを見てとって、思わず大翔は後ずさった。やめてくれ、と小さく言ったが、完全に灯を乗っ取ったフロムは聞く耳を持たない。自分より小柄な彼女に引き立てられ、少尉たちの後をついていく羽目になった。


 十分ほど細い獣道を歩くと、林を抜けて沼地に出た。ぐちゃぐちゃとした泥で地面が埋まってはいたが、これまでに比べると平坦な地面が広がっている。その地面に、大柄な男が仰向けの状態で引き倒されていた。


 倒れた男の上にのしかかっている男も、負けず劣らず体が大きい。少し浅黒い肌をした彼の年は三十前後、組み敷かれた男は白い肌のせいもあって、もう少し若く見えた。


 二人とも何か覚悟を決めたような険しい顔をして、殴り合った形跡のある互いのボコボコになった顔を見つめている。少尉や大翔たちが近付いても、しばらく気付いた様子がなかった。


「やめろ! 二人ともそこまでだ!」


 少尉が声をかけると、二人ははっとした表情になった。少尉の方に目をやり、次いで得体の知れない大翔たちに気付いて動きを止める。一気に頭が冷えたのか、喧嘩していた男たちは気まずそうにそろそろと少尉の前に座った。


「経緯は伝令で聞いた。ゼノクが先にタリスを『臆病者』と罵り、それに激高したタリスに取り押さえられたということだな」


 肌の黒い方がタリスといい、少数民族のチオキ人。白い方がこの国の大部分を占めるデイト人であり、この二つの民族は歴史的な事情であまり仲が良くない。そこまでは、道中大翔たちも聞いていた。


「……間違いありません」


 二人は神妙にしていた。経緯を聞いて、フロムは面白そうに大翔を見る。


「お主ならどう裁く」

「そうだな……最初に罵ったのは明らかにゼノクが悪いが、タリスの方も暴力に訴えるのはやりすぎかと。お互い懲罰はあるだろうが、手を出したタリスの方がやや重い罰になるんじゃないのか」


 頭の中で日本の法律をなんとなく思い浮かべながら、大翔は答える。フロムはそれを聞いて鼻を鳴らした。


「まあ、平時の法ならそうなるじゃろうな」

「あんたの考えは違うって?」


 大翔の問いに面白そうに答え、フロムはゼノクとタリスの目前まで歩み寄る。そして脱皮するように急に黒い髪を一気に朱に染めた。そしてめきめきと音を立てながら不吉な赤色の爪を伸ばし、優美な鳥の羽のように大きく炎を体の左右に広げてみせた。


 顔にはまたあの赤い痣、瞳も真紅。さっきまでの半分変化のような状態から、一気に神格が上がったような格好だった。


「おお……」

「こ、これは」


 二人を遠巻きにしていた兵からどよめきが上がる。皆、フロムの正体に薄々気がついているようだが、話しかけてくるほど度胸のある者はいなかった。


「我は炎神フロム。汝らは運が良い。五神きっての戦神である我が、戦場における兵の心構えというものを教えてしんぜよう」


 やや伏し目がちにしていたゼノクとタリスが、不安そうに顔を上げた。フロムはにっこりと笑いかける。だが、大翔の背中は恐怖で泡立った。これからきっと、ろくでもないことが起こるという予感だけがあった。


 その予感が的中したことを大翔が知ったのは、一瞬後のことだった。大翔のすぐ間近で、赤い炎刃がきらめく。そして驚くほど小さな音をたてて、ぽとりと何かが落ちてきた。


「な、に……」


 曲線が多い、小さな臓器。大翔の脳がそれを切り取られた耳だと認識した瞬間、男たちの絶叫があがった。大翔は身を硬直させるしかなく、怖々とフロムを見る。


「これが答えじゃ」

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