第61話樽廻船の女船長、商人の町へ 其ノ拾玖

俺の人生ここまでか、なおが死を覚悟した時、ざあっと波が引いた。海に引きずり込まれたと思った身体も、船の上にある。


「生きて……る?」


状況がつかめず、むせながら起き上がると、足をむんずと掴んでいる喜兵寿の姿があった。

帆柱に結んだ縄を手に巻き付け、なおを見てにやりと笑う。


「貸しイチな」


喜兵寿の腕には縄が食い込み、血が出ていた。


「喜兵寿!お前助けてくれたのか!」


駆け寄ろうとすると、船は再び大きく傾き、なおは大きくバランスを崩した。そのまま喜兵寿へと体当たりするような形でぶつかる。気づけば、なおと喜兵寿は口づけをしていた。


「?!」


慌てて離れようとするもののそこに波が押し寄せてくるものだから、喜兵寿となおはしばらくそのままの姿勢で、波を耐えるしかなかった。


「おい!助けてやった礼に口づけなぞ、誰も求めてないぞ」


喜兵寿がげんなりとした顔で、口を拭う。


「俺は女が好きなんだ!」


喜兵寿が話し終わらないうちに、なおは喜兵寿に抱きついた。


「喜兵寿、まじで助かった。ありがとう。命の恩人だよ」


「お、おう。いや俺は別に……」

「まじで、この恩は一生忘れないからな。恩ついでにこの縄、俺にも巻いてくれよ。海に落ちたくないんだ。頼む」


「なんだよ、恩ついでって。そこに何本か縄あるだろ、自分で持ってくればいいだろ」


「無理だって、ほら船めちゃくちゃ揺れてんじゃん。絶対また落ちそうになるもん」


「おい、だからって抱きつくなって!」


2人が騒いでいると、ねねの声が飛んだ。


「みんな!無事か!?」


「ねねの姉貴、乗組員全員船に上で確認できましたぜイ」


雨足はより一層強くなり、遠くで雷鳴が鳴り響いている。船は左右に大きく揺られているものの、皆どうにかしがみついていた。


ねねは安堵の表情を浮かべると、小さくひとつ頷いた。


「いいかい、皆よく聞きな」


嵐の中、ねねの声が響き渡る。


「今から、船の積み荷を海に捨てる!」


ねねの言葉に船がざわめく。荷を運ぶ船だ、その荷を捨てるということは自分たちの仕事を放棄したことになる。それに対する罰がどの程度のものなのかを知っているからこそ、男たちは顔を真っ青にして反対した。


「ねねの姉貴、そんなことをしたらどれほどの損害があるか……」


「黙んな!なくすのはたかが銭だ。それもわたし一人が背負えばいい話。それより大事なもんがこの船にはたくさん乗ってんだろ」


船がぎいいいいっという音と共に、大きく右に傾く。


「さあ、さっさと作業にかかりな。間違っても自分が落ちるんじゃないよ!酒に米がここにはたんとある。これで海の神様に宴でもしてもらおうじゃないか。そうしたらちょっとはこの嵐も収まるかもしれないしね」

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