第1話 アルカーナの剣士


 空はどこまでも青く、庭へ続く窓を開けると新緑が広がってそよぐ風が心地良い。

アルカーナ王国の王都はかなりの都会であるのに、いつでも緑でいっぱいで、気持ちのいい風が常に通り抜けているのが大好きだ。

 イルは庭に出て、朝の空気をいっぱいに吸い込んだ。


「うん! 今日も頑張れそう!」


 陽の光を浴びて、よりきらめくイルの金色の瞳が活き活きとアルカーナの景色を映し出していた。


 さあ、今日は何をしよう?


 そう気合を入れて部屋に戻ったところで、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。

ガチャリと扉を開けると珍しい客人が立っている。

「今ちょっといいか?」

「え? いいけど……」

 イルが返事をするとガヴィは性急に部屋に入ってきて後ろ手に扉を閉めた。

はあ~っと大きくため息をついてその場にしゃがみ込む。

 赤毛の剣士のいつもとは違う様子に、イルはガヴィをとりあえずソファーに招いて水差しの水を差しだした。

「どうしたの?」

「……どうしたもこうしたもねぇよ!

 朝っぱらからあの魔法使いやろぉ……!」

 イルから受け取った水を一気に飲んで呟くと、ガヴィは頭を抱えて突っ伏した。

イルはガヴィの口から出た人物の名前を聞いて苦笑いを隠せなかった。




 水晶谷から帰ってきた後、国王陛下も含めて話し合いの場が非公式で設けられた。

 一気に色々な事実が判明した為、何よりアルカーナ王国の歴史の根幹に関わる事であったので話をじっくり整理する必要があったのだ。

 話し合いは、国王陛下、アヴェローグ公爵、ガヴィ、イル、そして記録役として国王の専属魔法使いであるセルヴォ・マーガの五人で行われた。


「……最初に確認しておきたいんだが……。

 ガヴィエイン。事実を知ってしまった以上、このアルカーナを作り上げた一人として、我々は君に敬意を払う必要があると思う。

 ……私は君をはじめ、脈々と受け継がれてきた先人のおかげで今ここに王としている。私自身、国民に恥じないような働きをせねばと努めているが、歴史が少しでも変わっていたならば、今ここにいるのは君の子孫だったかもしれない」

 エヴァンクール国王は真っ直ぐガヴィを見た。

「だが、今王としてここにいるのは私だ。

 初代国王の意志を受け継ぎ、私も君や国民が幸福だと思える国にしていく事を誓おう。

 ……そして、君はそれなりの地位につく権利があると思う。

 今もすでに侯爵位ではあるが、本来それ以上の立場であるべきだと思う。

 が……君はどうしたい?」

 エヴァンクール国王のガヴィエインに対する最大の敬意と配慮に、ガヴィは長考ののち言葉を選びながら口を開いた。

「……俺は、アルフォンスとイリヤと共に闘いはしましたが、国造り半ばでここから逃げ出しました。

 ガヴィエインは……本当は五百年前に死んでいたはずの人間です。

 だから、地位なんてものは無くていい。

 ……ただ、俺自身は忘れはしないから。

 ……あの時投げ出した事を、今もう一度やらせてもらえるなら……

俺はガヴィとして、この国を守る一人でありたいと思っています」


 今までも、これからも。貴方の下で。


 そう言って、ガヴィはエヴァンクール国王に臣下の礼をとった。

「……そうか。

 では君は、今まで通りガヴィ・ヴォルグ・レイとして、私の懐刀ふところがたなでいてくれ」

 そう言ってエヴァンクール国王は静かに微笑む。

「ただ――ガヴィが過去の人間であると言う事は公表しないにしても、〘ガヴィエイン〙の功績は出来れば記録に残したい。五百年前の歴史を実際に生きていた者に聞ける機会などないからね。王家門外不出の記録として色々君にも協力を仰ぎたいんだが……いいかな?」

