黄昏時にお茶会を
一枝 唯
黄昏時にお茶会を
と琥珀に教えたのは、高校時代からの先輩だった。
「お前、美桜荘に部屋借りるんだって?」
「はい。ちょっと古いけど、トツ大生向けって聞いて」
彼が先輩とそんな話をしたのは、三月頃のことだ。
「じゃ、
「誰です?」
「そこに住んでた、行方不明の奴」
「え」
琥珀は顔をしかめた。
「行方不明って、どういう」
「そのまんま。行方が判らない。留年を苦にして失踪、なんて言われてるけどな、単位がヤバくなったのは行方を眩ませたせいなんで」
「えっと……」
困惑する琥珀に、先輩はざっと説明してくれた。
境井という優秀な学生が、あるときパタッと大学にこなくなった。友人たちも連絡が取れず、部屋に帰っている気配もなく、実家では警察に通報したが事件性が認められないので捜査はされない、そんな状況だとか。
「はあ」
なかなか気にかかる事件だとは思ったが、知らない人物が行方不明になったと聞いてもあまりピンとこないのが正直なところだ。
「それでお前、オカルトは好きか?」
「えっと、話、つながってます?」
唐突な問いかけに、彼は思わず問い返した。一応な、と先輩はうなずいた。
「科学で解明できないこともあるとは思いますけど、信じてるってほどでもないですね」
琥珀が思うところを答えると、先輩は片眉を上げた。
「でもお前、『見える』タイプだろ?」
「そんな話、しましたっけ?」
彼は目をぱちくりとさせる。
「子供の頃のことですよ。それに、幽霊とかじゃなくてイマジナリーフレンドの類だったんだと思います」
幼い頃、大人に見えない何かと話をしていて心配されたことがあった。本人はふんわりとしか覚えていないが、親や親戚はいつまでもネタにしてからかってくるから少しうんざりしている話題だ。
ただ、ネタになるのは事実なので、自分から話すこともたまにはあった。からかわれるのは嫌だが自分で言う分にはかまわないのである。
「へえ」
先輩は特に揶揄う気でもなかったらしい。短く相槌を打っただけで済ませてくれた。
「で、オカルトって言うと、境井さんは宇宙人にでも攫われたんですか?」
琥珀は気になって尋ねた。茶化すつもりでもなかったが、そうした問いかけになったことは否めない。
「あー、宇宙人じゃなくて」
先輩はごほんと咳払いをした。
「魔女」
「は?」
「魔女に、攫われたかもしれん」
「魔女の伝説」はトツイ町に残る伝説のひとつで、曰く、男を食らう美貌の魔女がいるのだと。
見た者が美しいと感じる姿を取るため、その外見は人によって異なる。共通しているのは午後四時頃、黄昏時にお茶会へと男を誘い、そのまま異界に引き込むという点だ。
「それ? ですか? つまり? 境井さんが? 魔女に? 攫われて?」
琥珀が胡乱そうになったのも無理はないだろう。「行方不明の学生は伝説の魔女に攫われた」は突拍子がなさすぎる。
「全部語尾を上げないでくれ。俺もオカルト好きって訳じゃない。ただ……」
ううむ、と先輩はうなった。
「――ここだ」
と、話しながら歩いていた先輩が足を止めたのは、一軒の立派な門構えをした家の前だった。
漆喰の壁に囲まれた広そうな敷地、開けるのが大変そうな両開きの門、表札には「松桐林」とある。いかにも「旧家」「日本家屋」という雰囲気だ。
「まつ……きりばやし?」
「しょうとうりん、らしい」
「へえ、あんまり聞かないですけど、この辺の名家なのかな」
別に尋ねたつもりではない。先輩もその点については特に答えなかった。
「美桜荘から近い。ちょっと散歩でもしたら通りがかるだろう」
「そうかもしれませんね」
この辺りの地図はまだ頭に入っていなかったが、確かに何度か下見をしたアパートはここから数分程度のはずだ。琥珀はうなずいた。
「これが魔女の家ですか? 案外、和風ですね」
「この町の伝説だからな」
「日本の魔女なら日本家屋に住んでるんですかね」
