最終話 いつもの街2 ④

 先生に言って鍵を借りれば図書室に入れるにしても、天野君と過ごした場所に、天野君なしでいないといけないのは気が進まなくて、図書館にも行かなくなった。放課後どこにいればいいのかわからなくなって、家にずっといるのもなんだし、かといって元旅人の少年のように学校帰りに喫茶店によったりできるほどお金を持っているわけではなく(それにどうせこの町の喫茶店では、この地域の代わり映えのない人たちしかいないだろう)、公園でぶらぶらしようにも、誰かに会ってしまうかと思うと、なかなか落ち着かない。

 中学校を卒業して、山を越えて、向こうの町が生活圏になるまでは、しばらくこんな日々が続くのだろうか。そこで待っているものは、もしかしたらこことあまり変わらず、期待外れかもしれないけれども、とりあえず今は、そこになにか今より面白いものがあると信じてみるしかないのかもしれない。穴に落ちたら、思わぬ面白い世界が広がっていたなんてことは、そうそうあるものではないのだろうし、たとえ面白い世界があったとしても、そこは私のような普通の人が長くいられる場所ではなくて、期限が来たら戻らないといけない場所なのだ。

 夏休みが終わったからといって、涼しくなったわけではないけれど、それでもなにかの拍子にふと腕に触れる肌寒い空気は、そろそろ夏が秋にとって代わることを予告していた。

 放課後、久々に図書室へ行ってみた。天野君のことをあまり思い出さないようにして、読んでみたかった小説をぱらぱら見たりして、借りる本を五冊選んだ。図書委員らしき人はいないので、自分で手続きをすませた。

 そのうちの一冊を読んでみるけど、目が文を追うだけで、内容が頭に入ってこない。この場所のせいなのか、私の頭は、本の世界にひたるよりも天野君のことを思い出したいと思っているようだ。やっぱりこの場所で集中して本を読むのは今の私には無理そうだった。

 あの人は本当にここにいたのだろうか、それとも、あの人と会ったことも、もしかすると、全部私の幻想だったのだろうか。あの夏休みのことも――、彼がこの世界にいたことを証明するものは、私の記憶以外になにもないのに、夏が遠ざかろうとしているせいか、日に日に、そんなことにも自信を持てなくなっていく。

 図書室を後にして、なにげなく、校舎の裏へ行ってみると、見知らぬ誰かが呼び出されている場面が目に入った。いかにも弱々しい男子を得意そうに取り囲んでいるのは、また例のメンバーのようだ。

 あのときは、花瓶を投げて中断させたのだけれども、もしそうしていなかったら、一体彼らはどうなっていたのだろう。天野君にとっちめられたのだろうか。もしくは天野君がうまいことやって、仲良くなってしまっていたかもしれない。

 あれは余計なことだったのだろうか。もう一度巻き戻して、花瓶を投げるのをやめたら、世界はどんな風になったんだろう。

 あのとき、私が見て見ぬふりをしていたら、旅人の石を預かったりすることなくて、あの世界に行くこともなかった。天野君は、私の助けなんてなくてもなんとか石を直す方法を見つけて、向こうに戻ったことだろう。そうして私は、天野君のことなんてすっかり忘れていた、そういう世界もあったのかもしれない、でもそうはならなかった。

 わざと彼らをじろじろ見ながら近づいていくと、いじめっこグループは顔を見合わせて、不気味なものでも見たかのような顔して去っていった。つるし上げられそうになっていた子も、気味悪そうな顔して去って行った。無人になった校舎裏で、私は大きく伸びをした。

 そうしているうちに、曇り空の隙間から光がさした。地面が照られ、なにかが一瞬きらりと光った。

 駆け寄って、かがんで拾ってみると、そこには明らかに砂利ではない、丸い石があった。拾い上げて、親指と人差し指でそっとつまんで、空に透かしてみる。

 間違いなかった。灰色の中に、青い輝きがちらっと見えている、あの石だった。なんであの石の粒がここにあるのか、腕輪を壊されたときに、天野君が拾いそびれたのだろう。あの人のことだから、粒の数をちゃんと数えていなかったのか、もともと数なんて気にしていなかったのか。私は彼が差し出した石が全部だと思っていたけれど、そういえば直してからは私が使っていたのだから、サイズがどうかなんてあまり考えていなかった。あれは元々旅人のおじさんのものだったので、サリリの腕にも少し大きめだったかもしれない。今頃サリリも、サイズが合って使いやすくなったと思っているかもしれなかった。

 いずれにしても、また石に会えたおかげで、あの日々が私の思い込みではなく、本当にあったことだということを示してくれるものにようやく出会えたのだった。

 この石を持っていれば、いつか私はもう一度あの人に会えるのだろうか。あるいは会えないかもしれないけれども、これでずっと彼のことを覚えていられると思った。そして覚えていられる限り、彼は私の中にいるのだ、そういうことにしておこう。

 吸い込まれるような蝉の声に浸りながら、手のひらの上に可愛らしく載っている石を見ると、あたりが一段階明るくなったように思えた。私はこれからもここでやっていけそうだと思った。

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誰も知らない国から 高田 朔実 @urupicha

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