幽霊屋敷ノ真夜中❶ 第霊話
秒針の音はもう飽きた。
聞き飽きてしまった。
私は真夜中しか起きていられない。
「独りの真夜中」という呪いの所為。
真夜中のみしか活動できないことは言うほど大したことではない。
誰とも関われないという呪いのもう一つの効果こそが非常に厄介だった。
真夜中を独りで過ごすのはとても孤独を感じる。
17歳を迎えて流石にもう慣れたとはいえ。
部屋に独り、真夜中。
響くのは秒針の音のみ。
夜の生き物の気配や音を感じることも無い。
外に出ても誰もいない。
何度も真夜中に外へ出ても私の前に他の存在が現れることはなかった。
本当に誰とも関わることができない。
私には家族との記憶や思い出は存在しない。
物心ついた頃からずっと独り。
私の暮らす家は幸いにも比較的裕福のようで、この呪いは私が生活していくことに関しては大きな問題にならなかった。
食べ物や生活用品など心配も無い。
そしてとても不思議なことに元から独りだった私は最初から文字の読み書きができた。
自我の芽生えたときから読解力が備わっており、家にあった大量の書物から知識を得ることができたのだ。
だからこうして独りでも生きてこれた。
いつも真夜中に独り部屋で目を覚ます。
そして限られた時間の中で必要最低限の活動をして眠りにつくことの繰り返し。
独りで自分の生活を淡々とこなす。
私が私以外の誰かと関われる日はやってくるのだろうか。
分からない。
夜が明けて東の空が白み始める頃になると私はいつものようにベッドで眠りに落ち、また真夜中に独りで目覚めるのだった。
今、私の目の前には自分以外の誰かが存在していた。
私の目の前にはメイド服に身を包んだ眼鏡を女の子が立っている。
いつもとは違う夜の時間が流れていた。
誰かと会話をするのは初めて。
私は頭を巡らせて必死に言葉を繋ぐ。
「だから私はここへ来たの。お願い、貴女の主人に会わせて」
幽霊メイドの女の子は私の頼みをどうすべきか考えあぐねているようだった。
無表情で眉ひとつ動かさない。
沈黙が続く。
反応が無いので私も手持ち無沙汰になってしまう。
仕方がないので目の前の幽霊メイドを観察することにする。
黒を基調としたメイド服、丸渕の眼鏡。
黒い服に生気のない肌が対比的で白い肌を際立たせている。
髪はグレーがかった銀髪、右腕と左の太ももに包帯を巻いている。
右脚の白いソックスは太ももまで届く長さ。
一方で左脚はルーズソックスのように足首まで下げられていて、やはり生気の無い白い肌が覗いている。
視線を幽霊メイドの顔に戻す。
無表情ではあるが先程より困った表情をしている気がする。
「…………」
「あ、ごめんなさい!えっとほら、私ね自分以外の誰かと話すことが初めてなの!見るのもよ!!だから色々じろじろ見ちゃった...ごめんね」
手を合わせて謝る。
誰かとの会話、新鮮だ。
そして不安。
初めてすぎて、これで大丈夫だろうか。
読書したり色々とイメージは鍛えてきたんだけど。
「……いえ、大丈夫。御主人が、良いとのことです」
幽霊メイドが口を開いた。
淡々とした口調。
戻った無表情は感情を読み難い。
「わたしに……着いて来てください」
目の前の女の子が私に背を向けると地面から足を離して高く浮き上がった。
驚き慌てた私は大きな声で彼女に呼びかける。
「ちょっと待って!それじゃ私が着いていけないでしょ!」
ビクッと幽霊メイドの肩が震えてこちらを振り返った。
「そんな目で見られても私は人間なのよ...。私は人間だから宙に浮かぶこと出来ないの」
「……ああ、そうか…」
浮遊する彼女は合点がいったようだった。
天然なのだろうか。
彼女は地面に降り、地に足を着ける。
土を踏みしめて歩き始める彼女。
私もその背中を追って歩き出す。
墓石のような大きな石が並ぶ庭を抜けると屋敷の放つ存在感がより大きく感じられる。
同時に私の身体の中からざわざわと得体の知れない感覚が湧き上がってきた。
屋敷に1歩ずつ近づく度に身体が反応する。
徐々に大きくなる感覚。
初めてなのに懐かしさを覚えるような、知っているかのような不思議な感覚。
この感覚は私の感覚ではなく、きっと呪いが呼応しているのだと思う。
屋敷の中へ入る扉の前に辿り着く。
先程の感覚は扉の前に辿り着くと形を潜めていた。
黒く闇へ誘うかのような大扉。
真っ黒で模様や装飾も何もない。
開閉用にドアノブが付いているのは普通の扉だ。
縦一列に並んで扉の前に立つ私達。
しかし前に立っている幽霊メイドは立ち止まったまま動かない。
「ねえ、何で中に入らないの?」
扉の前に立ってから3分ほど経っていた。
微動だにしない彼女に私は尋ねる。
「……どうやって開けるんだっけ……?」
「へ?」
間抜けな呼吸のような声が私の口から漏れる。
「この扉を開けるのとても久しぶりで……」
