第3章

第1話 図書委員の彼女は恋人らしいことをしたい

「これは……由々しき事態です」と、図書室のカウンターの中で惑依さんがポツリと零したのは、12月に入って一段と寒さが厳しくなってきた季節だった。

 今年は暖冬だと、ニュース番組をいくら変えても同じことを繰り返している。

 けれど、こうして冬も迫るとやっぱり肌寒さを覚えるわけで。

 カウンターの奥。扉を開けたままの作業部屋で「はぁ……?」とストーブで温まりながら生返事をする。


 目下、僕の意識は傷や汚れの目立つ石油ストーブに注がれている。

 年季は目立つが、まだまだ現役で活躍してくれる姿は勇ましく、ブゥーンッと音を立てながら赤く光る様はなんとも言えず頼もしかった。


 あったかぁ……。

 屈み、両手を広げて目を細める。

 家にストーブはないが、この温かみを覚えると欲しくなる。今度買おうかなぁと心奪われていると、

「――由々しき、事態です」

「あーっ!?」

 作業部屋にやってきた惑依さんにスイッチを切られてしまう。


 ブゥーン……と悲しげに消えていくストーブ。

 酷い。なんてこった。

 膝を抱えて嘆きながら、残った温もりを求めるように身を寄せる。

「……。

 随分と熱烈ですね。

 ストーブとお付き合いするつもりですか?」

「冬限定なら添い遂げてもいいかも」

 そして、夏はエアコンと結婚する。


 外気によって見る見るうちに下がっていく温度に悲しみを覚える。

 もう1回付けられないかと思って見上げたが、ホラー映画に出てきそうな無機質なビスクドールのような顔で、冷淡に見下されては暖かさへの欲求もひゅんっと一瞬にして凍えてしまう。血の気も引いた。


 膝を抱えたままキュキュキュッと上履きを床に擦らせながら微妙に後ろへと下がる。

 そのままパイプ椅子に座る。咳払いをして凍った空気を散らす。

「で、由々しき事態とはなんでしょうか?」

「……」

 じとっと暗闇の瞳で見つめられる。

 首の後ろに汗をかく。風なんて吹いてないはずなのに、ひゅんっと空気が首筋を撫でてひんやりとする。


 暫く咎めるように睨まれていて、蛙のように身動きが取れずにいたけれど。

 赦しか呆れか。

 一度瞼を閉じると、仕切り直したように薄い唇を開いた。


「恋人らしいことができていません」

「あ、仕事の話じゃないんですね」

 やたら真剣な面持ちだったのでなにかと思えばそっちかと、太ももを叩く。


 惑依さんと付き合うようになってから。

 正確には、11月の終わり。土曜日に図書室の整理を手伝ってからだけど、時折、放課後に図書委員の仕事を手伝うようになっていた。

 以前から時間を潰すために図書室に足を運んでいた。

 それは付き合ってからも変わらない。

 変わったのは惑依さんや司書さんと見知った仲になったということ。図書室に居て、知り合いが忙しそうにしていれば手伝うのは当然の成り行きだった。

 どうせ暇を持て余しているのだから、人助けのほうが有意義というものだ。


 その見返りというわけではないけど、こうして作業部屋で温まったり、お茶やお菓子をご馳走になったりしている。

 至れり尽くせりで申し訳ないが、ちゃんと仕事を手伝っているので……まぁ、許されるのではなかろうか。


 なので。

 なんだかんだ惑依さん(彼女)と一緒に居ることも増えたのだけれど、どうにも不満があるらしい。

 むすっと唇を結び、人形のように整った顔立ちが不機嫌に歪んでいる。

 こうも感情を表に出すのは珍しいな。まだ1ヶ月に満たない付き合いだけど、顔に感情が出にくいのは知っている。

 常駐している司書さんなんかは惑依さんの些細な変化でも『今日は機嫌が良いですね』と、天気予報士のように的中させるが僕はまだそこまで至れない。どこが? と愛想の全くない冷々たる顔つきに首を傾げるばかりだった。


