第2話 クリスマス・イブの誘い

 12月24日……24日?

 頭の中でカタカタと検索をする。

 読み込みをして、何の日か。思い浮かべて、乾いた唇を合わせる。


「空いてるけど……」

 否定の続きそうな接続詞を付けてしまう。

 断ろうと考えているわけではないけど、言質を取られるような発言を無意識に避けてしまった。

 こういう、玉虫色の返事はよくないとは思う。けれど、どうしても言葉に奥行きを持たせて、選択肢を残そうとしてしまう。それも、どちらかといえば断る方向に比重を傾けて。


「25日は家族と過ごすのですが、24日は私も予定が空いています」

 お互い暇なのを確認して、続く言葉はない。

 黒い瞳は泳ぎっぱなしだ。目を回さないのかと心配になるほどに。


 僕のマフラーを掴む惑依さんの手に力がこもる。

 力んで、引っ張られて。

 うぐぇっとまたもや喉が閉められてしまう。


 まるで『察しろ?』と脅迫されているようだけど、本人にその自覚はないだろう。

 顎を引いたまま視線をあっちこっちに落として挙動不審な様子には、行動や言葉の裏に意思を込めるような余裕があるようには見えなかった。


 その人形めいた顔は、雪のような白さも相まって恥ずかしがっているようには見えない。けれど、流石に誘う日がクリスマス・イブともなれば、彼女とて意識するのかもしれない。

 そう思うと、お腹の底でうずうずと熱にも似たなにかが疼く。期待なのか、それとも、別の感情か。

 首に巻かれたマフラーが引っ張られて、絞られていく。絞殺にも近い状態から脱するため、ぐいぐいっと指を滑り込ませて緩める。首の代わりに口元をマフラーで覆い、ぎゅっと握った拳から視線を外さないようにする。


「まぁ、うん……空いてます、ね」

「そう、ですか」

 曖昧な返事だ。

 納得でもなく、かといって否定でもない。

 なんだか、道を譲ろうとしてお見合いしてしまったような気まずさ。マフラーの内側で唇がもにょる。


「でしたら」

 一歩、前に出たのは惑依さんだった。

「どこか、遊びに行きませんか?」

「あー……そう、ですね」

 目線を天井に向ける。

「そう、しますか」

 頷く。


 形式的に僕と惑依さんは恋人同士。

 クリスマス・イブなんて、世間様のカップルが浮ついた日であっても、遊びに行くのはなんらおかしくないはずだ。

 けれど、と思うのはやっぱり形だけだから。

 どうにもなぁと抵抗というか、しこりが残ってしまうのは僕の往生際が悪いからだろうか。

 楽しみと疎ましさ。

 両方が混ざったなんとも言えない感情が重くなっていって、僕の背筋を曲げる。


「では、約束です」

 惑依さんの目元口元が緩んだ気がした。

 見間違いかどうか、確認する間もなく「それでは、失礼致します」と図書室に戻って行ってしまう。

 ガラス扉が僕と惑依さんを隔てる。

 忙しないなんて言葉から縁遠い惑依さんなのだけど、透明な壁の向こう側で早足になって図書室の奥へ消えていった気がした。


 もしかして、浮足立ってる?

「ふむ」とその意味を口の中で咀嚼して、ぐぐっとマフラーを目元まで持ち上げる。

 校舎内でも一際冷えるエントランスホールのはずなのだけれど、今この時ばかりはサウナのように暑かった。



 そういえば、クリスマスなんていつぶりだっただろうと、歩道に落ちた枯れ葉を踏みつける。乾いた音が足から伝わってきた。

 家で祝った記憶は幼少期。それこそ、幼稚園とか、小学生低学年ぐらいにまで遡らないと思い出せなかった。

 あの頃は、サンタクロースを信じてたなぁ……と正面から来る自転車を避けながら思う。

 

 星にプレゼントを願って、わくわくしながら布団で眠って。

 朝になると包装紙に包まれたプレゼントが枕元にあって。

 子供だったなぁとしみじみ。我ながら純粋だった。


 今思うと、プレゼントを包んでいた包装紙は近くの百貨店で使われているもので、お店で買った物なのは明白なのに。

 可愛げというか、盲目というか。

 疑うなんて知らなかった。


 そうしたセピア調のフィルムをカタカタカタと回していっても、それ以降のクリスマスなんて出てこない。

 記憶がないというよりは、ただの日常の一幕。

 パーティーとか、プレゼントとか。

 記憶に残るようなイベントがなかったからだと思う。


 学校の友達とも遊ぶけれど、クリスマスにまで集まって遊ぶなんてこともしてこなかった。

 クリスマスなんてだいたい冬休み。

 長期の休みに入ったばかりなのに、わざわざ炬燵こたつから出て外で遊ぶなんて発想は誰からも出なかった。

 それを寂しいと思ったことはないし、家でぬくぬくしてるのも好きだったのでいいのだけれど。


 こう。

 なんていうか。

 恋人とクリスマスを過ごすという体験したことのないイベントが、真っ白だった心の予定帳に書き込まれるというのはむずむずする。

「まだ半月以上も先なんだけどなぁ……」

 はぁっと白い息を吐き出す。

 煙のように登り、瞬く間に陽光を遮る灰色の天幕に重なって見えなくなった。



「どっか行くの?」

 自宅の玄関を開けたら、バッタリ母さんと遭遇してしまった。

 丁度、玄関に座り込み靴を履いている。

 買い物でも行くのかと思ったのは瞬きの間で、化粧にスーツとキッチリと外行き用に整えた母の格好に眉根が寄る。


 ヒールを履いて、ふらつきながら壁を支えに立ち上がった母さんは僕と目を合わせると「あー……」と考えるように声を伸ばした。

「うん、ちょっと用事」

「そっか」

 困ったような笑み。喉がなにかで塞がれたように空気の通りが悪くなる。


「悪いんだけど、夕飯は適当に食べて。

 お金は後で返すから」

 わかったと了承を返す間もなく、いそいそと僕の横切る。

「鍵閉めといて」とドアを開け放ったまま、コツコツとヒールの音が遠ざかっていくのを感じた。


「…………」

 黙って、ゆっくり閉まるドアを見つめる。バタンッと空気を震わせて閉まった。

 途端、玄関から光が消える。

 音もない。耳鳴りだけが鼓膜を震わせて、鍵も閉めず、ただただ立ち尽くした。

「用事、ね」

 靴を放り出す。ガタンッ、とどこかにぶつかって転げた音がしたけど、今は整える気も起きなかった。


 廊下の途中でバッグを落とし、洗面台に向かう。

 足がなにかを蹴っ飛ばし、痛みが走ったけれど気にはならなかった。

 頭が重い。腕が重い。足が重い。

 重い、重い、重い、重いおもい。


 倒れるように洗面台の縁に手を付く。

 顔を伏せ「はぁぁぁっ……」と重苦しいモノを吐き出す。

 そのまま、胃の中の物まで吐き出しそうになったけれど、唾を飲み込んでどうにか堪える。


 手探りで電気を付けて、顔を上げる。

「酷い顔……」

 鏡に映るのは血の気の引いた自分の顔。

 歯を食いしばり、喉の奥から「はっ」と嘲笑うように息を吐き出す。

「……どうでもいいけどさ」

 そう。どうでもいい。関係ないと。

 言葉を付け足して指先で鏡面をつっーと撫でながら、ずるずると膝から崩れ落ちた。

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