第4話 目覚めた先は知らぬ国
「
誰かに揺り起こされて、大翔は我に返った。背中にはコンクリートとは違う、何か柔らかい物が当たっている感触がある。
「ん……」
「ああ、良かった。目を覚ましたか」
頭上から降ってきたのは、間違いなく普段の
「あ……灯、だよな?」
灯は完全に元の黒い髪、黒い瞳に戻っていた。大翔はほっとし、次の瞬間に倒れる前の光景を思い出して跳ね起きる。
「あれは何だったんだ!? 俺たちはどこまで飛ばされたんだ」
つかみかかった大翔の問いに、灯はわずかに苛立った顔をして首を横に振った。
「ここがどこかは分からないけど……私が豹変したのは、もともとそうだったからだ。昔から私の中には、しきりに話しかけてくる別人格のようなものがあった」
信じてくれなくても構わない、という風情で灯が言う。
「その別人格は獰猛で、敵を排除することに躊躇がない。あの人格が私の体を乗っ取ると、私は人を殺すことに抵抗がなくなる」
「なんでそんなこと、知ってるんだよ」
「前に一度、そうなったからだ」
大翔は一瞬言葉を失い、灯の血の気の引いた顔を見つめた。
「私は歩いていた両親を轢き殺した相手と、一度面会したことがある。相手が、是非遺族に謝罪したいと言ったから、伯父夫婦と私で会うことになったんだ」
事故の加害者は通りいっぺんの謝罪をのべ、表面上はしおらしくしていたという。しかし別れ際、たまたまタクシーを呼びに行った伯父がいなくなった瞬間、彼は本性を現した。
「私と気の弱そうな伯母しか聞いていないと思って、奴はこう言ったんだ。『あんなところを歩いていたバカのせいで、俺は犯罪者扱いだ』ってな。その瞬間、何を言われたのか分からなかったよ。ただ、感情の抑制がきかなくなったことは覚えている」
気がつくと灯は今日と同じように、真っ赤な炎で相手を殺していた。しかし伯父が戻ってきた時にはすでに炎は消えていて、監視カメラにも画像は残っていなかったという。結局、消防も警察も男が突如焼死した原因が分からず、灯たちは無罪放免となった。
当時、灯と一緒に居た伯母は、しばらく経ってから灯と話し合った。灯も奇妙な炎の存在は覚えていたため、正直に内部で響く声のことを打ち明けた。
「伯母は言った。その力は二度と使ってはならないと。私もそう思ったから、なるべく感情を平坦に保つように、怒りを外に出さないようにしていたんだ」
「それが、俺のせいでまた出てきたのか……」
大翔がつぶやくと、灯はかぶりを振った。
「お前のせいじゃない。私が激怒したのが悪かった。抑えなきゃとは思ったのに、お前の長年の夢がダメになるかもと思った瞬間、箍が外れた」
言って灯は深々と頭を下げる。
「すまなかった。お前は何も見なかった、すぐ気を失ったということにしてくれ。罪は私が背負うし、何らかの刑罰が下った場合は全てこちらで受ける。本当に、お前は何も知らなかったんだから」
大翔はあまりの話の展開に、一瞬目眩を覚えた。なんてことをしてくれた、人殺しじゃないかと幼なじみにわき上がる感情をぶつけることが、倫理的に正しいことのように思える。
しかし、目の前にある灯の小さな背中を見ていると、その思いは霧散した。白くなるまで握り締められた手、ばらりと広がった髪。それを視界におさめながら、大翔は長く息を吐く。
「よせよ。お前が怒ったのは、そもそも俺が原因なんだから」
「だけど」
「帰ったら警察に話をしに行こう。んで、作り話だと思われたら一緒に怒られよう。そんなちっさい背中で全部背負ったら、きっとお前が壊れるぞ」
チビのくせに、と大翔が笑うと、灯はゆっくりと顔をあげた。瞳が涙で濡れてはいたものの、その顔はわずかにほころんでいる。
「……本当にバカだよ、お前は」
二人でしばし笑い合うと、周囲の景色が目に入るようになってきた。精神的に余裕が出てきたのを感じながら、大翔は周りの様子を観察し始める。
周囲は針葉樹の並ぶ林だった。黒い渦はかき消えていて、どこにも見えない。夕闇の薄暗い空の下で、やや冷えた空気が流れていた。獣道のような人の通った跡はわずかに見えたが、それも日没になれば完全に闇に沈むだろう。
それ以上、情報源になるものは何もない。いたずらに林の中を彷徨うには、危険な時間になり始めていた。
「灯、とりあえず雨をしのげそうな場所は見えないか? ないのなら、ここで野営しないと仕方無いが」
大翔はそう言ってから、はっと口をつぐんだ。林の中に、何かの気配を感じる。そちらへ頭を向けると、丸い物がさっと動くのが見えた。
「おい、誰かいるのか!」
大翔より先に灯が叫ぶ。すると木の陰から、何者かが姿を現した。
それは背の高い男性で、暗くなりはじめた林でも分かるほどの明るい金の髪を短く刈り込んでいる。暗い色のジャケットに黒いパンツ、同じく黒のブーツを身につけ、手には銃を持っていた。
猟師という格好ではなく、歴史の教科書で見た歩兵の様相に近い。林の向こうの荒れ地には、同じような格好をした兵士たちが何人も伏せていた。
「……なんだ、貴様ら」
明らかに西洋人の風貌をしているのに、林から出てきた歩兵はなぜか日本語を話していた。その事実に驚きながらも、大翔は言葉を選びながら話しかける。
「俺たちは、二人とも
「ナラサキ? そんな地名は知らんな。それに、貴様らの名前も変わっている。チオキ人にはそんな名前があったか?」
「チオキ、と言われても……俺も灯も日本人なんですが……」
絶望的に会話がかみ合わない。日本の裏路地で気絶している間に拉致されて外国に放られていたとしても、ここまで単語の意味が分かってもらえないとは思えなかった。大翔は目の前に立っている、異様な男の顔をまじまじと見つめる。
ここは、どこだ。もしかしてあの渦を通って、全く知らない世界に迷い込んでしまったのではないか。そんな不安がわき上がってきて、大翔は知らず知らず拳を握っていた。
「おい、どうした。ニホンとはチオキの村か何かか」
「……少尉。この者たち、シレールの間者ではないのですか?」
場の空気が悪くなってきた。事情はどうあれ、この男たちを敵に回すわけにはいかない。町まで連れていってくれれば一番いいが、最低でも見逃してもらわなければ、日本に戻るきっかけまで失ってしまう。
大翔が答えに逡巡していると、先に灯が動いた。
「全く、近頃の人間は『神』に対して、ずいぶん不遜な口をきくものよの」
灯の口から漏れる声は、また成熟した女性のものになっていた。はっとした大翔が灯を見やると、彼女の髪がうっすらと赤くなっている。またあの皆殺しの不可解な現象が始まるのか、と思うと大翔の脇に嫌な汗が湧いてきた。
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