うーん、と琥珀は首をひねる。
「先輩、どこまで本気ですか?」
「三、四割」
「微妙ですね」
「案外信じてる」ようでもあり、「結局信じてなさそう」でもある。
「下手すりゃ中傷でもあるんだが……この家の女には気をつけておけよ」
「間違いなく中傷でしょ」
家の前でそんな話をして、家の人が出てきたらどうするのだろうと琥珀は少し心配した。
「だがな」
ちょいちょい、と先輩は琥珀を手招き、日本家屋から離れる方向に向かった。
「境井がいなくなる前、『お茶会に行く』とか言ってここに来てたって話があるんだよ」
「お茶会? って、魔女の?」
「可能性はある」
「えっと」
「突拍子もないよな、判ってる」
先輩はひらひらと手を振った。
「ただ、注意しとくに越したことはない。この家と、女と、夕方のお茶会。この組み合わせには、な」
そんな話をしたのも、もう数ヶ月前だ。
大学に入学した琥珀は新生活に忙しく、魔女の話を思い出して気にしている暇はなかった。
初めの頃こそ行方不明になった境井なる人物の噂を聞いてみたが「留年しそうになってバックれた」辺りが定番だった。町の伝説についても尋ねたが、地元上がりの学生でも「聞いたことがある」程度で、何なら琥珀の先輩がいちばん詳しかったくらいだ。
その先輩とも顔を合わせていない。学部が違うこともあって、構内で偶然会う確率も低かった。となればオカルト話の優先順位が琥珀の中で下がっていったとしても、致し方のないこと。
だから――。
「有難う、助かりました」
「あー……はい」
それは、ちょっとした偶然だった。
親切心が一歩間違うと犯罪になる昨今、琥珀も安易に他人に声をかけたりしない。いくら華奢な女性が大荷物を危なっかしげに抱えていても、「手伝いましょうか」などと言ったら怪しまれる世の中なのだ。視界に入ったときは気になったが、声をかけるつもりはなかった。
だが、さすがに手伝わざるを得ないではないか。その女性が抱えていた紙袋が破れて、中に入っていた柿がいくつも彼の足元まで転がり落ちてきた日には。
大丈夫ですか、と無意味な問いかけをしながら柿を拾えるだけ拾い、まめにも持ち歩いているエコバッグを提供して感謝された。そこで会釈でもして別れればよかったのだろうが、貸したエコバッグは気に入りでもあったので、向こうの提案するまま相手の家まで荷物運びを兼ねてついていった。
つまり、そうしたら、そこが件の日本家屋だった訳だ。
「家ばかり大きくて」
表札にある通り「松桐林さん」だろうか。女性は謙遜するように言った。琥珀が大きな門構えに驚いていると思ったのだろう。
「すぐ戻りますので」
彼女は琥珀の手から柿の入ったエコバッグを受け取り、中身を置いてくると告げると通用門から入っていった。
さて、どうしたものか。両腕を組んで琥珀は考えた。
例のオカルトを信じるのであれば、今すぐ逃げるべき。信じないのであれば、エコバッグを返してもらうために少し待てばいい。
「お待たせしました」
幸か不幸か、迷っている内に、女性はすぐ戻ってきてしまった。
「お礼代わりに先程の柿を入れてあります。たくさんあってもお困りでしょうから、ふたつだけ」
「ええと」
自分のエコバッグを差し出されて彼は戸惑った。
大量にあった柿を思えば、相手の負担にはなっていない礼だろうが、受け取るかは少々悩ましい。
「うち、果物ナイフないんで」
そう言った。断る口実ではあったが、事実でもある。
「あら」
女性は目をパチクリとさせて、それからクスッと笑った。
「それじゃ、剥きましょうか。どうぞ」
「え」
想定外の誘いがきた。琥珀はますます戸惑う。
「いえ、結構です」
これは断っても当然だろう。琥珀はあまり人付き合いのいい方ではないし、それに――。
「それは……だから?」
「え?」
「『魔女の家』だから断るのかしら?」
「え……」
琥珀は言葉に詰まった。どういう意味だ?
