第5話 好きではないでしょう? という問いかけに悪女は薄い唇を噛む。
――私と付き合って、恋を証明していただけませんか?
放課後の図書室。カウンターの奥の部屋で。
なんの脈絡もなく音にされた告白に、すっと口から気のない空気が抜けていった。
付き合って、というのは恋人になってくれという解釈でいいのだろうか。
けれど、その後に続いた恋を証明するというのが理解できない。
なによりも、告白をした図書委員の少女の反応。
夕陽の光に照らされて紫に輝く神秘的な瞳。
黒と茜。夕闇のグラデーションを背景に佇む彼女は美しく、絵画のようであるけれど。
学生の告白というにはあまりにも平静に過ぎる。
美術品のように無駄なく整った顔には、羞恥も期待も不安もなにも乗ってはいない。
椅子に座らされた西洋人形に見つめられているような熱量の無さに、女子からの告白なんて初めてのイベントに心躍るモノはなかった。
動揺と疑念ばかりが胸の内で渦巻き、表に出てくるのは困惑。
『えぇっと……ごめんなさい』
だから、断ったのは僕にとっては夕陽が沈んでいくぐらい当たり前で。
ぴくりと。僅かに図書委員の少女の瞼が持ち上がった気がした。
ふと、紫がかっていた瞳が黒く光を失う。
生気を失ったような変化に一瞬驚いたけれど、蝋燭の火を消したように暗くなった室内を見て、陽が落ちたんだなと悟る。
ただ、現象の原因を理解したとはいえ。
まるで部屋の空気が物理的に重くなったような暗さに、寄るべがなくなったかのような不安を抱く。
『……どうしてですか?』
不意に図書委員の少女が声を発して、驚きで身体が震える。
『どうしてって、言われましたても』頬をかく、視線を逃げす。『名前も知らないし』君のことよく知らないし。
いきなりそんなことを言われても困ってしまう。
もしかしたら、図書委員の少女のような美少女に告白されたのなら、例え見ず知らずの赤の他人であっても一も二もなく承諾する人もいるのかもしれない。
それこそ、お試しなんて。
軽い気持ちで付き合い出すのかも。
ただ、僕は。
そんな誰ともしれない女性と付き合うなんてありえなかった。選択肢にすらなり得ない。
相手が世界中で愛されるトップアイドルであったとしても、その答えは変わらない。
まして、恋や愛に疑念を持つ自分が誰かと付き合うなんて。
想像すら難しく、頭の中には形にならない
『名前……』
と、思案するように少女が下唇に薬指の先を触れさせる。
『
これで、お付き合いいただけますか?』
『いや、そういうことですけど、そういうことだけではなくって』
一歩前進であるのは間違いないが、それは知り合いへの一歩であって、恋人というには距離がある。
ではどうすればいいのかと。
焦点を合わせるように目を細める図書委員の少女――惑依さんに僕は両手を上げて顔を逸らす。
開いたり、閉じたり。
心の動揺を表すように手指を
惑依さんがどうすればいいのか、なんて僕が知るよしもないけど。
僕がどうするべきかはわかる。というか、衝動で、これは本能的なものだ。
『と、とにかくっ』
立ち上がる。一瞬、よろめきそうになったけれど、机に手を付いてどうにか堪える。
『僕は惑依さん……というか、誰ともお付き合いする気はありませんので!
あっと、これで失礼します!』
答えは待たない。
聞いたら聞いただけ、申し訳なさが増して身動きが取れなくなってしまいそうだから。
顔を伏せ、極力惑依さんを見ないようにして。
僕はこの日。図書室から逃げるように飛び出した。
■■
なんてことがあったのが昨日の話。
時間として1日も経過しておらず、だというのに告白を断ったはずの少女の家にこうしているのが不思議でならなかった。いや、僕が断れなかったのがいけないんだけど。
ただ、それすらも、断った手前申し訳なかったからという理由で。
そも、振られたというのに翌日、その相手を自分の家に呼ぶなんて誰が予想できるというのか。
正直な話。
図書室以外で顔を合わせることはもうないと思っていた。
それすらも、僕が行かなくなれば無くなってしまうような、薄く儚い関係。
いつ切れてもおかしくないような切れかけの糸を、どうして強引に繋ぎ止めようとするのか。
僕にはわからない。
だから本人に訊いてみたのだけれど、その答えが『話をしてみたかっただけ』というのは、どうにも懐疑的になる。
内側で当惑と疑念が滞積していく中、惑依さんがガラステーブルを挟んでちょこんっと座る。
視座が近くなり、瞳が合うとつい視線を逸してしまう。
黒かったり、紫だったり。
光の反射のせいだろうか。
神秘的に、時に妖しく瞬く彼女の瞳はどうにも苦手だった。
好意的な意味ではなく。言葉通り。
知らず、心を奪われるような、そんな感覚に不安が付き纏う。膝上の手をぎゅっと握り込んでしまう。
僕の行動を疑念と取ったのか、「本当に話をしてみたかっただけですよ」と惑依さんが念を押す。
だって、と。
「知らない相手とは、お付き合いできないのでしょう?」
「……」
純粋な疑問に、口がぽかーんと開いてしまう。
惑依さんの眉根が僅かに寄る。
「なにか間違ったでしょうか?」と人差し指の甲を唇に当て訝しむ少女に、正しい認識を伝えるにはどうすればいいのか。
無垢なのか、なんなのか。
悪女と呼ぶには、僕の言葉を素直に受け取りすぎな惑依さん。
けれど、こうした幼さとも取れる性格が、誰もが見惚れる類まれな容姿と合わさって無自覚に男を惹きつけてしまうのかなと思う。
それがどうして僕に告白なんか。
図書室の悪女なんて、好悪併せ持ちながらも学内で有名な惑依さんと違い、別段耳目を引くタイプではないはずなのに。
太ももをとんとんと、軽く2回叩く。ふぅ、と張り詰めた息を吐き、肺の中身を入れ替える。
疑問符を浮かべて悩む惑依さんに「そもそも」と、根本的な疑問をぶつける。
「別に僕のこと好きではないでしょう?」
「――……」
息を呑む音が聞こえた。
僅かに開いた薄い唇がぎゅっと噛むように結ばれた。
そして、これまで真っ直ぐ向けるだけであった瞳を逸らされたのであれば、きっと僕の問いかけは間違っていなかったのだと思わされる。
好意なんて、抱かれる覚えも、抱く覚えもない。
だから、彼女は一度たりとも好意を口にすることはなかったんだと思う。
ただ付き合ってくれと、そう言っただけ。
それは誠実で、同時にあまりにも不誠実。
かと言って惑依さんの行動が僕をからかうためなんて思っているわけではない。わけではないが……言葉にしなくても通じ合えるわけもなく。
どうして、と尋ねるしかなかった。
「……恋を」
ブラウンの前髪と眼鏡で目元の隠れた惑依さんがぽつりと呟く。
「恋を……証明したいんです」
と、絞り出すように。
昨日の告白と同じ言葉を吐露した。
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