 ガヴィは多少の気恥ずかしさも感じたが、俺で解ることならば、と答えた。


 こうして、創世記の赤毛の剣士ガヴィエインことガヴィは、今までと同じくアルカーナのガヴィ・レイ侯爵として生きることとなった。



 エヴァンクール国王は創世記の戦いの詳しいくだりや、瘴気谷の一節を初代国王の気持ちも汲んで後世に残したいと思っているようだった。

 初代国王アルフォンスの隠し部屋も、歴史的資料の宝庫である。

その内容を完全に公表してしまえばガヴィの事を詳しく説明する必要があるので一般公表は控えるが、王家専属魔法使いのセルヴォ・マーガに、初代国王の遺産とも言える隠し部屋に秘められた記録の整理を依頼した。


 魔法使いという者は世の理や星の動き、いにしえの記憶から魔法の技を編み出したりと、基本的に知識欲の塊のような人種である。

そんな彼にとって、いにしえの記録の解明や整理という仕事は、まさに天職とも言える夢のような作業であった。

 よってこの話の後、ガヴィは顔を合わせるたびに魔法使いマーガに追いかけられらるようになってしまったのだった。


 最初のうちは良かった。


 仕事の合間に時間を少しばかりとって聞かれることに答えていればよかったからだ。

彼には遠くの遠征や出張時の移動にかなり世話になっていたので、借りがあると言う気持ちもあった。

 だがその内、国王の隠し部屋にかけられた魔法や歴史的資料の研究にのめりこみはじめたマーガに、ガヴィは顔を見れば始終追いかけられる羽目になってしまったのだった。

 執務室にいればすぐにつかまってしまうし、王子の所はそもそもマーガ自身もしょっちゅう顔を出す。

 ゼファーの所は……


「アイツはだめだ、俺を売る!」

 イルを泣かせた一件から、少々ガヴィに当たりの強い銀の髪の公爵は、マーガがガヴィの所在を尋ねに来ると包み隠さず教える、という地味な嫌がらせをしていた。


 これが効く。地味に効く。


 なんせガヴィの仕事を組んでいるのはゼファーだ。基本的に予定は筒抜けである。

逃げるところをなくしたガヴィはいよいよ切羽詰まってイルの所に逃げてきたらしい。

身長が百八十近い大の男が、頭を抱えている様が何だが可愛らしく見えてしまうのは惚れた弱みというやつか。


 いつものガヴィであればしつこい相手にははっきりと物申すのだが、マーガによる記録は、国王陛下に頼まれている事でもあり、今までの自分の経緯にも多少の後ろめたさのあるガヴィには強く否と言えないようであった。


 初めて出会った頃は気づかなかったが、ガヴィと言う男を段々知ってくると、意外と押しに弱い。頼まれた事は文句をいいながらも大体やってくれるし、彼に強気で出られる相手には大概言い負かされている。


 一言で言えば根が優しいのだ。


 だからこそ、五百年も時を渡る事になってしまったのだろうが。


「しょうがないなー。匿ってあげるよ。ちょっとお茶でも飲んでいきなよ」

 イルはニコリと笑って街で仕入れてきたお菓子の入った缶をガヴィに薦めた。

 因みに、初代国王アルフォンスの隠し部屋のある貴賓室は相変わらずイルが使っていた。

他の者を入れて隠し部屋を発見されても困るし、安易に客人を通せなくなってしまったからだ。

よって、普段はイルが使用し、マーガやガヴィがたまに調べ物をしにきたり懐かしみに来たりする。

 隠し部屋が見つかる前はガヴィがこの部屋に来ることはあまりなかったので、それはそれで嬉しかった。



 侍女にお茶を淹れてもらって一息つくと、少し落ち着いたらしいガヴィがそう言えば……とイルの方を見た。

「ノールフォールの森なんだけどよ、管理自体は今のところ代理で男爵に任せているが、くれないの民里の跡地の管理をどうするかとか、住民の埋葬場所について色々打ち合わせしないといけなくてな。現地に行くことになるんだけどよ……お前も行くか?」