まさか、本当に。
「全く、嫌になっちゃうわよね、小学生かっつーの」
不意に女性の雰囲気がガラリと変わった。
「え」
「だってそうでしょ。古いだけの他人の家を指差して、お化け屋敷ーって言うメンタルと変わらないじゃない。それを成人した若者がやってるなんて、日本の未来は暗いわ」
「知って、いたんですか?」
そんな噂をされていることを。
「もうずっと、散々、やられてるの。数ヶ月くらい前だったかしら、わざわざこの家の前で噂してる馬鹿もいたわ」
「あ」
「出づらかったわよ」
「……すみません」
「あなたが謝ることじゃないでしょ」
「はあ、まあ、そうですね」
謝るべきなのは先輩だ、と琥珀は恐縮しながら同意した。
「それで、『魔女の家』が気にならなければ本当にどうぞ。家に上がるのが抵抗あるなら、庭先で柿とお茶だけでも」
「えーと」
「できたら柿を消費してってほしいのよね」
「え?」
「見たでしょう、さっきの。いただいたはいいけれど、食べ切れる量じゃないの。配って回らなくちゃ」
続けて言われたのはつまり、先ほど運んだ大量の柿を少しでも減らしたいということか。
「ええと、じゃあ、少しだけ」
小学生男子並みの噂話を少しは本気にした詫びも兼ねて、琥珀は庭先にお邪魔することを決めた。
(女と、夕方と、お茶会)
ふ、と先輩の言葉が耳に蘇る。
(「お茶会」ってのは、あれだよな。紅茶とお菓子とかで)
(柿と日本茶とか麦茶とかなら、お茶会とは言わないよな)
そんなことを思いながら彼が通用門をくぐったとき、午後四時を告げる町のチャイムが鳴った。
魔女、もとい、柿の女性は琥珀を庭へ案内すると、縁側を指した。もごもごと何か言って琥珀はそこに座った。
門構えに相応しい大邸宅と、そこに相応しい日本庭園。木々は新緑の季節であるというのにきれいに刈り込まれた状態のまま、敷かれた砂利から雑草が出ていることもない。敷石も傷ひとつなくて、土足でいいのか迷うくらいだった。
「麦茶でよかった?」
「あ、どうも」
初夏の日差しは汗ばむほどのこともないが、こんな立派な家、かつ初対面の女性の家、もとい、庭に上がり込む経験はまあまあの緊張を伴う。乾いた喉を潤せるのは有難かった。
何やら複雑な彫りの入った盆を差し出され、琥珀はその上の麦茶を受け取る。これまた何やら上等そうなグラスで、また少しだけ緊張しながら口を付ける。ほどよい冷たさと、強いがきつすぎない焙煎の香り。「高級な麦茶」というものがあるならたぶんこれだろうな、といつも格安麦茶を淹れている若者は思った。
「時に、お名前は?」
「琥珀、です。遠野琥珀」
「あらすてきね。私は、綾と言うの」
「はあ」
名乗られて、もぞもぞしてきた。どうして自分はこんなところで見知らぬ女性と隣り合い、自己紹介などし合っているのか。
「えっと、やっぱり帰ります。お茶、ごちそうさまでした」
「あら、柿は?」
先ほどの盆の上には、たぶん何とか焼という美しい小鉢も載っていた。そのなかにはもちろん、鮮やかな色の柿。
