第2話 ノールフォールへ

 ノールフォールの森には(ガヴィは大変嫌そうな顔をしたが)マーガが道を繋いでくれ、国王陛下のご好意で視察期間の滞在先は王家の避暑地を使わせてもらえる事になった。

 フォルクス伯爵に代わりノールフォールの森を管理してくれている男爵はガヴィとイルが避暑地に到着した際、既に現地で準備を整えてくれていた。

「遠いところまでご足労いただき、お疲れ様でございました」

 そう言って柔和に笑う男爵はまだ三十代手前らしいが、今回の事後処理といい、視察準備といい、手際もよいし大変細やかで気が利いている。北の砦とも称されるノールフォール森林を任されたというだけあって国王の信頼も頷ける。

「いや、遠いとは言っても魔法陣使ってきたからな。なんてことはないさ」

 ガヴィが気にしないでくれ、と返す。



 ノールフォールの避暑地はガヴィとシュトラエル王子と出会った時に来たことがあるが、それこそ一瞬であったのでちゃんと訪問したのはこれが初めてだ。

 避暑地自体は森に入って暫くしたところにあり、紅の民の里とは対極にある。

建物自体は質素ではあるが、敷地内には広い庭園や小さな川まであり、王家の方々が王都を離れて夏の休暇を過ごすには最適な環境であった。

 移動の魔法で来られるので、実質移動距離はゼロではあるが、王都から距離があり過ぎるのが難点ではある。

 イルも子どもの頃、森に王家の避暑地があると聞いて、なんでこんな辺境の地に避暑地を構えたのかと思ったことがある。

でも今思えば、初代国王やくれないの民の少女、そして赤毛の剣士の生まれが近いこの場所を、初代国王は懐かしんでいたのかも……と思えた。

 エヴァンクール国王は王家用の居室を使えばいいと言ってくれたが、流石にそれは辞退して、二人はゲスト用の客室を間借りすることとなった。


「取り合えず本日はお休みいただいて、ご遺体と遺品の確認作業は明日以降にしたいと思いますが……いかがですか?」

 男爵がガヴィに目配せをする。

「ああ、それでいい。いいよな?」

 イルは頷いて肯定した。

男爵は承知しましたと言うと、ではイル様は夕食までご自由にお寛ぎくださいと最初に見たままの柔和な笑顔で微笑んだ。



 ガヴィはその後男爵と打ち合わせがあるからと別れ、イルは自分にあてがわれた部屋に荷物を置きに向かった。

一方ガヴィは応接室で男爵と向かい合い、今日までの調査内容を確認しあう。

「紅の里の跡地は解体作業を進め、ほぼ更地になっています。ご遺体は跡地にテントを張りそこで保管を。残念ながら発見時にすでに状態の悪いご遺体も多く、保管できているものは十五ほどになります。あとは遺品らしきものだけまとめて埋葬をしようと思います」

 いくら少数民族とはいえ、村一つ分だ。人と判別できるものが十五しかないと言う事は、それだけ事件の凄惨さを物語っている。


 けれど、ガヴィは正直十五もあるのか、と気が重くなった。


 自分の肉親かもしれない、違うかもしれない……どちらにせよ同じ同胞だった人達の普通ではない遺体を十五もイルに見せるのかと思うと迷いが生じる。

それは男爵も感じていたようでガヴィが沈黙してしまったのを見て口を開いた。

「……正直、イル様に確認作業をしていただくのは酷かと思います。全くの他人の自分ですら身につまされる思いでしたから…。

 それに、生き残ったのがご一族の姫だとはお聞きしておりましたが、あのような年若い少女だとは思っておりませんでしたので……」

 沈痛な面持ちで目を伏せる男爵を見て、ガヴィもやるせなく呟いた。

「……アンタみたいな人間が最初からここを治めてくれてればこんな事にはならなかっただろうな」



 次の日、ガヴィとイル、男爵の三人は数名の男爵の配下の者と共に紅の里の跡地に向かった。

 跡地は男爵の言った通りほぼ綺麗な更地になっており、過去の里の面影はほとんど残っていなかった。それはとても寂しいことではあったけれど、以前来た時のように、焼けた大地や崩れた建物、焦げ付いた臭いを嗅ぐよりかは何倍もよかった。

