第2話 守りの蔦




『ギャオオオォォォ』

 彼女の声で目を覚ますと、もうそろそろ日が昇る頃だが部屋の中はまだ薄暗い。そんな中、彼女が動き回る音が聞こえてくる。……あいつらはまだ諦めていなかったようだ。結界もあの娘に全て解かれてしまった今、この城を守ってくれるのは彼女と生い茂る雑草だけだろう。


 指を鳴らし部屋の中を照らす。いつの間に私はベッドの上で眠っていたのか、それすら思い出せない程、深く眠っていたようだ。いつもの自室の景色の中、左側に重みを感じて顔を向けると数百年ぶりに私を驚かせた娘が幸せそうな寝顔を見せている。痺れる左側の腕、少し腹立たしくなり彼女の鼻をしばらくつまんでいるとしばらくして息が苦しくなったのか、真っ赤な顔をして飛び起きた。

「ぷはぁっ!!溺れるっ!!」

 一瞬でどんな夢を見たのか想像出来た。ベッドの上で飛び起きた娘は驚いた顔で部屋の中を見渡し、そして足元でまだ横になったままの私に気付いて目を輝かせる。

「ぁっ、お姉さん!」

「……私はお前の姉ではない」

「お姉さんは私を助けてくれた一番大切な人です。家族よりもお姉さんの方が大事です!!」

「……はぁ?……白々しいですね」


 この娘は、私が『厄災の魔女』なのだと知らず、勝手に主従契約を交わした魔族と人間の混血児の娘。

 他の鎧ばかり派手な奴らならば、言葉を交わすこともなく吹き飛ばしていただろう。だがこの小娘は大ぶりのナイフ一本で私の元まで辿り着いた。……私はその心意気に敬意を表し、庭の雑草処理を手伝わせてやったのだ。そのまま腹をいっぱいにして帰すつもりだったのに、まさか懐かれ、居座られることになるとは。

 ……今までまともに顔も見ていなかったことを思い出し、よくよく見てみると、無理矢理私と主従契約しようとした時は暴走し容姿も恐ろしく変貌していたが、今はクセのある茶色く肩までの髪、薄い黄色の瞳は好奇心を表し、誰にでも好かれるような愛嬌のある顔をしている。


 この娘は私が『厄災の魔女』だと気付いていない。まだ城を管理する人間だと思っているのだろう。……だがそんな私に、この娘は無理矢理主従契約を用いた。

 私がただの人間だったならば、精神が崩壊し人の体を成さない魔物になっていたかもしれないというのに。……本当に腹立たしい小娘だ。


「…………あ、あれ?もしかして怒ってます?お姉さん」

 私の顔をおどおどした態度で見る娘。私はその娘に送る視線を細める。

「当たり前でしょう。……あなた、あの契約がどんなものか分かっているのですか?私は危うくあなたに殺されるか、私の力があなたに取り込まれる所でした」

 冗談ではなく、『厄災の魔女』と恐れられてきた私が混血児の、こんな娘に誰に知られることもなく殺されるだなんて、ありえない。

「……お前のせいで、私の手にこんな模様まで刻まれて。……お前に情けを掛けるべきではなかった。どこへでも勝手に出て行け」

「ぅ!お、お姉さん、ごめんなさい。…………で、でも私」

 人間にしてはよくやる娘だ、ともてなそうとした私が馬鹿だった。あのうつけ共と同じように最初から接していれば良かったんだ。

「……私が、お前の会いたがっていた『厄災の魔女』だ、と言ったらどうする」

「…………え?ま、魔女さんは今いないって」

「あぁ、お前は何も知らなそうだったからな。……騙してとっとと帰せるつもりだった」

「え、じゃあ……本当に?」

 この娘はうつけ共と同じ、『厄災の魔女』を倒しに来た。ならば私がその魔女だと知ればこいつもあいつらと同じように命令を優先させるはずだ。そうすれば私も躊躇なくこの娘を追い出すことが出来る。

