最終話:不忠者の生きざま

赤穂の討ち入りから16年の歳月が流れた。浅野家の再興、徳川家宣の死去、江島生島事件、徳川家継の死去、そして徳川吉宗の将軍就任等が起こった。そして享保4年(1719年)、赤穂浪士の17回忌法要が行われていた


「お前様、本当に参加しなくて宜しいのですか?」


「ああ、ワシは不忠者の赤穂浪士だからな。参加する事自体、烏滸がましいわ。」


登代(43歳)の問いに千種庄兵衛【五十嵐十郎太達敏】(50歳)は17回忌法要に出席しなかった。進藤刑部大輔から参加するよう書状を送られたが自分は赤穂とはこれ以上、関わりたくない事を告げ、あくまで他人として距離を置いたのである


「(共に討ち入りに参加しなかった赤穂の生き残りは堂々と参加したようだが、ワシには到底真似できないわ。)」


風の噂で討ち入りに参加しなかった赤穂時代の上司や同僚たちが17回忌法要に参列したようだ。千種としてはその面の皮の厚さに清々しさを感じざるを得なかった


「父上。」


「ん、清兵衛か。」


千種に声をかけたのは菊丸改め、息子の千種清兵衛(23歳)である。千種屋の次期跡取りとして活動、私生活では親交のある豪商の娘を妻を娶り子供を儲けている。千代(21歳)も親交のある豪商の跡取り息子に嫁ぎ、次期跡継ぎの総領息子を儲け、夫婦仲良く暮らしている。太吉(68歳)と加代(67歳)は今でも元気よく働いている。それは置いといて清兵衛から用件を聞くことにした


「それで何事だ?」


「はい、奥野将監様と名乗る御方が参られました。」


「何!?」


「奥野様が・・・・」


奥野将監と聞いて千種は耳を疑った。千種だけではなく妻の登代も驚きの表情を見せた。奥野将監定良とは赤穂藩で組頭【石高1000石】を務めた人物で大石信清の従兄弟であり、大石内蔵助とは親戚の間柄である


「と、取り敢えず客間へ通せ。」


「はい。」


「登代、客人を出迎えよ。」


「は、はい!」


千種は身嗜みを整え、すぐに客間へ入ると、そこには白髪頭でしわくちゃの顔の老人、奥野将監が上座に座っていた


「お待たせ致しました。」


「うむ。」


千種は下座に座り、奥野将監と向き合う形で座った。千種は頭を下げて奥野に挨拶をした


「御久しゅうございます、奥野様。」


「久しいな、五十嵐・・・・いや今は千種庄兵衛だったな。」


「奥野様もお元気そうで・・・・」


「あぁ、赤穂にいた頃を思い出すわい。」


「ええ、あの赤穂事件がなければ・・・・」


「そうじゃのう。」


千種と奥野が思い出していたのは主君、浅野内匠頭が起こした刃傷沙汰である。あれさえなければ互いに順風満帆に暮らしていたであろうと。それは置いといて奥野が赤穂浪士の17回忌法要に出席した事を告げた


「奥野様は出席されたのですか?」


「ああ、御城代(大石内蔵助)と瀬左衛門(大石信清)の菩提を弔いたかったからな。」


「はあ~。」


「そなたは出席しなかったようだな。」


「はい・・・・これ以上、赤穂とは関わりたくなかったので・・・・」


「・・・・そうか。」


「そういえば、奥野様は今は何をされているのでございますか?」


奥野はそれ以上、何も聞かずに話を終えると千種は話題を変えた。奥野はというと娘が嫁いでいた加西の下道山の磯崎神社神宮寺秀経に身を寄せ、名も右衛門と改めて新田開発に尽力したという


「田畑の開墾・・・・にございますか。」


「ああ、赤穂浅野家再興が叶わぬ以上、御城代の下を離れざるを得なかった。結果としてはワシは不忠者の烙印を押されたがな、ははは。」


大石内蔵助たちの起こした仇討ちによって奥野自身も世間の目を気を付けているのだという。千種自身も三次藩にいた頃、あからさまな嫌がらせと罵倒等を受けており、名前も出自も偽り、生きてきたので奥野の気持ちは痛いほど分かっていた


「それにしても、そなたが商人になっていたのは驚いたな。」


「まぁ、役職で得た経験を活かす事ができました。」


「そうか、ワシには真似できんな・・・・あっ、そうだ。」


「如何なさいましたか?」


「御城代に御子がおるのは知っておるな。」


「えぇ、確か松之丞様、吉千代様、るり様、くう様でしたよね。」


「いや、2人おる。1人はりく殿が生んだ大三郎、もう1人は妾のお軽が生んだ子だ。」


「は、はぁ~。」


千種は思い出した。大石内蔵助は女癖が悪く夜な夜な悪所通いをしている事は半ば公然の秘密であり妾の1人や2人は珍しくなかった


「廓通いを辞めさせるために身の回りの世話としてお軽という娘を御城代の下へ遣わした。その時に御城代の子を身籠っていたそうだ。」


「それでその妾と子供は生きているのですか?」


「お軽は正徳3年(1713年)に失くなったと聞く。子供の方は男子で幼名は松若(まつわか)、今は出家し名は浄雲(じょううん)と名乗っている。歳の方は今年で15か、16になるそうだ。」


