第3話 図書室の手伝いの後は、そういうことをしませんか?
「飲む時以外は蓋をしておいてくださいね」
注意と共に差し出されたお茶を「ありがとうございます」とお礼を言って受け取る。
手に持ったペットボトルを軽く振る。たぷんっと中で透き通ったお茶が波打った。
図書室で市販のペットボトルのお茶ってのも新鮮かも。
普段は当然飲食禁止。
以前、作業部屋で出されたのは惑依さんが手ずから淹れてくれた紅茶だ。
見慣れた飲料とはいえ、貰う場所が違うだけで目新しく映るのだから、人間というのは存外単純で適当らしい。
「初めて見ました」
「……?」
前後の言葉が繋がっていない発言に、なにが? と疑問符を浮かべながら司書さんを見る。
僕を見る彼女の目はとても穏やかで、どこか喜色を宿しているような気がした。
手伝いが増えて喜んでる?
けど、それと『初めて見ました』が繋がらない。
手伝いに来た生徒を初めて見たとかだろうか。そうであっても、わざわざ直接そんなことを言う意味がわからない。
ん? ん? と解けない謎に眉間の皺が深くなっていく。
不可思議な言葉に唸っていると、司書さんの視線が僕から外れる。
遠くを見るように、黒曜にも似た瞳を細めた。けれど、険しいというわけではなく、変わらず目尻は優しげに垂れている。
追いかける。
なにかあるのかと思えば、本の抜けた棚を拭き掃除している惑依さんに行き着いた。
彼女はこちらの視線には気が付かず、その実直な性格らしく真剣に、丁寧に拭き掃除をしている。
そんな惑依さんを司書さんは見る。
その横顔はまるで子供を想う母親のような親愛が見て取れた。
ただの図書委員と司書さんの関係……という枠に収めるには、親密な関係を伺わせて、わけもなくじっと見てしまう。
「本当に……」
言葉に感慨が滲む。
「カミネさんが男の子を連れてきて、楽しそうにしているところなんて。
見れると思いませんでした」
「楽し……?」
溢れた思いに首を傾げる。
司書さんの言うように笑っていることもあったけれど、ほとんどは無機質な表情をしている。
それを見て楽しそうという感想は抱かない。
長く接していると些細な変化にも気付くとか、そういうあれだろうか。
であれば、付き合いの浅い僕には到底わかるまい。……わかるまいのに、付き合っているというのもおかしいが、思い返すと恥じ入るばかりなので止めておく。
恥の多い生涯を送ってきましたと達観するには、恥との距離が近すぎる。
「はい、とっても」
目を糸のように細めて司書さんが笑う。
「どうか、よろしくお願いしますね?」
深々と、折り目正しく頭を下げられる。
背筋が綺麗に伸びた、見本のようなお辞儀になぜだか緊張が生じて。
思わず居住まいを正して、「こちらこそ……?」とおずおずと頭を下げ返してしまう。
「……どうしてお見合いの真似事をしているのですか?」
遠く離れて。
棚の前で掃除に勤しんでいた惑依さんがじとっと湿り気を帯びた瞳を向けてくる。
変わらず無表情なのだけど、どうしてか咎められている気がしてならない。
これが僅かな変化も察する仲というものだろうか。そういう割には、些か心の距離が開いたような気がしてならないが……。
「仕事しまーす」
遊んでいるように見えたから怒られたんだろう。
そう考えて、割り当てられた作業に戻ろうとしたのだが、「ふふっ」と司書さんに笑われてしまう。
はて?
「なにかおかしなことでも?」
「いえいえ。
ありませんよ。
ありませんとも。
そうですよね? カミネさん?」
「……っ、知りませんっ」
語気強く否定し、棚の影に隠れてしまう。
なんだ?
思うが、答えられそうな司書さんはツボに入ったのかくすくす笑うばかりで教えてくれそうにない。
…………なに?
ビジジッと、ガムテープを伸ばす。
書籍を詰めたダンボールの蓋を閉めて、縦に横に貼り付ける。そして、ふぅっと一息。
床に置いたダンボール。その上にもたれかかりながら、スマホで時刻を確認する。
どうやら、集中して作業している間にとっくにお昼を過ぎていたらしい。
9から0に。
13時になろうとするデジタル時計を見て、くぅぅうっと腹の虫が鳴った。人間の身体とは不思議なもので、集中しているとなにも感じないのに、意識をした途端に思い出す。
つまるところ、お腹が空いた。
「朝からご苦労様でした。
今日はこの辺りで終わりにしましょうか」
静謐な空間だ。猫の鳴き声のようにか細い腹の音だったのに、しっかりと司書さんに届いていたらしい。赤っ恥。熱を持った鼻の頭をぐしぐしと擦る。
これで解散というのなら助かるけど……室内をぐるりと見渡す。
机に積まれたままの書籍。空いたままになっている棚。
明らかに中途半端で、やや気も引ける。
視線の動きに気が付いたのか、司書さんが苦笑する。
「今日だけで終わるとは思っていません。
ですので、お気になさらず」
それならいいのか。
あくまでお手伝い。
相手が大丈夫と言っているのに、無駄に確認をしても気遣わせるだけだ。
なら、帰ろうかな。
そう思い、お疲れ様でしたと別れの挨拶を口にしようとしたら、とんっと足音を鳴らして惑依さんが傍に寄ってきた。
間は僅か一歩分の距離。袖が触れ合いそうな近さに上半身をやや後ろに下げる。
こう、なんか……詰め方エグくない? 気のせい?
「この後の予定は決まっていますか?」
「いや、なにも」
午後も手伝うのかなと思っていたから予定は空白。
「まぁ、お腹も空いてますし、ご飯でも食べてこうかなと」
「それなら……」
と、惑依さんは小さく微笑む。
「――
頬が赤らんでいるように見えたのは、僕の気のせいだろうか。
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