私のお兄ちゃん

@solitarypeak

私のお兄ちゃん

兄は俗にいう多重人格というやつで、八つの人格が住み着いている。

入れ替わりのタイミングは予知できないものだから、私も両親も、なんとか見分ける術はないかと奮闘してきた。そしてわかったのが、この兄たちにはそれぞれ異なる癖があるということである。

一番目の兄は、爪を噛む。

ニ番目の兄は、髪の毛先を指で巻く。

三番目の兄は、貧乏ゆすりをする。

四番目の兄は、口をパクパクさせる。

五番目の兄は、目頭を押さえる。

六番目の兄は、頬を膨らます。

七番円の兄は、耳を引っ張る。

八番目の兄は、独り言が多い。

私達家族は、この兄たちを番号に関連付けた愛称で呼んでいる。

例えば一番目の兄であれば「イチにい」、二番目ならば「ニーにい」だ。

兄は「囚人みたいだけど仕方ないか」と複雑な表情で笑っていた。

ある夕食時、母は珍しく缶ビールを開けた。

それは父と私だけに向けた、緊急家族会議の合図だ。

静かに目くばせを交わす私達をよそに、「サンにい」は膝を激しく膝をゆすって母に注意されていた。

「純一統一計画、条件が整い次第始めるわ」

その日の深夜、母は手を組んでそう切り出した。

遂に来たか。父がぼそりとそれに応えた。純一とは、兄の本名だ。

今から二十三年前。この世に生を受けた兄は、紛れもなく「一人」だった。

なにか直接的な原因があったのかはわからないが、その兄が十歳になる頃、異変が起こる。

当時九歳だった私にも、その日は鮮明に覚えている。

兄が、なんだかおかしいのだ。私のことを「妹」と呼ぶし、両親のことを「父」「母」と呼ぶ。一人称も「俺」だし、嫌いなはずのにんじんをもりもり食べる。苦手なはずの算数が出来る。

聞けば、兄の中に、ずっと自分はいたのだと言う。身体も思うように動かせない。音ばかりが聞こえてくる。俺は「純一」の中で生まれ育った。そう言った。

両親はあくまで、そういう年頃、として扱っていた。父は特に理解を示している風な顔をしていて面白かった。それもその三か月後、三番目の兄が出てくるまでの話だ。

三番目の兄はその日、クラスのいじめっ子を殴り倒して帰ってきた。

どちらかというと気弱だった兄があまりに豹変した態度を取り出したため、さすがの両親も一度病院へ連れて行こう、と慌て始めたのであった。その結果、難しい病名こそ覚えていないが、兄は俗にいう「多重人格」だと診断されたらしい。

その後も兄は増え続け、ひとつのことが危惧された。それは、兄の脳内がいっぱいになりすぎて、このままではすぐ死んでしまう、というものである。常人よりも脳の負担がかなり大きいので、薬とある種の暗示で人格を減らさなければならない。要約するとお医者様はそう言った。母はそれに対してこう応えた。「どうかひとりに、元の純一に戻してください」と。それが「純一統一計画」である。

しかしこれは簡単な話ではない。

要らない人格は消してしまうのだ。殺人となんら変わらない。

だからこそ、絶対に兄たちには知られてはならない。

お医者様は条件を出した。

消したくない人格が表に出ている時、病院に連れてきて下さい、と。

そうすれば、それ以外の人格をきれいさっぱり消してしまうらしい。

兄が爪を噛んでいたらすぐにここで共有すること。一見意味の分からない言葉が綴られたグループラインを、私達三人は緊張した顔つきで確認し合う。

どの「兄」を残すかは初めから決まっていた。一番目の「イチにい」だ。

だから、私はそれを「ハチにい」に伝える。

「いい?定期的に爪を噛むこと。で、髪切った爪は、机の上に綺麗に並べてね」

「悪い癖だなあ」

「ハチにいもたいがいでしょ。独り言、頑張って抑えてよ」

「うーむ」

「ハチにい」は兄が十九歳の時に生まれた。これまでの兄と違って、読書家で、どこか寂しげで、私はこの兄が一番好きだ。

「もう一回言うけど、お母さん、お父さん、ね。ちゃんと「お」つけてね。私はミヅキ呼び」

「大丈夫だよ、ずっと中で見て育ったんだから」

「ハチにい」はうんざりしたように笑った。

「それじゃあ、下降りるよ。ラインで二人にはもう言ってあるから」

私は緊張した顔を悟られないようにして、両親に「大丈夫。イチにいだった」と言った。

顔をほころばせる母と、不安げな父。私は少し罪の意識を感じながら、兄を連れて車に乗り込んだ。兄が助手席に乗って、父が運転して、それで。



「危なかったなぁ、おい」

「だから言ったじゃん。この家族やべえって」

「こういう時頼りになるよなー。「サンにい」は。暴れ慣れすぎ」

「いやいや、車にあんな細工できるこいつのおかげだろ」

「・・・たまたま、本で読んだことがあっただけだよ」

羨望の眼が集まると、恥ずかしげに僕は咳払いした。

脳内会議は定期的に開かれる。

今日も、同じ顔がずらりと並ぶ。

「それにしてもひでえ家族だよなぁ。俺たちだって実の息子だろがよ!」

騒がしく盛り上がる脳内の中で、僕はミヅキの笑顔を思い出して小さく独りごちた。

ごめんな。

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