第60話樽廻船の女船長、商人の町へ 其ノ拾捌

大海原の真っ只中。陸の灯りが何一つ見えない中、唯一の光である星や月が雲で覆われてしまうと、恐ろしい程分厚い闇が訪れる。そんな中降り出した雨は次第に強さを増し、今では肌を突き刺すようほどだ。


時折狂ったように吹く風は、まるで龍が体当たりしてくるよう。船はその度に大きく傾いた。それでも男たちは港を目指して漕ぎ続けた。もう誰一人泣き言をいうものはいない。皆黙って、自分の出しうる力のすべてを櫂に込めていた。


船は白い波を立てながら真っ黒な闇を突き進む。希望はある。必ず自分を待っている人々の元に帰るのだ。その強い想いが船を港へと引っ張っているようだった。


「ねねの姉貴!港まではあとどれくらいだイ?!」


雨音に負けないよう、大声で甚五平が叫ぶ。


「順調に進んでるよ!」


ねねは雨でぐっしょり濡れた髪をかきあげ、まっすぐ前を見つめたまま言う。


「大丈夫だ、もうあと数里で島影が見えるは……」


ねねがにっこりと笑おうとしたその時、ひときわ大きな波が船を襲った。ごうっという音と共に、身体がふわりと浮き上がる。皆、なにが起こっているのかわからなかった。空から激しく打ち付ける雨と、左右から襲い来る海水。腹の下の方でぞわりとする嫌な感覚が広がる。視界がぐるりと回転したかと思うと、次の瞬間には激しく船にたたきつけられていた。


「痛ってえ……」


背中を強く打ったなおは、ゲホゲホとむせながら、やっとの思いで身体を起こした。しかし状況を確認する間もなく、次の大波が打ち付けてくる。船は再び大きく傾き、なおは再び船べりへと打ち付けられた。


一瞬すべての音が消える。無音の世界の後、皆の怒声が聞こえてくる。


「大丈夫か!」


「皆掴まれるものにつかまれ!」


「海に落ちたやつはいないか?!」


しかし、それは激しい雨の音でかき消され、どこか非現実的だった。


(やば。これ何かにつかまらなきゃか)


慌てて手を伸ばそうとしたその時、再び大きな波がなおを襲った。首がもげるかのような衝撃の後、物凄い勢いで海に引きずり込まれる。


どうにかあがくも、手は宙を掴むばかり。波は顔や腹に容赦なく打ち付け、息の根を止めに来る。


それは数秒だったのかもしれないし、数十秒だったのかもしれない。しかし大波に巻き込まれていた時間は、永遠に終わらない拷問のようだった。


必死で止めていた息も限界だ。どうにか水の外に出ようとするも、波にもまれ、上も下もわからない。身体はあちらこちらに打ち付けられ、意識は遠のきかけていた。

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