第8話 令嬢と航海士

「……こちらです」

メイドはシャルロッテをアランの枕元まで案内してぼそりとそう言った。


「旦那様、シャルロッテ様が」

メイドはベッドに横たわるアランにそう言ったが、恐らく聞こえていないだろう。


「…………」

アランは返事をしなかった。いや返事どころではなく意識が戻っていなかった。


「……お医者様はなんと?」

シャルロッテはメイドにそう訊いた。


「……さすが海の男だと。普通ならもう持たないだろうと仰ってました」

メイドは視線を落としてそう言った。


リンドバーグ準男爵アランは、リンドバーグという土地の領主ではないし、そもそもそんな土地などない。新大陸から生還した若き航海士には準男爵という名誉を与えられたが、治めるべき領地がないので姓をそのまま爵位に冠しただけだ。


アランは美男子ではない。だが男が顔の造形だけで評価されるなど十代までの話だ。その四角い顔には強い意思とともにどこか抜けた印象を併せ持つ大きな目があり、それが世の淑女たちの心をくすぐった。そして彼はその中の一人と恋仲に落ちたのだ。


シャルロッテにとっては初恋であり、同時に操を捧げるべき男に熱中したが、彼女には一応は許嫁がいた事と、あまりにも彼を想う気持ちが強過ぎて、逆にその恋愛はあまり進展しなかった。そして彼女は恋心と現実とを解決するある夢想を懐き始めた。


ウィンスロン公爵はシャルロッテを欲しているのではなく、血統と美女を欲しがっているだけだ。シャルロッテとアランはお互いを欲し、ついでにウィンスロン公爵があまり興味を示さない金銭という物にもとても大きな価値を認めていた。


ならば、例えば私とウィンスロン公爵が結婚し、彼の目の前に私より遥かに魅力的な女性が現れたらどう?彼はその愛妾と自由な時間を過ごし、事実上の寡婦となった私は寂しさを紛らわすために恋人を得る。誰も傷つかない見事な解決じゃないの。


これはあくまで夢想だったが、ある時唐突に部屋に裸の女が浮いていた。そしてしばらくしてアランがこの状態になったと連絡を受けた。関係がないとは思えない。この女は伝奇に出てくる淫魔サキュバスという悪魔ではないか?挿絵とも似てる気がする。


しかし、この淫魔はシャルロッテ以外の者には見えず、シャルロッテにしても触れもしないし、そもそも意思疎通ができなかった。何しに来たのあなた?


そうして室内を漂う太ももに視線を奪われながらも徐々に判ってきた。この女はシャルロッテが好意を感じる相手、特に男性を狙って襲っているようである。その傍証として「奇病」罹患者のニュースがあると、この女はやたら生気に漲っているのだ。


ふよふよ


そして女は今この部屋に居る。シャルロッテは基本的に自室以外でこの女を見る事はないのだが、唯一例外としてアランの部屋には姿を現すのだ。


にこにこ


その女はシャルロッテの部屋に居る時と変わらない笑みでアランをじっと眺めていた。もちろんその姿はシャルロッテ以外には見えてはいない。


──取り憑く相手が違うでしょう!?

シャルロッテは目を吊り上げて視線でそう言った。そうするとその女は驚いたように一瞬こちらを見て、しかしまた微笑を浮かべてアランを見た。


「……うう……」

アランが呻いた。


「アラン、大丈夫?」

シャルロッテが声をかけたが単純な心配ではない。


何故こんな事になったのかは判らない。アランの回復を願う気持ちも少しも変わらない。ただ状況証拠として、つまり彼は浮気をしているのだ。「それ多分貴女のせいですよね?」などという適切で無粋な推測など言っても怒らせるだけだが。


恋人に対する痛ましさと共に大きなイラつきを感じつつ、でも爆発する相手が居ないので、甲斐甲斐しく看病をするしかないシャルロッテだった。


(ふよふよ)


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