第39話:碁盤太平記

「生類憐れみの令も無くなって良かったわ。」


「そうですわね。」


大坂の町もようやく活気を取り戻し、千種屋もようやく持ち直したところであった。京にいる進藤刑部大輔にも千種屋が再開した事を報告し今でも近衛家の御用商人として活動をしている。徳川綱吉が死去した事で生類憐れみの令は廃止され、大坂でも堂々と鳥獣や魚が食べられるようになったのである。千種庄兵衛たちは生類憐れみの令が出されている時は小料理屋【八丁】に行く事が通例であったが先の宝永地震によって女将含め料理人は行方不明及び死亡し、小料理屋【八丁】は廃業になったのである


「(八丁が無くなったのは流石に痛いが・・・・まぁ、悪法が無くなったから良いか。)」


千種庄兵衛は登代と菊丸と千代と共に鰻屋にて食事をしていた。鰻屋は生類憐れみの令で一時廃業していたが今は盛況しており、多くの客が出入りしていた


「流石に混んでいるな。」


「菊丸、千代、はぐれてはいけませんよ。」


「「は~い!」」


鰻屋に入った千種たちは予め予約していた部屋へ案内された。部屋に入った千種たちは席についた後、鰻の塩焼きを注文し待ち続けた。その間にも多くの客がぞろぞろと入れ替わり立ち替わりが多くなっていた


「これだけ混むと時がかかるな。」


「「お腹、空いた。」」


「もう少しの辛抱よ。」


「御待たせしました。」


そこへ鰻屋で働く娘が鰻の塩焼きを持ってきた。千種たちは、待ってましたとばかりに目を輝かせた。子供たちは早速、鰻の塩焼きに手を伸ばそうとしたところ、登代に「これ」と手を軽く叩き、注意した。その姿を微笑ましく見ていた千種は「ではいただこう」と声をかけると子供たちは「いただきます」と元気よく挨拶をした。千種たちは箸を持ち、鰻の塩焼きを食べると程好い塩加減と焼いた鰻の香ばしさが口に広がった


「うむ、やはり美味いな。」


「美味にございますわね。」


「「美味しい♪」」


登代と菊丸と千代は久し振りに食べる鰻の塩焼きに舌鼓を打っていた。添え物として味噌汁と漬物もあって白飯が進み、あっという間に無くなった


「「父上、もっと食べたい!」」


「如何なさいますか、お前様?」


「そうだな、お代わりするか。」


「「やったあああ!」」


「これ、はしたない。」


「ははは。」


お代わりの鰻の塩焼きを食し、満足する千種たちであった






「千種屋さん、早速ですが援助の方をお願いいたします。」


「例の碁盤太平記にございますか?」


「はい。」


千種庄兵衛の下へ近松門左衛門が来訪した。目的はかねてから計画していた碁盤太平記を御披露目するために援助の依頼で参ったのである


「近松さん、舞台の方は大丈夫なのですか?」


「御心配には及びません。舞台の方もしっかりと用意しております。」


「そうであれば構いませんよ。」


「おお、流石は千種屋さん♪」


「おだてても金しか出ませんよ(笑)」


千種は約束通り、資金援助を行い大坂竹本座にて碁盤太平記を行う事が決定したのである


「千種屋には特等席を用意しております。」


「これは忝ない、芝居を楽しみにしておりますぞ。」


「ええ。」


宝永7年(1710年)、大坂竹本座にて近松門左衛門主催の人形浄瑠璃【碁盤太平記】が行われた。赤穂浪士の討ち入りという事で多くの観客が押し寄せた。芝居の援助をした千種庄兵衛は家族と共に特等席にて舞台を拝見する事となった


「いよいよですわね、お前様。」


「あぁ。」


「「人がいっぱいいる!」」


「千種屋さん。」


「これは近松さん。」


特等席にて幕が開くのを待っているとそこへ今回の碁盤太平記を主催する近松門左衛門本人が現れた


「本日は大盛況ですな。」


「これも千種屋さんの御贔屓があっての事です。」


「御世辞でも嬉しゅうございます。」


「先生、そろそろ。」


近松と話しているとそこへ竹本座の関係者が現れ、舞台が始まる刻限である事を告げた


「千種屋さん、そろそろ幕が開きますので私はこれにて。」


「えぇ、また後ほど。」


するとカン、カンと拍子木(ひょうしぎ)が会場中に鳴り響いた。拍子木と共に舞台の幕が上がり始め。そこへ浅野内匠頭と思われる人形と吉良上野介と思われる人形を持った黒子が登場した。そこからは吉良が浅野を意地悪するとところから始まり、それに怒った浅野が脇差しを抜いて「この間の遺恨覚えたるか」と掛け声が響いた。それを見ていた登代は疑問に思い千種に尋ねた


「お前様、殿は本当に吉良様から、あのような仕打ちをお受けになられたのでしょうか?」


「さぁな、こればかりは当事者のみしか知らぬ。」


実際、千種庄兵衛【五十嵐十郎太達敏】は赤穂におり、堀部安兵衛等の江戸に在住していた藩士から聞いた話しか知らないから、どこまでが真実なのかは分からない。今となってはどうでもいいが・・・・