お軽の死後、松若は紆余曲折あって進藤刑部大輔の下へ預けられ、そこで出家し浄雲と名乗ったという。今は修行の旅に出掛けているのだという


「もしかしたら、そなたの下に現れるかもしれん。その時は御城代の事を話してくれ。」


「何故、そこへ大石様の話を?」


「御城代、実の父の事を知りたいそうだ。何せ生まれた時から実の父の顔を知らずにいたのだ。それも武士の鑑と称えられた大石内蔵助ともなればな。」


「奥野様はその者にお会いになられた事は?」


「いいや、17回忌には浄雲が出席しておらぬ故、顔は知らぬ。」


「そうですか。」


「もし尋ねてきたらの話だ。その時はありのままの御城代を伝えてくれ。」


「はい。」


「長居をしたな、このまま播磨へ帰る。」


「随分と急ですね、泊まっていってもよろしいですが。」


「いや良い。そなたも忙しそうだからな。」


「ではお見送りを。」


「すまんな。」


そう言うと奥野はそのまま播磨へ帰った。見送りをした千種たちは奥野の哀愁漂う背中を見送ったのである


「奥野様のお背中、寂しゅうございましたわね。」


「あぁ、あの御方も相当苦労されたようだからな。」


奥野が去ってから数ヶ月後、千種は四天王寺の豊稔(ほうねん)から茶会の誘いを受けた。千種は正装に身を固め、四天王寺に入ると住職の豊稔が出迎えた


「ようこそお越し下された、千種屋さん。」


「こちらこそお招き頂きありがとうございます。」


「さぁ、こちらへ。」


そのまま寺の中にある茶室へと向かうと豊稔が他にも客人がいる事を告げた


「千種屋さん、もう1人おりますが、宜しいか?」


「ええ、構いませんが・・・・」


「それは良かった。」


豊稔のいう客人について首を傾げつつも茶室に辿り着いた。茶室に入ると、そこには見た目が10代ほどで黒い袈裟を纏った若い修行僧の姿があった。その修行僧は豊稔と千種の姿を見掛けると挨拶をした


「和尚様。」


「待たせたのう。」


「そちらの御方が・・・・」


「あぁ、此度の茶会に招待した千種屋さんだ。」


「御初に御目にかかります。拙僧は修行の旅にて諸国を行脚する浄雲と申します。」


浄雲と聞いた瞬間、千種の背筋がゾクッとした。大石内蔵助の隠し子が目の前に現れたのである。千種はなるべく平静を装いながら浄雲に挨拶をした


「こちらこそお初にお目にかかります。手前は千種屋の主、千種庄兵衛と申します。本日は豊稔和尚のお茶会のお招きにあずかりました。以後、御昵懇のほどを・・・・」


「こちらこそ。」


「では茶会を始めましょう。」


「「はい(ええ)」」


静寂な雰囲気の中で茶釜の沸き立つ音と鳥の囀りが響き渡る茶室、亭主である豊稔が茶を点て、千種庄兵衛と浄雲は静かに待っていた。茶が出来上がると最初は千種、最後は浄雲の順で茶を一服した。茶を飲み終えた後、「結構のお点前にございました」と挨拶をした。お茶会が終了すると同時に小坊主が「失礼します」と茶室に入ってきた


「どうした?」


「和尚様、檀家の方々が法事についてお話したと。」


「そうか。千種屋さん、浄雲、申し訳ないが拙僧はこれにて失礼する。」


「「はい。」」


豊稔が去った後、茶室には千種庄兵衛と浄雲のみとなった。千種としては目の前にいる大石内蔵助の落胤である浄雲に対し、何を話したら良いか迷っていると浄雲の方から話しかけてきた


「千種屋さん。」


「な、何でしょうか?」


「進藤刑部大輔様から伺っております。」


進藤刑部大輔の名が出た途端、千種は察した。千種は取り敢えず外に人がいるかどうか確認した後、浄雲に向かい合った


「大石様の事ですか?」


「・・・・はい。」


「私の話せる範囲でなら構いませんか?」


「是非。」


「分かりました。」


千種は赤穂にいた頃の大石内蔵助の事を話し始めた。浄雲は何を喋らずひたすら聞き入っていた。話を終えると浄雲は静かに目を瞑ったまま黙り込んでいた。千種はそんな浄雲に話しかけずに待っていると浄雲はすっと目を開け、話し始めた