「実は、果物が苦手で」
嘘だ。特に好きではないが、あれば普通に食べる。ましてやこんなふうにカットされて丁寧にピックまでついていたら、菓子を摘む感覚でパクつくだろう。
「そう? でもこの柿はとても美味しいのよ。一口だけでも、ね?」
綾が促す。
「いや……」
魔女だなんて信じていない。あんなのは先輩の冗談だ。そう思っている。
だが、違和感があった。
だって、おかしくないだろうか。
「あの」
思い切って、彼は口を開いた。
「柿って、秋の果物ですよね? 早くても、たぶん夏の終わりとか。それがどうしてこんな、夏に向かう時季に?」
そうだ、そこに引っかかっていたのだ。
普段果物を食べなくても知っている。実家では、秋が深まると近所から柿が配られるのが毎年のことだった。
「これって、本当に……ただの柿ですか?」
続いて出たのは、そんな質問だ。
「よもつへぐい」という言葉が胸をよぎっていた。あの世の食べ物を食べてしまったら、もうこの世に戻れなくなるという、日本神話。
「どうしてそんな顔をするの?『コハク』」
呼んだ。
女が。
彼の名を。
「え」
足が動かなかった。相手の答えが何であろうと立ち上がろうと思っていたのに。
「安易に名乗るものではなくてよ、『遠野琥珀』くん。人間は簡単に呪いにかかってしまうから」
「呪い? 人間? まさか……」
「ちゃんと警告を受けていたのに、『常識』なんかを優先してしまったのね」
笑った。女は。おかしそうに。
「まさか、でも……」
気をつけろ。
数ヶ月前に聞いた話が頭のなかを回り始める。
まさか。そんなこと、あるはずが。
「さあ、もう少し仲良くしましょうか――」
女の白い手が伸びてくる。動けない。まるで金縛りに遭ったかのようだ。目は見えているし、意識もはっきりしているのに、ただ身動きすることがだけができない。
長い指が、爪が、彼の頬に触れようとしていた。
その、ときだった。
「いい加減にしろ、魔女が!」
不意の怒声と、そして反対側から琥珀を引っ張り上げる力があった。
「お前もだ、琥珀! ちゃんと伝えたろ!?」
「え、あ、せんぱ……」
覚えのある姿に琥珀は目を丸くした。そこにいたのは彼より少し年上で彼より少し長身の、よく知る相手。
「どうして、ここに?」
「そんなことはどうでもいい」
「いや、ちっともよくないと思います」
「あとで話す」
「しばらく顔見せてなかったのに何で突然こんなときに」
「こんなときだからだろうがよ!」
先輩は琥珀を立たせると、自分の背後に隠すようにした。もちろん、隠せる訳はなかったのだが。
「ふうん、『先輩』」
そこで、綾が声を出した。笑いを含んでいるようにも聞こえた。
「よくご覧なさい、琥珀。それは『先輩』なんかじゃないわよ」
「は?」
「ここは私の聖域。招かれない限り、人間は入ってこられない」
「へ?」
琥珀はぽかんとした。綾は、いま何を言っている?
