喫茶の耳
於人
喫茶の耳
アケメネス朝ペルシアと聞いて僕が真っ先に思い出すのは「王の目」と「王の耳」である。アケメネス朝とは、紀元前のオリエント地方を支配したイラン人の広大な帝国のことだ。これらは王様直属の密偵で、地方を任されていた総督を監視する役割があった。というのは世界史の時間に誰もが一度くらいは聞いたことがあるのではないか。
どんな場所でも誰かに見られているかもしれないし、聞き耳をたてられているかもしれない、だから悪さはしないに限るね、という戒めなのだろう。日本でも昔から「壁に耳あり障子に目あり」なんて言ったりする。僕も喫茶店で本を読むのに飽きて、手持ち無沙汰になるとよく「喫茶の耳」としてその職務を全うする(誰かに頼まれたわけでもない)。
「一杯百万円のコーヒーを出す店があるらしい」
神戸の喫茶店で聞いた話である。無論コーヒー一杯にそこまでの大金を積める人はそういまいが、話題性に富むので必ず買う人間が現れる。それで値段も相当なので元が取れる、ということだった。
耳を疑うというのはまさにこのことであるが、これが本当に実在した。
さすがに一杯百万円ということはなく、十万円であったが、それでも一杯のコーヒーに払う金額としては随分世間離れしている。大阪の八尾市にある「ザ・ミュンヒ」というコーヒー専門店で、中身も随分浮世離れしていた。店の中には世界に五台しか存在しないバイク「ミュンヒ」が置かれ、ドイツの「マイセン」の器やフランスのバカラグラスが所狭しと飾られていて、それでコーヒーを飲むこともできたりする。
「器」や内装で値段が張っているのかと思えば、コーヒー本体も引けを取らず。熟成樽仕込み氷温コーヒー二十年物。四十ccで十万円ときた。ウイスキーなんかで十年物、というのはよく聞くけど、コーヒーでも二十年物があるとは思わなかった。
お試し用にコーヒースプーン一杯分で二千円、というオプションもあったようだが、なかなか頼む勇気が出なかった。スプーン一杯でコーヒーを飲んだ気はしない。
わざわざ遠方の喫茶店でなくても、意外と近くの店でもなかなかに面白い話が「耳」には入ってくる。
「私、塩顔の男が好きなのよ」
大学のタリーズ・コーヒーで、女子大生の二人がそう話していた。私は隣の席で、塩顔ってどんな顔だろう、と考え込んでいるうちに会話は別の話題へと変わってしまった。家に帰ってから「明鏡国語辞典」をめくってみたのだが、載っていない。版が古いのかな、と思って改訂版の方(たしか現代語に強いと帯にあった)にもあたってみたが、これがやはり見つからない。
結局グーグルに聞いてみて分かったことは、自分の顔がそのタイプに属さない、ということだけであった。今の時代の言葉を瞬時に理解できない僕の耳はたぶん「しょっぱい」のだろう。
「私、塩耳の男が好きよ」
なんていう女の子、いないかな。こんなくだらないことを考えているうちに「喫茶の耳」の役職は解任された。嗚呼、残念。
喫茶の耳 於人 @ohito0148
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