「お……お姉さんが、魔女さん?」

「あぁ、そうだ」

 私が答えると、娘は服の中から一枚の紙を大事そうに取り出した。そしてその紙と私とを交互に見比べる。何度も見比べながら考え込み首を傾げた。

「……何です?手配書ですか?」

 その視線にイラつき紙を取り上げる。そこには後で書かれたのだろう、読みにくい文字に曲がった文字でふりがなが振ってあった。私がその文字を目で追うと、実に不愉快な言葉が並んでいる。

「……ほう?悪い魔女について、ですか。……魔女はその庭に魔物を飼っている。魔女は人体に害のある植物を育て、毒物を作っている。魔女は年に一度災害を起こし、人間に恐怖を与えている。ゆえに魔女はこの国に居てはならない……か」

 ……全く質の悪い噂だ。まだこんなことをやっているのか。

 私に懐いている魔物は元々人を襲うものではなく、縄張り意識が強いだけ。私が薬草だけではなく野菜や果物を育てているだけで全て毒物だと?災害は私にまったく関係がない。ただこじつけてその矛先を私に向けているだけだ。

「……あの連中は何も知らない人間にこのような知識を与え、私を悪い魔女に仕立て上げているのですね。……いつの世も変わりませんね、あのうつけ共は」

 その紙を握りつぶした後、手のひらの上で一瞬で燃やして見せた。

「……良く分かった。……お前も奴らと同じ、私の敵だ」

「ち、違います!!……お姉さんは悪い魔女なんかじゃありません!!書いてあること、全部嘘です!お姉さんは優しいし、それにっ……」

 急に上げた声に驚いて娘を見ると、鼻息荒く私の肩に抱き付き、大きくベッドが揺れる。


『ギャアアアアア!!』


「「っ!?」」

「…………珍しく苦戦しているようですね」

「い、今の声って……」

 そして揺れたのはベッドだけじゃなかったようだ。地響きと外から咆哮が聞こえてくる。彼女は強いが小さなものをいくつも追いかけるとなれば分が悪い。今までは結界の周りだけで十分だったが、今は城の裏口や塀も無防備だからな。

 とりあえず外の様子を見にベッドから起き上がろうとして娘に肩を掴まれた。

「わ、……私がお姉さんを守ります!!」

「……はぁ?何を言っている。……私一人で十分だ。お前はさっさと去れ」

 その手を押し返そうとすると更に強い力が加わる。

「嫌です!!私、契約しましたよね?……それに、私以外にお姉さんの肌に傷一つ付けさせたくありません」

「……なっ、」

 そう言い、印の浮かぶ私の手の甲を優しく握ってくる。ゾクッとした感覚が体に走った後、娘を見ると体が熱くなり心拍数が上がった。……何だこれは。今まで主従契約など結んだことはなかったが、お互いの感覚を共有するとはこういうことなのかと、娘の強い想いが伝わってくる。

「…………お姉さんはここで私のこと見ていてくださいね」

 握った私の手の甲に口付けてベッドを下りていく。私は呆然とその後ろ姿を見送っていた。

 あ……あいつ…………妙な娘だ。カッと顔が熱くなる。それに鼓動も早い。

「………………暑い」

 起き上がり、部屋の窓を見ると、城の周りでは土ぼこりが舞っていた。



『……083!『厄災の魔女』はどうした!!仕留めたのか!?』

 あの娘が城の正面の噴水に下りていくと、隠れていたのか男たちが姿を現す。

『それにしても083、魔女の懐に入り込んであの女を殺るとは、さすがだな。これで報酬は俺達のものだ!』

「………………」

 歓喜で騒ぐ男たちに囲まれる。……どうするつもりかは知らんが、あのまま帰ってくれた方が助かるのだがな。

 ……それより気になるのは、手のひらに投影された彼らを見ているとあの娘の名を呼んでいるのだろうが、083?あの娘、番号で呼ばれているのか?