「じゃあ聞くけれど。その男の名前は? どこで知り合ったの? あなたの他にその『先輩』を知る人物は?」
「そんなの」
判っている。いくらでも挙げられる。そう思った。
「あれ……」
だが、琥珀は詰まった。答えが出てこない。
名前。先輩の名前。知らないはずがないのに。
高校の先輩? どうやって知り合った? 部活の先輩でもないし、塾の類で出会ったのでもない。
いったいいつから、どうやって。
「くっそ、だから魔女は嫌いなんだ」
「先輩」は舌打ちをした。
「琥珀! 俺の名前なんて些末なことだ! 俺を長年知ってるのは確かだろう!?」
「いや、ちっとも些末じゃないと思います」
「大事よね。私たちはお互い名乗り合ったわよね、琥珀」
「名乗り合うくらい、人間はわりと誰とでもやるんで。特別なことじゃないです」
どういう状況だろう、と混乱しながら琥珀は淡々と返した。
「琥珀! 俺を信じろ!」
「琥珀! あなたを騙していた男よ!」
「えっと」
どういう状況だろう。
「……僕、モテ期、きてます?」
「呑気だな、お前は」
がくりと「先輩」は肩を落とした。
「いや、こんなに熱く『信じろ』とか言われたことないんで。ちょっと新鮮でした」
真顔で答えてから、琥珀はひとつ咳払いをした。
「綾さん。麦茶ごちそうさまでした。帰ります」
「……ふっつーに退席の挨拶をやり直したわね」
「他に言うことがちょっと思いつかなくて」
立てるようになったし、と琥珀は足踏みするようにして再確認した。
「――よもつへぐいを疑ったのよね」
「え」
「それで、柿を食べなかったんでしょう」
「え、まあ、その、はい」
「なら、どうして、お茶は大丈夫だと思ったのかしら」
「え……」
琥珀はすっと顔を青くした。「先輩」がぎょっとした顔を見せる。
「お前、飲んだのか!」
「す、少しだけ……」
「なんてね」
は、と女は片手を振った。
「ただの麦茶よ。こっちも、時間がずれてるだけでただの柿。私がたまたま、さっきまで秋にいただけ」
「秋に?」
「こいつは季渡の魔女だな。季節を行き来する」
「キワタリ? いや、そんな専門用語みたいの使われても……ジブリを知らない人にはトトロもカオナシも同じに見えるって知ってます?」
「誰がカオナシよ!……私は季節を飛べるだけ」
「え、すごくないですか」
「好きな時間軸に行ける訳じゃないから役に立たないわね。暇な時に散歩する程度」
「散歩で季節を跨ぐ? 素敵ですね」
「そう? 有難う」
「和むな。仲良くなるな。おい、どうして琥珀を狙った」
「あんたが人のこと魔女だの何だの言い立てるからよ! 新参者の分際で!」
「何をう? ただの事実だろうが!」
「害のない魔女のことなんか放っときなさいよ!」
「あのー、害はないんですか?」
はい、と手を上げながら琥珀はストレートに問うた。
「行方不明になった人の話を聞きましたが」
「境井君のことなら、取って食った訳じゃないから。彼、やりたいことがあるのにおうちに反対されてるって悩んでたから少し焚き付けはしたけど、それだけよ。今は別の町で頑張ってる。行方不明のままだとまずいから一報は入れなさいって言ってあるんだけど」
「……わりと真っ当」
「こちとらこのトツイ町で長くやってんの。住民に悪さなんか働かないわよ」
ふん、と綾は鼻を鳴らした。
「じゃあさっきの『呪い』は?」
「あれは忠告。あなた、隙だらけだから。今後は簡単に名乗らないようにしなさいね」
「あ、どうも」
「感謝をするな。食われるところだったんだぞ」
「食わないわよ! 失敬ね」
ふう、と彼女はため息をついた。
「境井君が、こうやって縁側で話をすることをお茶会って言ってたのは知ってたけど、お茶会の伝説を持つ魔女は私じゃないですからね」
「へ」
「いっぱいいるのよ、この町には。そういうの」
ひらひらと女は手を振った。そう言えば怪異の伝説が多い町だとか、と琥珀は思い出す。
「もういいでしょ。柿を減らしてくれないなら出てって。琥珀君も」
「あ、はい。異論はないです」
「――今度は最後までふたりきりでお茶にしましょうね」