どこから飛んできたのか、跡地にすでに生え始めている野草や野花に自然のたくましさを知る。

「こちらです」

 以前は里の広場だった部分に、男爵の立ててくれた大きいテントが張られていた。

入口の布をくぐって中に入るとほのかにハーブと花の香りがする。

並んだ棺の上には、それにも魔法がかかっているのか、どの棺の上にも綺麗な花が添えられていた。

男爵の心遣いが胸に染みる。

「……自分は、外におりますので、何かあったらお呼びください」

 軽く会釈して男爵が出ていく。気を使ってくれたのだろう。

イルは並んだ棺を前に、緊張して深呼吸をした。震えそうになる手をガヴィがぎゅっと握る。

「……隣にいるから」

 そう言って握った指先からはガヴィの熱が伝わって、すくみそうになる足に勇気をくれた。


 カタリと棺の蓋を開ける。

 ガヴィは顔をしかめた。

 男爵の言った通り、それは到底見られるものではなかった。


 失敗したと思った。イルに、この作業をさせるべきではなかったと心底後悔した。


 確認出来そうな遺体、と男爵は言ったが、それは炭化して単に腐敗の速度が遅れただけの代物でしかなかった。わずかに焼け残った服や装飾品で生前を想像するしかない。

 心配になってイルの顔をうかがう。泣きだしたら、すぐに連れ出そうと思っていた。

 最早遺体が誰かなんて判別がつくはずもない。

だけどイルは、ぎゅっとガヴィの手を握ったまま、驚くほど淡々と棺の遺体を確認して周った。


 ただ、遺品をまとめた机の前に立った時、初めてイルの目が揺らいだ。


 そこにあったのは、すすに汚れながらも自分はここだと主張するような、あかく輝く短剣。


 ガヴィは、イルの唇が音もなく兄様にいさま、と呟くのを見た。

 ガヴィにはその時間が永遠に感じられた。




 テントの外に出た時には、ガヴィの指先もすっかり冷たくなっていた。

 二人がテントを出て来たことに気が付いた男爵が走り寄ってくる。

「お疲れさまでした。……大丈夫ですか?」

 少し青白いイルの顔を見て、男爵は別に張ったテントの下に用意していた椅子にイルを座らせる。出てきたら出そうとしてくれたのだろう、簡易用具で淹れてくれたハーブティーを渡された。