「本日はこれきり~。」


「これからだぞ!」


「続きを見せろ!」


「申し訳ございませんが、日が暮れましたので明日行います。」


どうやら外は日が暮れていたようで芝居もいいところであったが主催者側から終了の合図が出た以上、明日までのお楽しみである。客がぞろぞろと帰っていくのを確認した千種たちも帰る準備を進めていると、そこへ近松がやってきた


「近松さん。」


「千種屋さん、途中で終わる形で申し訳ない。」


「相当長く作られたようですな。」


「ええ、赤穂浪士の噂を頼りに私なりに考えた討ち入り劇ですからな。まあ、実際のところはどうかは分かりませんが・・・・」


近松自身も実際の討ち入りがどんなものかは分からず、赤穂浪士に関する噂を下に作ったようで完全なものではないようである。千種としては楽しめればいいかという思いであり、あまり気にしなかった


「近松さん、面白ければいいのです。客が喜ぶ作品にすれば真実など、どうでもよろしいですよ。」


「そう言っていただけると作家冥利に尽きますわ。」


「明日、楽しみにしておりますよ。」


「ええ、御期待に添えるよう励みます。」


「では手前等はこれにて。」


「近松様、これにて失礼します。」


「「さようなら。」」


「ええ、お気をつけて。」


近松と別れた千種たちは真っ直ぐ、千種屋へと向かった。その道中、登代が千種が言っていた事が気になり、再度尋ねた


「お前様は実際の赤穂の方々の思いをどう思ったのですか?」


「何だ、藪から棒に?」


「先程、近松様との会話で真実など、どうでも良いと仰いましたが・・・・」


「ああ、あれか。仮に真実が分かったとしても、所詮は夢幻の如く消えていくものだ。まあ、大事なのはどう生きてきたかだとワシは思う。」


「どう生きてきたか・・・・にございますか?」


「ああ、争いを嫌った大石様でさえも最後に仇討ちを選んだ。ワシも仇討ちをせずに家族と生きる道を選んだんだ。それでいいではないか。」


「は、はあ~。」


登代は半信半疑な反応に千種は苦笑いを浮かべた。そして両親の話を黙って聞いていた菊丸と千代は「お腹、空いた」と声をあげた


「そうか、腹が空いたか。よし、今日はどこかで食べにいこうか。」


「「やった!」」


「あらま。」


「うどんでいい?」


「「うん!」」


千種たちは夕餉(ゆうげ)をいただいた。先程の会話がなかったかのようにうどんを平らげた後、そのまま真っ直ぐ、千種屋へ帰った。そして次の日、近松門左衛門主催の碁盤太平記の続きが行われた。観客たちが「待ってました」とばかりに押し掛けた。千種たちも特等席にて、その続きを見る事となった。今、行われているのは円山会議である


「大石様が仇討ちを決定されたのですね。」


「ああ、赤穂藩再興が叶わぬ以上、仇討ちしか道がなかったからな。」


千種がまだ五十嵐十郎太達敏だった頃、当時の赤穂城は荒れに荒れていた。城明け渡しか、籠城か、仇討ちかで分裂していた状態であり、五十嵐としては新しい仕官先(三次藩)に向かうために大石内蔵助に進言したのがきっかけではあるが・・・・


「(今にして思えば皮肉なものだな。)」


そこからは話が進み、そして本命ともいえる赤穂浪士の討ち入りの回に入った。大石内蔵助と思われる人形を持った黒子が現れた。人形の手には陣太鼓があり、黒子が動かすとドンドンと太鼓の音が会場中に響いた。客席から「おお」と声をあげると大石の他の赤穂浪士の人形と吉良方の人形を持った黒子が続々と現れた


「我等は浅野内匠頭家来にござる、今宵は亡き主君の無念を晴らさんがため、推参致した!」


口上と共に刀を持った浅野方と吉良方の人形が激突した。客席からは「負けるな」とか「そこだ」と「斬れ」と浅野方を応援する声が響き渡った


「会場が盛り上がっているな。」


「「凄い、凄い!」」


「あらまあ。」


そして物語は佳境を向かっていった。炭焼き小屋に隠れていた吉良上野介は赤穂浪士の前に引き据えられ、大石内蔵助と対面した。大石が名乗りをあげたところ、吉良上野介に切腹を迫った


「嫌じゃ、何故このワシが・・・・」


「吉良殿!この期に及んで卑怯な!」


大石内蔵助が刀で吉良上野介を討ち果たすと客席から「おお!」と声が多数上がった。そして泉岳寺への報告、最後に浪士たちの切腹で終了した。終了後は客席からは「武士の鑑」と拍手喝采に包まれた


「些か大仰だが物語としては悪くなかったな。」


「そうですわね。」


「「面白かった!」」


特等席にて千種たちは作品の出来に満足していた。特に千種としても碁盤太平記に支援した元手以上の利益が返ってくる事に至極満足していた。客席は満足した様子で多くの客が退席していった。千種たちも帰る準備を進めていると、再び近松が尋ねてきた


「千種屋さん。」


「近松さん、なかなかの出来でしたぞ。」


「ええ、感動しましたわ。」


「「面白かった!」」


「お褒めいただき光栄ですな。」


「私も援助した甲斐がありました。」


「畏れ入ります。」


以降、碁盤太平記がきっかけで仮名手本忠臣蔵にも繋がり、後世に続く忠臣蔵へと続くのであった




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