 そんな惑依さんがわかりやすく顔に出すとは。

 よっぽど鬱憤が溜まっているらしい。

 うーん。頬をかく。


 恋人らしいことって、言われてもねぇ。

 困るし、悩む。

 そもそもとして、恋人という実感はまだ生まれていない。

 前に惑依さんは恋も愛も育むものと自論を述べていたが、育む種がなければいくら土に肥料をまいて水を与えたところで芽吹くわけもない。というか、芽吹いたら怖い。


 親しみぐらいは湧いているけれど。

 そんな心境だから、『恋人らしいこと』と言われたところで首を捻るばかり。

 建設的な案が浮かばないどころか、もっと手前で立ち往生してしまう。


 むしろ、よくもまぁそんな前のめりになるものだと思う。

 恋を証明するために付き合いましょうと提案してきたのは惑依さんとはいえ。

 好きでもない男と恋人らしいことをするのに抵抗がないのだろうか。やはり悪女か。

「……今、良からぬことを考えませんでしたか?」

「いいえまったくちぃっとも」

 勘いいなぁ。


 ただ、まぁ。

 このまま放置したところでいずれはなにかやらされる。

 それが嫌かどうかはともかく。

 唇がもにょってしまうような案は避けたかった。

 そのため、頑張って冷えて働かない頭を働かせようとしたのだけど、惑依さんが自身の身体を抱くように二の腕に触れた。自然、高校生にしては発育の良すぎる胸が下から持ち上がって考えるどころじゃなくなる。

 忙しなく目ばかりを泳がせてしまう。


 もう少し男の目を気にしてくれないものか。辟易する。

 まさか、異性として意識されてない……?

 そう考えもしたが、必要なことだったとはいえ恋人に選ばれたのだから、それはないかと思い直す。ただただ無防備なのだろう。困ったことだ。


 惑依さんが何事かを考えるように、人差し指の甲を唇に触れさせる。

 無意識なのだろうけど、隙のある仕草に胸の奥が疼く。

 誘惑しようなんて意識はないはずだ。けれど、時折見せる一挙手一投足が男を誘う娼婦のような艶を覗かせる。


「寒いのでしたら、肌と肌で温め合いますか?」

「ぶへぁ?」

 唇から指が離れる。

 熟考して出した結論だろうに、口をついた提案は『なにをのたまっているんだろうこの子は?』と頭の出来を疑ってしまうような突拍子もないものだった。

 そう見えないだけで、実は寒さにやられてたりするのかな。


 んー、と眉間に力がこもる。

 人形めいた容貌からは感情を伺わせないけど、冗談で言っているようには見えない。

 真剣に、真面目に。

 真っ直ぐに向けられる瞳に、むむむっと眉間の皮膚が余計に寄る。

 なんと答えるべきか。考えて、考えて、考えて……ストーブのスイッチを押した。


「……」

 なにやら、12月の寒さにも冷ややかな視線を向けられている気がするが、恐らく気のせいだろう。

 パイプ椅子から降りる。

 暖色に灯るストーブの前で膝を抱えて「はぁ……温かい」と意識して声に出した。

 どこからか、はぁ……と大いに呆れを含んだ吐息が耳に届いた。努めて聞かなかったことにする。


 やっぱり文明の利器だな。

 うんうんと頷いていると、濡れたシルクのスカーフで手が包まれるように冷気が伝わってきて背筋が震えた。

「温かいですか?」

「……冷たいんですけど」

 そうですか、と訊いといて興味なさそうに口にする。

 そして、冷たいと感想を伝えているのに、握った手を離そうとはしなかった。


「恋人らしいでしょうか?」

 図書室の手伝いからの帰り道。

 デートと称して手を繋いだ時のような、初々しい羞恥は見せなかった。

 事務的に。確認作業のような行為と問いかけでは、僕とて高校生男子らしい反応を見せられない。


 慣れなのかな。

 それとも、あの時とはなにが違うのか。情緒かな。

 機械的な手繋ぎに恋人らしさは見つけられず「どうなんでしょうか」と曖昧に返すしかなかった。


 惑依さんが目を細める。

「もう少し、照れてもいいんですよ?」

「鏡持ってきますか?」

 押し黙る。

 小首を傾げ、「本ではこのようなことは……」と悩む素振りを見せる彼女に微妙な目を向ける。

 