そこで綾はにこっと琥珀に笑いかけた。「先輩」が剣呑な顔をする。
「僕、当分は忙しいんで」
あっさりと琥珀は言った。
「『彼女とか、興味ないんで』みたいな断り方する?……まあいいわ、行きなさい」
嘆息してから綾は、しっしっと追い払うような仕草をした。そのまま琥珀は「先輩」に引きずられるようにして日本家屋の外に出る。ちらりと女を見たが、もう彼らの方を気にすることもなく、盆を片付けていたようだった。
「……あれの言うことが本当なら、俺が余計な真似をしたせいだな。すまなかった」
「先輩」が足を止めてそう謝罪したのは、いくつか角を曲がって、日本家屋がすっかり見えなくなってからのことだ。
「いや、別にいいんですけど。貴重な体験でしたし。面白かったです」
琥珀は正直なところを言ったが、「先輩」は呆れた顔をした。
「あのな、害がないなんてあいつの自称だぞ。一歩間違えば戻ってこられなかったかもしれないのに」
「戻ってきてるんだからいいでしょ」
「あっさりしたもんだな、お前は」
ふう、と「先輩」は嘆息する。
「で、先輩」
「……お前、それでも俺を先輩って呼ぶのか」
「先輩」それとも「何か」はどこか困ったように言った。
「名前、知らないんで」
やはり淡々と琥珀は返す。
「『高校の先輩』って認識でしたけど、考えてみたら確かに、他の同級生と一緒に会ったことないんですよね。そもそも、高校の先輩のはずはないんです。もっと前から……知ってるので」
「思い出したのか」
「先輩」は息を吐いた。
「まあ、そうだな。お前が困ったときに相談しやすい相手が近所の兄さんとか遠くの親戚とか中高の先輩だったりした訳だ」
「それって、先輩は先輩じゃなくて、妖怪とかそういうのってことですか?」
「言い方」
「すみません」
「いや、人間じゃないのは確かだし、今回はしくじってもいるし、偉そうには言えないな。そもそも、勝手にやってることだ」
「勝手に手を貸してくれてるんですか? 何で?」
やはりストレートな問い。
「……『イマジナリーフレンド』」
「え?」
「思い出してみな」
「え……」
(お前、「見える」タイプだろ?)
(そんな話、しましたっけ? でも子供の頃のことですよ)
数ヶ月前のやり取り。
「えっ、ちょっ、まさか」
幼い日の思い出。自分にしか見えない友だちは、想像上の存在だったのだと。
「……先輩って……『
おそるおそる、その名を口にのぼせた。当たり、と「先輩」――天青はにやりと笑う。
天青石。
子供の頃、誕生石というものを教わったとき、自分のそれが琥珀でないことに小さな彼はぐずった。それに対して、ラピスラズリもとてもきれいだよと、青い石をもらったのだ。
確かにそれはとても深い青で子供の心をつかんだ。「天青石」と言うのだと聞いて、友だちのように話しかけていた。
いつしか本当に同年代の子供の姿が見えるようになっていたが、ほかの誰の目にも映っていなかったから、想像上の存在だったのだとばかり。
「名前をもらったことで俺は形を得、お前を守ってる。まあ、守護霊みたいなもんだと思え」
「守護霊……」
「何しろこの町は異界に近い。知ってるか?
怪異の多い町だと琥珀に教えたのは先輩――天青だった。
「ここにいたらおそらくお前はまたどんどん『見える』ようになってくる。だから俺もはっきりしてるし、それに気づいた人外もちょっかいをかけてくるかもしれない。俺の存在は役に立つぞ?」
「……と言うと?」
「じゃ、先に帰ってるからな。普段はお前にも見えない状態になっとくから、場所は取らんよ」
「……つまり?」
「トツイの人外連中から守ってやるって言ってんの」
じゃあな、と天青は手を振り、そして、消えた。文字通り。すっとかき消えた。
「ええと」
残された琥珀は両腕を組み、しばし考える。
「部屋の契約、どうなってたかな……同居って可だったっけ?」
ある意味前向きに捉えながら、琥珀は守護霊の待つ部屋へ帰ることにした。
―了―
黄昏時にお茶会を 一枝 唯 @y_ichieda
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