『……結界も無くなった。お前も無事に戻ってきたということはあの魔女はいないんだろう?』

『……そうだな~』

 そして男たちはにやけた顔をお互い見合わせる。……嫌な視線だ。

『じゃあ……お前には用は無いなぁっ!』

「……なっ!?」

 先程までは戻ってきたことを喜んでいたくせに、一瞬でその表情が獣のように変わる。そして手に持っていた剣を振り上げた。

「――っ!?」

 あまりに一瞬の出来事に身動き取れずに手のひらに映し出されたその惨劇に向かって叫んでいた。

「馬鹿者っ!そのままで終わるつもりかっ!?」

「!」

 剣が降り下ろされた瞬間、娘は笑った。

『ギャッ!?』

『なっ、何だ!お前、俺達を裏切るのか!?』

 だが倒れたのは男たちの方。その動きが見えなくて目を疑ったほどだ。そして何事も無かったかのように娘が城に向かって手を振っている姿を見て、全身の力が抜けた。

「…………はぁ……うつけが」

 ズルズルとその場に座り込んだ後、息をつく。そしてまた手のひらの上を見ると、男たちは娘に紐でグルグル巻きにされていた。……だが、娘に驚くのはそれだけじゃなかった。

『ギャアゴ』

「……うん!私が捕まえてくるから待ってて!!」

「…………は?」

 彼女と話をしている、のか?大きな体躯をした彼女の声にまるで会話したように答える娘。男たちを彼女の前に置いた後、その足でどこかへ走っていく。……まさか、……いやあれは混血、そういった能力があるのかもしれぬ。やっと今、彼女があの娘を襲わなかった理由が分かった。

 魔獣の話を理解し、私の結界を破る程の魔力。……だがそれ程までの能力がありながらも、目的が達成されればあんなうつけ共に切り捨てられるのか。


 ……今思えば、何故その日会ったばかりの私に泣いてしがみついたのか。


『お姉さんっ!私、何でもします!っ……もう……一人は嫌なんです。お姉さんとこうして毎日一緒にごはん食べたいんです』

『私、ずっと尽くそうって思うのに、いつも私に良くしてくれた人は急に居なくなってしまうんです。……あぁ……また置いていかれちゃったんだ、って、何度も何度もひとりぼっちになって。……ぐすっ、お姉さんはこんな疫病神……いらないですよね……』


