第11章 謎のスナッフフィルム

「さて、と」


 月曜の夜中、俺はPCを開いた。ハッキングの材料は十分に揃ったのだから、後は実行するだけだ。


 俺はもう一度確認する。必要なのは、まずサルの端末にある山本亜子とのやり取りのデータ。サルのPCのパスワードは、メモをこっそり写メってきたからバッチリだ。PCに無かった場合は、アプローチをまた考える必要があるが、まあそれは無かった時に考えよう。


 後は……山本亜子の詐欺グループが使ってる口座の出入金記録、それと山本亜子の個人情報。まあ、もし漁れそうなら山本亜子とのやり取りも探してみるか。サルのやつだけだと心もとないし。ただ、足がつくことだけは避けたいから、今回は情報の取れ高より安全性重視。そこだけ注意しよう。


 俺は最初にサルの端末のハッキングからやっつけることにした。今日の午後は、途中でサルが外回りに出て行ったので、俺はさりげなくサルのPCの電源をオンにし、自分のPCからハッキングして、遠隔操作ウイルスを仕込んでやった。これで俺はいつでも、どこからでもサルのPCを操ることができる。


 サルのPCは酷いもんだった。ジャンクファイルで溢れ返っている上に、デスクトップは雑多なフォルダで埋められている。サルは整理整頓がかなり苦手な性質のようだ。俺も整理整頓は苦手だが、仕事柄PCは綺麗にしてある。デスクはけっこう散らかってるけどな。


 俺は一年より前から、10年前を目安にサルのPCのメール履歴をさかのぼってしつこく漁ってみたが、山本亜子からの指示のメールは見つからなかった。ちぇ、使えねーな、と俺は思った。前のグループにいた時と同じアカウントを使ってないのかもしれないし、グループを辞める時に山本亜子によってメールも全消去された、という可能性も十分ある。用心深い女みたいだし。


 俺はサルのPCへの攻撃を止め、次に山本亜子の詐欺グループへの攻撃を開始した。まず、昼間に乗っ取って遠隔操作できるようにした監視カメラにダミー映像を流す。よし。次に玲サンに教えてもらったフィッシングサイトにDDoS攻撃を加えてサーバーをダウンさせる。完全にダウンしたことを確認した後、詐欺グループのPC群を遠隔操作で起動する。……ここまでは順調だ。


 ここからはスピードが命だ。夜中だから発見は遅れるとは思うが、危険性は少ないに越したことはない。


 まず口座情報へのアクセス。パスワード特定に少し手間取ったが、パスワードスプレーという方式を使ってなんとか突破した。パスワードスプレーとは同じパスワードを複数のユーザーアカウントログインで同時に試す方法だ。ログインの際、一定回数パスワードを間違えるとアカウントロックがかかることが多いが、パスワードスプレー攻撃の場合、ロックがかかっても解除されるまで他のアカウントでログインを試せばいい。


 俺は口座の出入金情報を手早くダウンロードして自分のPCへ送信した。もちろん、足がつかないように複数のサーバーを経由して、だ。


 次に山本亜子の個人情報だな。こればかりは地道に探すしかない。俺は次々にPC内のファイルを検索していった。樫尾みたいに、人事担当をしているやつのPCがどこかにあるはず。ファイル名で当たりをつけつつ、ひとつひとつファイルを見ていく。1台目。……2台目。3台目のPCがビンゴだった。俺は「よっしゃ!」と机を叩いた後、個人情報をあらかた盗み出した。山本亜子の本名が分からなかったので少し手こずったが、偽名も書かれている資料があったので助かった。山本亜子の本名は……『小嶋優華』か。普通だな。


 最後は山本亜子とのやり取りの記録。これもまた地道な作業だ。一年より前にやり取りされたメールをできるだけ急いで読む。いくつかそれっぽいメールはあったので、都度送信していく。


 しばらく見ていくと、サルが昔使っていたと思われるアカウントを発見した。あっちでもやっぱ、サル呼びだったみたいだな。俺は1通のメールを見て、「これだ」と思った。相手の住所と、金の受け渡し時間、金額が書いてあるし、『山本亜子』と名前も入っている。これは山本亜子からの指示に違いないだろう。俺はこのメールも送信した。


 その後も数台のPCを漁っていると、俺は別のPCに気になるメールを見つけた。件名には『例の商品です』とだけ書いてある。


 俺は気になって、ついそのメールを開いた。文面は簡素なものだった。


『山本亜子様


 先日の、202号室の撮影ビデオをお送りします。


 例のお振込みの方、よろしくお願いします。


 佐藤信』


 俺はなんとなく、添付ファイルを開いて──背筋がぞわりとした。


 何だ──この、映像。


 そこに映っていたのは、女が2人と男が1人。1人の女はがんじがらめに縄で縛りつけられベッドに横たえられていて、覆面をした男がその女に馬乗りになりながら、ナイフとおぼしき物を女の目の前にかざしている。縛られた女は怯えきった表情で、少しの諦念を滲ませている。見切れていて顔は全く見えないが、もう1人の女はベッド脇で、笑いながら男に指示を出しているように見える。何故だか、目が逸らせなかった。思考が停止している。


 縛られた女は男によって裸に剥かれ、男は女をレイプし始めた。抵抗していた女の顔は次第に絶望に染まっていく。もう1人の女が、機嫌良さそうに縛られた女の顔を覗き込んだ。もう1人の女の顔はカメラの死角になっていて、映らない。男が射精して事を終え、女の心臓の真上にナイフが当てられた時、ようやく俺の頭が動き、反射的に動画の再生停止ボタンを押した。息を完全に止めていたことに気付き、俺は大きく息を吸った。動悸が酷かった。


 俺は即座に「スナッフフィルム」という言葉を思い出した。殺人の様子を撮影したビデオ。ダークウェブ上では売買の対象にもなる、らしい。俺は見たことはないが。


 樫尾の声が、鮮やかに耳に蘇る。


『俺が聞いた話では、サツに狙われて足がつきそうになった同僚を、自殺に見せかけて殺したらしい』


 えっ、まさかこれ、本物──?


 俺はすかさず動画を閉じ、急いでハッキングを中止した。PCを閉じて、台所まで行き、冷蔵庫から麦茶を取り出し、冷えた液体を無理やり喉に流し込む。そして、頬をパンと両手で叩く。


 落ち着け、と自分に言い聞かせる。今のは、見なかったことにしよう。そう、俺は何も見なかった。山本亜子がやったかもしれない殺人は、玲サンには何の関係もない。俺は玲サンに指示された情報は全て取りきった。これ以上むやみやたらにリスクを増やすことはない。


 俺は、女性の怯えきった表情をなんとか忘れようと努めながら、床についた。大丈夫、大丈夫、と自分にうそぶいて微かな震えをごまかす。


 とはいえこんな状況でも、俺の長所のひとつである切り替えの早さは健在だった。しばらく目が冴えてはいたが、かわいい猫が遊んでいる動画を30分ほど眺めると眠くなってきた。俺はそのまま意識を手放そうと目を閉じた。


 俺は、今は色々といっぱいいっぱいなんだよ。と胸のうちで呟く。これ以上重たいものを持ったらパンクしちまう。こういう種類のややこしいことを考えるのは性に合わないしな。


 しかし、持たないという選択をしても結局はパンクする羽目になるということをこの時の俺はまだ知らなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る