第3話 ラブレターを破る悪女の誘いは断れない

 いっそバレないうちに逃げ出そうかとも考えたけれど、物音一つで気付かれそうな距離に躊躇ためらいを覚える。

 それに、惑依さんが手紙を読んでどんな反応を示すのか。気にならなかったと言えば嘘になる。

 いつぞやの図書室での修羅場のように、覗き見するような形となって少々居た堪れない。

 けど、偶然だし。動けないからと言い訳を用意して、案山子のように突っ立ったまま彼女の動向を見守る。


「……」

 手紙の裏表を見る。宛名でも確認しているのかもしれない。

 にしても、いやに古風だなと思う。ラブレターなんて、言葉を知っているだけで実物を目にする機会なんてなかった。それこそ、フィクションの中でさえ珍しい。


 あーでも。最近流行ってるんだっけ?

 級友が『スマホより想いが伝わるから』と話していた気がする。

 確かに、メッセージアプリで『好き♡』とハートの飛び散るスタンプと一緒に告白するよりかは、手紙の方が想いは伝わるのかもしれない。

 時代は1周。昭和時代の古風な流行も、今の学生にとっては最先端であるというわけか。


 などと、古き良きに思いを馳せていたら、惑依さんに動きがあった。

 持ち方を変えて、手紙の真ん中を指で挟む。ついに開封するのかと手元を追いかけ――ビリビリッと破り捨てて「……へ?」と肺から空気が抜けるように口から息が溢れた。


 半分に切った手紙を重ねて、もう半分に。

 丁寧に、けれども躊躇なく切り刻んでいく。

 惑依さんの手の中に残ったのは小さな紙片となった手紙だったもの。

 受け取った手紙、それこそ下駄箱に勝手に入れられていたものだろう。

 それを彼女がどうしようと勝手なのは重々承知だが、こういう容赦のなさが悪女という噂に拍車をかけているのかなと思ってしまう。


 手のひらに残った紙片から惑依さんが顔を上げる。

 そのままこっち側に身体が反転して、あ……と思った時には遅く。

 眼鏡の奥の黒い瞳が僕を捉える。


色無いろなしさん……?

 なにをしていらっしゃるのですか?」

「か、帰ろうかなって」

 自分のことながら、苦しい言い訳に聞こえてならなかった。

 事実だけど、見ていなかったという否定には結びつかない。


 なんて言われるだろう。

 ドキドキしていると、「そうですか」と気の抜けるぐらい呆気なく、からりと乾燥した秋の外気のようにさらっと流してくれた。

 そのまま何事もなかったかのように僕の横を通り過ぎ、近くに置いてあった燃えるゴミに手紙の残骸を捨て去った。


 ふぅ……となんか気が抜けて。

 近くの柱に頭をくっつけて寄りかかる。

 なんだか惑依さんと出会ってからというもの、身体によくないタイプの緊張に襲われる回数が増えている気がする。

 その原因には僕自身の行動にもあるとはいえ、だ。

 彼女が起因であることは間違いなかった。


「色無さん」

「――……っ、な、なんですか?」

 心臓がすくみ上がった。

 気を緩めていたタイミングに声をかけられて、驚きで身体が跳ね上がってしまう。

 肝が冷え、絶叫マシーンで胃が浮いたようなヒヤッとする感覚に襲われ、下腹部を擦る。


 柱から冷や汗で濡れた額を外す。

 顔を横に向け、少し視線を下げる。

 すると、そこにはやや上を向いた惑依さんの顔が、思いの外近くにあって、

「っ!?」

 慌てて仰け反る。1歩2歩下がって、距離を取る。


 僕の大げさな反応に、惑依さんが薄く目を細めた。

「なんでしょうか?」

「い、いやぁ。

 ちょっと驚きまして」

 答えになってないが、『顔が近くて』と言うのは恥ずかしい。

 誤魔化すように「あはは」と笑う。

 級友ならニヤニヤして追求してくるところだが。

 悪女と呼ばれる割に育ちの良さが垣間見える惑依さんは、気にする所作を見せつつもそれ以上なにか言うことはなかった。


 そのことに安堵しつつも。

 止まってしまった会話が居た堪れず、乾いた口をどうにか動かし話しかける。

「それで、なにか用ですか?」

 頬が引き攣る。

 早くこの場から離れたいと足が逃げたがっているのだが、どうやら目の前の少女は許してくれないらしい。


「この後、お時間はありませんか?」

「ま、まぁ。

 これから帰るだけですので」

 考えず事実を口にして、直ぐに後悔する。

 暇かどうかを確認してきた。

 それはつまり、

「それならば、少しお付き合いいただけますか?」

 彼女が僕の時間を欲しているということ。


 一昨日から続き、重く増していく気まずさでそろそろ潰れてしまいそうなのに。

 また、惑依さんと一緒に過ごすのかと。

 想像するだけで、呼吸が早くなる。水分もないというのに、空唾を飲み込んで喉を鳴らす。


 濁して、誤魔化して。

 行きたくないオーラを醸し出して断ろうと思うも、彼女の中では既に決定事項なようで。

 断る暇もなく、下駄箱へ歩いて行ってしまう。


 待ってよぉ……と心の内で泣きべそをかくように零していると、僕とは違い迷いなんて欠片もない端正な顔がこちらを向く。

「行きましょう」

「…………。

 ……………………はいぃ」

 肩を落とす。

 とぼとぼと、行き先もわからないままに惑依さんの後を追いかけるしか、僕にはできることがなかった。


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