 ……人は弱く、愚かだ。

 自分の力とする為に強き者の心を砕くとは。


「……はぁ」

 考えることは諦めた所で、また彼女の一鳴き。娘も戻ってきたようで、屈強な男たちが一まとめにされている。どうやら全員捕まえたようだな。

 寝起きの恰好に一枚羽織り、部屋のベランダからそのまま降りる。空中からふわりと城の中庭に降り立つと、彼女が鳴いてその声で娘が気付く。

「……お姉さん!!」

 駆け寄ってきた娘に向かって私が片手を上げるとビクッと驚いて足を止めた。私が顔色変えずそのまま娘の頭を撫でると、唖然とした表情で固まっている。

「……ご苦労でした」

「……!」

 面白いぐらいに表情がころころと変わる娘だ。花が咲いたように口を開けて笑い、私の腰に抱き付いてくる。

『……なっ!?生きてたのか!?どういうことだ083!!』

 大声を上げる男たち、その声に娘が少し震えているのが分かる。私は抱き付いている娘の肩を抱き、強く抱きしめると男たちの周りに雷撃を落とした。

『ひぃっ!?』

「……083とは誰のことだ?……この娘は、」

 そう言いかけ、私はこの城を守るように覆う青々とした蔦が目に入る。弱い、だが数百年とこの城を森に同化させて守ってくれた植物。

「この娘は『アイビー』私と契約を交わしたしもべだ」

「!……あい、びー……?」

「……分かったら、もう二度とその名でこの娘を呼ぶな。貴様らとは今後一切、何の関わりもない」

 ――バシャンッ、と今度は水の塊を落とした後、にやりと笑う。

「……さて、もう一度雷撃を落とせばどうなるか、分かるな?……貴様らのその鎧、私の雷撃をよく通すだろうな」

『たっ、助けてくれ!!』

 何も響かない、その助けを乞う声が耳障りで目を閉じる。

「……はぁ。アイビー、どうしますか?……お前を殺そうとした相手だ。やり返すも逃がすもお前の自由だ、好きにしなさい」

「……お姉さん……」

『わ、悪かった!!すまなかった!!』

『おっ……俺たちは一蓮托生だっただろ!?』

「……お姉さん、いちれんたくしょう?ってなんですか?」

「……一度組んだ相手とは良いも悪いも何があっても一緒に最後まで乗り越える、そのような意味ですね」

 そう言うとアイビーは少し考え込んだ後、私に強くしがみついた。

「……いちれんたくしょうはお姉さんがいいです」

「…………ふっ。そうですか。…………聞きましたか?アイビーは貴様らなど要らないそうだ」

『ひぃっ!!』

 もう一度手を上げると、男たちは雷撃を落とされると思ったのか、気絶する者がいた。だが私が手を振り下ろした後、そこにあるのは雷撃で丸焼きになった姿ではなく、氷漬けになった男たちの姿だった。

「……アイビー、彼女にこの男たちを森の外に置いてきてもらえるよう頼んでもらえますか?」

「……え?あ、はいっ!」

 私から離れたアイビーが彼女に話しかけると、私の方を向いて吠えた後、男たちを加えて持っていく。

「森の外まで持っていってくれるそうです!溶けやすいように湖の浅い場所に置いておくって言ってました」

「……優しいのだな、彼女は。……す、すまない!ありがとう」

 声を掛けると、少しだけ振り返り頷いたと思えば、また森の外へと歩いていく。

「……むっ!私も優しいですよ?!」

「……何を張り合っているのですか?お前は」

「だっ、だって、私が一番になりたいっていうか」

「……子どもですか。……いえ、子どもでしたね、あなた」

「むぅー!!こう見えて私、たくさん生きてるんですよ!?……でも、へへ」

 そうして怒ったかと思えばすぐに表情が崩れてにやにやと私を見る。

「…………何です?」

「ア……アイビーって私の名前ですよね?」

「えぇ。……その名はこの城を覆う植物の名前ですが、数百年と私と城を守ってくれました。……アイビー、とても良い響きだと思いました。嫌でしたか?」

 そう聞くとアイビーは風を切る音がしそうなぐらいに頭を横に振った。

「そんなことないです!!とっても気に入りました!ありがとうございます、お姉様!……えへへへ」

「お姉様…………まぁ、いいか」

 呼び方が変わったことなど今更気にすることでもないだろう。この娘には何度も驚かされているのだから。

「……それよりこの城の結界を張り直さなければ。またこのような事が起きるのは面倒です」

 ……今回は中庭を荒らされた程度で済んだが、私の畑に下手な細工をされたら敵わない。それこそこの程度では済まないほど鉄槌を食らわせていたかもしれない。

「私にやらせてください!……元はと言えば私のせいだし……」

「えぇ、そうですね。私が丹精込めて張った結界をあんなにも簡単に全て壊して……」

 ジーっと冷めた視線を送ると、アイビーは何度も頭を下げて謝った。

「……はぁ。やめなさい。……それより朝食がまだです。あなた食事は作れますか?」

「は、はいっ!!もちろんです!」

「ではあなたの仕事です。アイビー」

「っ、はいっ!私、お姉様にとびっきり美味しいごはん作りますね!」

 表情豊かな娘だ。……嬉しそうに走っていく背中が城の中に消えた後、私は城を見上げた。昇った太陽が城を照らし、青々とした蔦がいきいきとしている。

 ……こんな騒がしい日も悪くない。

 あの娘との生活はこれからもっと、騒がしいものになるのだろうが。



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嫌われ魔女と追い出された雇われ勇者はスローライフを送りたい かるねさん @ogyuogyu

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