「ありがとうございました。」


「浄雲殿は大石様の事をどう思われているのですか?」


「・・・・信じられませんね。」


「信じられないとは・・・・」


「はい・・・・武士の鑑としての大石様と普段の大石様と食い違いがありすぎて・・・・」


それには千種も同意した。何故、争いを嫌う温和な大石内蔵助が討ち入りを決断したのか。それをそそのかした自分がいうのもなんだが・・・・


「仰る事は分かります、手前も未だに信じられませんが・・・・ただ。」


「ただ、何でしょうか?」


「人は追い詰められると普段から隠していたもう一つの一面が表に出る事がありますからな。」


千種自身も討ち入り後に大石内蔵助が何故、あのような事をしたのか考えに考えた結果、追い詰められた自分自身と同じ境遇に晒されたものだと悟ったのである。それを聞いた浄雲は「そうですか」と漏らすしかなかった。千種は意を決して大石をどう思っているのか尋ねた


「浄雲殿は・・・・大石様をどう思っておられるのですか?」


「・・・・一度、お会いしてみたかったです。拙僧に松若と名を与えてくださった父と・・・・」


父である大石内蔵助に会いたいという浄雲に千種は「申し訳ない」と謝罪した


「何を謝るのですか?」


「手前が・・・・手前が大石様をそそのかしたのが原因だ。」


「え・・・・」


千種はこれまでの経緯を話し始めた。赤穂城の開城の後、浅野家再興と吉良家の処分、そして仇討ち等、全ては自分の欲望のためにした事だと浄雲に白状したのである


「浄雲殿、手前が・・・・手前が・・・・あのような事を言わなければ・・・・・」


千種の目から涙が零れ落ちていた。それを見た浄雲は「もういいです」と千種を制止した


「千種屋さん、仮に貴方が仰られずとも誰かが父に進言していたでしょう。父も不本意ながらその道を選ばざるを得なかったのです。どうかご自分を御責めにならないでください。」


「浄雲殿・・・・」


「全てをお話しいただきありがとうございました。」


「ううう・・・・」


浄雲の感謝と慰めの言葉に千種はすすり泣いた。千種は今まで積もりに積もった無念と後悔が一気に噴き出した瞬間であった。そんな千種の姿に浄雲の瞳からは一筋の涙が零れ落ちた。それから時が過ぎ、すっかり外は夕焼けになっていた。千種はすっかり泣き止み、浄雲に御礼を述べた後、四天王寺を去っていた。その道中、千種は昔を思い出していた






【回想始まり】


五十嵐十郎太達敏は才覚と算術によって御塩奉行(150石)へと昇進した。主君である浅野内匠頭長矩に呼ばれた


「御召しにより参上致しました。」


「五十嵐十郎太。」


「ははっ。」


「そなたも分かっているが藩の財政は逼迫しており、家計も火の車状態だ。そのためにも赤穂の塩による売り上げで藩財政を建て直すしかない。そなたにも一層の努力をして貰うぞ。」


「ははっ、微力ながら粉骨砕身でお役目を果たして見せまする。」


「五十嵐、これからの赤穂藩はそなたの手に掛かっておる。どうか、宜しく頼む。」


すると浅野内匠頭は頭を下げた。それを見た五十嵐は驚き、辞めるよう説得した


「と、殿、某のような若輩者にそのような・・・・」


「いや、赤穂藩の存続のためなら頭を下げる事なぞ造作もない。五十嵐よ、赤穂藩を頼んだぞ。」


「は、ははっ!」


浅野内匠頭との遣り取りを終えた後、五十嵐は大石内蔵助に呼ばれた


「お呼びにございましょうか?」


「うむ、五十嵐よ。赤穂藩はそなたのような優れた才覚の者に委ねられた。赤穂藩の未来はそなたの肩に掛かっておる。」


「恐れ入りまする。」


「ワシは塩の事も藩の財政の事も分からぬ凡庸な男だ。精々、できる事はそなたのような人材を支えるのみだ、宜しく頼む。」


そう言うと大石も頭を下げた。五十嵐は再度、頭を下げる事を辞めるよう説得した


「御家老、どうかお手をお挙げくだされ。」


「ワシのような昼行灯にできる事はそれしかないのだ。」


「御家老・・・・」


「五十嵐よ、赤穂藩を頼んだ。」


「ははっ!」


【回想終了】






「ワシはとんだ裏切り者だな。」


浅野内匠頭と大石内蔵助から頭を下げられた事を思い出した千種は自分自身を「裏切り者」と自嘲した。もしあの時、討ち入りに参加していたら、どうなっていたか・・・・


「今更、悔いても仕方がない。こうなれば精一杯、抗ってみせるわ。」


その後の千種庄兵衛は70年の生涯を閉じたのである。その後の千種屋は一度、廃業したものの別の名で再び再建し現在まで至った。赤穂藩の歴史書において五十嵐十郎太達敏についての記述は記されていない




【架空の人物】

浄雲【大石内蔵助とお軽の息子、幼名は松若】


※赤穂浪士の討ち入りの前後の物語を架空の人物を通して執筆致しました。最後までご覧いただきありがとうございます


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忠臣蔵外伝【不忠者の人生】 マキシム @maxim2020

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