ありがとうと受け取ってもらったカップは冷えた指先をじんわりと温めてくれる。ガヴィが気遣げにイルを見た。

「ありがとう。……でも、残念だけど、全然わかんなかったや……」

 そう言って悲し気に眉を下げた。


 それはそうであろう。大体が焼けていて、服装さえきちんとわかるものはほとんどなかった。

 あの日、この地獄のような里を、彼女がただ一人駆け抜けたかと思うと胸が痛い。

自分の出世欲のためだけに、このような所業ができたフォルクス伯爵は人とは思えなかった。

イルの、イリヤの故郷が、もう二度とは戻ってこない事をまざまざと突きつけられた。


 同胞のいない場所にただ一人取り残される孤独は、ガヴィが一番よく知っている。

けれど、ガヴィが一人になってしまったのは自分で決めたことであり、言ってしまえば自業自得だ。


 でもイルは違う。

 突然奪われて、放り出された。


 それでも、この少女はいつも前向きに生きてきた。

 自分の存在意義に迷いながらも、素直で、明るく、しなやかに。


 だからこそ、ガヴィは思うことがある。


「……では、イル様への聞き取りと、住民票を照らし合わせまして埋葬を進めます」

 男爵が話を進める。

「有難うございます。……すみません、こんなにしていただいたのに」

 申し訳なさそうにするイルに男爵は目を丸くして眉を下げた。

「とんでもない。このような事にならないように務めるのが我々の仕事です。

 しかしながら防ぐことが出来ませんでした。イル様は……もう少し自分のお気持ちだけを考えてもよろしいかと思いますよ」

 そう言って深く頭を下げると部下に指示を出しに席を立った。

 イルはキョトンとすると「……どういう意味?」とガヴィに目線で助けを求めたが、ガヴィは「そのまんまの意味だろ」と曖昧に呟くだけだった。




 二人でお茶をいただいた後、ガヴィとイルは里の中を二人で回った。


「この辺にね~私のお家があったんだよ。父様は怖かったけど、兄様は優しかったよ」


 何もなくなってしまった思い出の場所を辿る。

「私、いっつも里を抜けて森の中を走り回ってたの。里にあんまり友達もいなかったから。

 あの日も朝早くに抜け出して、遠くまでこの時期に渡ってくる鳥を探しに行ってたんだ」

帰ってきたら、あんなことになっちゃってて、としゃがみ込む。


 前には以前アカツキの姿で一緒に来た一面の春告げ花の花畑。

あの時よりも季節は進み、春告花は数を減らし、かわりに青色の小花が白の間に揺れていた。

「変わらないの、ここだけだなー」

 お花、毒入りだけどね~とケラケラ笑い、風にあおられた髪を押さえながら、「……兄様の血の剣ブラッドソードだけでも見つかって良かった。有り難う、ガヴィ」そう、綺麗に微笑んだ。


 そんなイルに、ガヴィはもう、黙っていられないと思った。



「お前、……なんで笑ってんの?」

「――え?」


 ガヴィは、ずっと感じていた違和感を遂に口にした。


「ずっと思ってた。なんかおかしいなって。

 お前に会ってから、俺はお前のこと泣かせてばっかりだけどよ。俺が知る限り、お前が家族を思って泣いてるところ、見たことがない」


 イルはいつでも前向きだ。


 その名の通り、まるで太陽みたいによく笑って、怒って、表情がくるくる変わる。

 年の割には少し素直過ぎるくらい素直で、ちょっぴり幼くて。

 ……けれど、たった十四の少女が、あんな地獄を見て平気でいられるはずがない。

ガヴィの指摘に、イルはまるでその場に足を縫い留められた様に硬直していた。


「……泣いて、喚いたって……誰も咎めやしねぇよ」


 イルの血の剣ブラッドソードを投げつけられたあの日。イルが感情を爆発させたのを初めて見た。

 ある意味、その時初めてイルの感情に触れた気がした。

ガヴィはどんな目にあっても聞き分けのいい子どものイルに、大人になりきれていない過去の自分と比べて当たっていたのかもしれない。


 でもあの時も、泣いていたのはガヴィの言動に対してだった。

 家族を失って、悲しいとか、寂しいとか、イルの口からそんな泣き言を聞いたことがない。


「だいじょうぶだよ。皆、優しくしてくれるし……私、平気だよ」

 そう言って、貼り付けた笑顔で笑った。


(――ああ、そうか。笑顔これは、コイツの鎧か)


 ガヴィは、イルの肩を両手でそっとつかむと顔を覗き込んでその金の瞳から目をそらさずに語りかけるように言った。

「大丈夫なわけねえだろ?

 悲しいもんは悲しいし、寂しかったら寂しいって言っていい。

 答えの出ない事だって、つれえもんは辛いって言ってもいいんだよ」

 イルの顔が、微かに揺らぐ。

「でも……迷惑かけちゃうし……そんな事口にしちゃったら……私、頑張れなくなっちゃう……」

 決壊しそうになる心を必死にせき止める。

 ガヴィは笑って優しく言った。

「馬鹿野郎。言いたいことを隠して、溜めて、取り返しのつかなくなった阿呆あほうをお前はよく知ってるだろうが。

 ……お前には、そうなって欲しくねぇんだよ。無理に笑ってるお前を見てる方が、みんな辛え。

 迷惑は、多少はかけとけ。俺だって、散々やらかしてるからよ」

 そう言ってイルの頭を抱え込んだ。



 せき止められていた心は、一気に崩壊して、

 両方の目から止めどなく涙があふれる。



 自分でもびっくりするくらい声が出た。



 ――ただただ悲しかった。


 寂しかった。不安だった。怖かった。

 たった一人になってしまった。



 頑張れと、自分に言い聞かせないと立ち上がれない気がしていた。

 笑っていないと、暗闇に飲み込まれそうな気がした。



 イルはこの日、家族を失った事に初めて声を上げて泣いた。


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