 本って。

 らしいと言えばらしいが、僕と惑依さんの関係に当てはめられても困ってしまうのだけど。

 握られ、離してくれない手から逃れようと動かすが、余計に繋ぐ力が強くなってしまった。

 最初は戸惑いが勝ったとはいえ、こうも握られ続ければ面映ゆくなってくるというもの。

 というか、ストーブと緊張で手汗をかきそうだから、早く離して欲しい。


 空いてる左手を使って引き剥がそうとしたところで、コツンッと作業部屋に足音が響いた。

 見れば、開けっ放しになってカウンターが見える入り口に、目を丸くした司書さんが驚いたように口元に手を当てて立っていた。

 丸くなった黒い瞳。

 つつつっと視線の向かう先にはストーブの前で掲げて、絡まった僕と彼女2人の手。


「そう、ですね。

 なにか……ありもしない用事を思い出すべきでしょうか?」

「ないものを思い出さないでください」

 立ち上がって、パタパタと惑依さんの手を払う。

 そのまま自由になった手でストーブのスイッチを消す。

 僕の手を握るため、一緒になって屈んでいた惑依さんが体勢を変えないまま見上げてくる。


「寒かったのでは?」

「汗かくくらい暑くなりました」

 胸元のシャツを引っ張って扇ぐ。

 見られるというのは、恥ずかしさを抱かせる1つのファクターであるらしい。



 ■■


 空気といい、反応といい。

 なんだか手伝いどころではなくなってしまって、兎もかくやという逃げ足で図書室を飛び出す。

 ガラス張りの扉を開けると、びゅうっと冷たい風が滑り込むようにして吹く。

 温まった身体の熱を奪い、冷やす。

「寒い」

 顔をしかめる。

 けど、のぼせた頭を冷ますには丁度良かった。


 とはいえ、それも今だけのことなのは明白だ。

 帰り道を歩いている間に心地良さは直ぐに消え、寒さだけが身体と心を凍えさせる。

 鞄からマフラーを引っ張り出して首に巻く。

 肌を隠すだけでも大分違うものだ。そのまま一歩前に踏み出そうとして、ぐえっと蛙のように濁った声が喉から漏れ出た。


「待ってください」

 巻いた途端、マフラーを後ろから引っ張られた。

 待つのは構わない。けど、逃がさないと犬の首輪のようにマフラーを引っ張るのは止めてほしい。息ができない。

 とんとん、と首の後ろ。

 図書室から追ってきた惑依さんの手を叩くと、ようやく離してくれた。けふ、と詰まっていた息が口から出る。


 振り向くと、コートも羽織らず制服のままの惑依さんが居て。

 今度は僕の胸に垂れるマフラーの尻尾をむぎゅっと掴んできた。

「どうして掴むんですか?」

「逃げそうだったので」

 やっぱり犬のリードだと思われているのだろうか。繋がれた僕は彼女の飼い犬か。


「逃げませんよ」と呆れ気味に言うが「話が終わるまでです」と取り付く暇もない。

 これから僕が逃げ出すようなことをされるのかと思わせる行動に警戒心が強まる。

 最悪マフラーを脱いで逃げようと心に決めた。


「なんでしょうか?」

「少し、訊きたいことがありまして」

 えっと、あの、と。

 ハッキリと物を言う惑依さんには珍しく口籠る。

 言い難いことなのか。不安が煽られ、じりじりと足が逃げようとする。マフラー首輪を外そうと首元に手がかかる。


 縋るようにマフラーを強く握りしめたまま、惑依さんは暗い瞳を泳がせる。

 唇をうにゃうにゃさせて、上唇を噛む。

 すぅっと小さく、か細く息を吸い、ぽしょりと囁くように言う。


「12月24日は、予定が空いていますか?」

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