「そ、そうなの。扉なんだからそこのドアノブを捻って押すか引けば開くんじゃないかしら?」
この幽霊メイド、天然な気がする。
一般的な扉の開閉方法を彼女に伝えると流石に伝わったようだった。
彼女がドアノブを握り手首を捻る。
がちゃ、と小気味いい音が鳴り安堵する。
はずだった。
がちゃ、がちゃ、がちゃがちゃ。
幽霊メイドがドアノブを動かして扉を開けようとしているが扉が開く気配がない。
がちゃがちゃ、がちゃ。
顔は見えないが一心にドアノブを動かす幽霊メイドの無表情が容易に想像できた。
「……開かない」
「鍵がかかってるんじゃない?」
彼女の隣に移動して扉を観察するが扉に鍵穴らしきものは見当たらなかった。
これはもしや普通の扉ではないのかもしれない。
「この扉ってもしかして魔法とかそういうのがかけられてたりする?」
彼女がこちらを向いて首を傾げる。
「……壊れてる?」
「知りたいのは私の方なんだけど...」
この幽霊メイド、やはり天然だと思う。
幽霊かあ...。
脳裏に閃く案。
「あ!貴女は幽霊なのよね?」
彼女が首を縦に振り頷く。
「この扉もすり抜けられない?貴女、最初に窓からすり抜けて出てきたでしょ。それで中からこの扉を開けられないかしら」
「……!たしかに……」
なんだか調子が狂う。
当然と言えば当然。
彼女は幽霊。
人間とは感覚が違うはず。
「ちょっと待ってて……」
幽霊メイドの身体やメイド服が透けて薄くなっていく。
「わあ...」
宙に浮かばれたときは引き留めることに必死で意識しなかったけれど、しっかり幽霊だ。
「依ル、ありがとう…これで扉を開けられると思う。わたし…人間と話すのは久しぶり?……うーん…初めて?かも……」
彼女の身体が扉をすり抜けて中に消えていった。
「いえ、このくらい大したことじゃないわ」
少し間を置いて目の前の扉からカチャカチャと音が鳴り出す。
カチ、カチャン、カチャ...扉の開閉操作をする音が奥から聞こえてくる。
「貴女も人と話すの久しぶりなのね。初めて?って最後に言ってたけど、そこははっきりしないのかしら...私以外の人間に会ったことはある?」
彼女の気になる発言に対して何気ない質問をしたつもりだった。
扉の奥から聞こえている音が急に止まる。
生じた沈黙。
返事はない。
5分はとっくに経っただろうか。
あれ、もしかしてこの状況はまずい...?
このままでは私は置いてけぼりになってしまう。
仮にもし彼女の機嫌を損ねていたら屋敷の中に入れないのではないだろうか。
必然的に屋敷の主人にも会えずじまいで途方に暮れることになる。
「ねえ!貴女の名前は?さっき私の名前呼んでくれたでしょ?私に貴女の名前を教えて!」
扉の奥にまだいるはずの彼女の意識を惹くために扉に近づいて声を上げる。
カチャン、と小さく音が鳴る。
咄嗟のことにその音は私の耳には届いていない。
ギィィィィと重厚な音を立てながら扉がこちらへと動く。
開いて迫ってきた扉が盛大に私の額に激突した。
ごんっと鈍い音がする。
「いったぁ!!!」
体勢を支えられず私は尻餅を着いた。
額から感じる強い痛み。
チカチカと明滅する視界を戻すと開いた扉から上半身だけ身を乗り出した幽霊メイドと目が合った。
「幽レ〜。わたしは幽レ〜。ようこそ、いらっしゃいませ。依ル」
畏まった所作で腕を動かし頭を下げる眼鏡をかけたメイド服の少女。
その振る舞いに目を奪われた私は彼女を見上げる。
綺麗だなと素直に思った。
じーっとその顔を見ていると端正に整った顔がとても可愛いことに気づいてしまう。
「あのさ、言いたいことは色々あるけど、それ今じゃないと駄目だった!?」
痛む額を抑えながら私は彼女に食ってかかる。
半分は彼女に見惚れてしまったことを誤魔化すために声を荒げたのだけど。
さて、冷静に客観的に今の私達の状況を俯瞰する。
開いた扉から上半身だけ姿を覗かせる幽霊メイドと彼女に名乗られ歓迎されている私。
その私は開いた扉に額を強打し尻餅を着いたままで格好の付かない体勢。
この状況は何なのだろう。
総てが色々とお可笑しい。
誰かと関わるのってこんなに調子狂うんだ。
「………あ、ごめんなさい。こういうの初めてだから調子が狂っちゃって。緊張…してるけど依ルと話すのが楽しいの」
幽レ〜が微笑む。
無表情ではない確かな微笑みに私は額の痛みや残っていた怒りの感情がどうでも良くなってしまう。
「そう、そうなのね。とりあえずちゃんと出てきて私を立たせてくれない?頭を打ったからかしら?身体に力が入らないわ」
今度こそしっかりと見惚れてしまい、照れた私は顔を背けてお願いする。
私だって誰かと話すのは初めてで緊張している。
しかし、とても楽しいのだから仕方がない。
幽霊屋敷ノ真夜中 畢 @owaruowaru
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