色々ゴタゴタしてたから遅くなっちまったけど悪いな、と言われてイルは首を左右に振った。

「うううん。有難う。行きたい! ……行くよ!」

 ノールフォールは悲しい場所になってしまったけれど、イルの生まれ育った故郷だ。

帰郷が嬉しくないはずがない。


 ――それにしても。


「……ガヴィって、意外と真面目にお仕事するよね?」

「あぁ?」

 しれっと失礼な事を言う。


 しかし、それは確かにそうであった。

 最初の出会いも、突然王子に呼び出されてノールフォールに向かったと聞いているし、創世祭の時はダンスが苦手だからと言っていたが、しっかり警備の任務に当たっていた。

文句を言いつつも書類仕事もやれば、遠方の任務にもこうやって行っている。

 言動は貴族然としていないが、働きっぷりだけ見れば大変真面目である。

「……お前はさ、俺のことを一体何だと思ってんだよ……」

 色々あって、最早怒る気力もないのかがっくりと項垂れる。

「俺は自分のやるべきことはやる主義なの! やらなくていい事はやらねぇけど!」

……と言う事は王子の相手も、警備も、他の仕事も、やるべきだと思っていると言う事だ。

ガヴィの行動からして、アルフォンス国王やゼファーに対して頭が上がらないと言うか、劣等感を抱いているような所があるが、はっきり言ってガヴィだってとてつもなく能力が高い。

五百年の時を止めなければ間違いなく国の重役に着いていたはずだ。


(ガヴィだって何でもできて、すごいと思うけどなぁ……)


 ガヴィで出来ていないのなら、自分なんてどうすればよいのだ。


(私……何ができるんだろう)


 イルはそう思った。



*****  *****



 ノールフォールに向かう為、旅支度をしていると、最近は週に一度は部屋に訪ねてくるガヴィが(因みにイルは毎日ガヴィの執務室に顔をだしている)が珍しく改まって部屋を訪ねてきた。


 ガヴィの手には、あの日、彼に投げつけてしまった箱。


「ずっと、渡そうと思ってたんだけどよ。タイミングが……」

 ごにょごにょと語尾が怪しくなる。ノールフォールに行く前にちゃんと返そうと思って、とあの箱を差し出された。

 国王陛下に渡された時は、あんなに嬉しくて宝物のように思っていたのに、今まですっかり忘れていた自分にびっくりする。

 あの時は、確かに胸が苦しくて、まるで世界が閉ざされてしまったような気持ちになったけど、人の感情とは不思議なものである。

相手に悪意が無くて、向こうにもそれなりの事情があったと解れば、あの悲しみが消えてしまうのだから自分でも驚くしかない。

「……本当に悪かった」

ちゃんと元通りあるから。と渡される。

 投げて散らばってしまった血の剣ブラッドソードもちゃんと箱に収められている。投げられて壊れた場所は、きちんと修復されていた。

イルはガヴィから受け取った箱を大事そうに受け取った。


「……めちゃくちゃ個人的な感情をお前にぶつけたし、完全に俺に否があった。辛い思いをさせてすまん」


 思いがけず返ってきた血の剣ブラッドソードにジーンとしたけれど、ガヴィがイルを訪ねてくるときは大概頭を下げているガヴィを見ている気がして、イルは思わず吹き出した。

その声にガヴィは信じられないものを見るようにイルを見る。

「ご、ごめ……、だって、ガヴィ……よく考えたら謝ってばっかりなんだもん」

 イルの指摘に心底情けない顔をする。

だが残念ながら何ひとつ間違っていないので、反論できるところがない。

イルは無理矢理笑うのをやめてガヴィの顔を覗き込んだ。

「うそウソ、笑ってごめんね? もう大丈夫だよ。全然気にしてない!」

 ガヴィも元気になって良かったね! と笑うと、ガヴィはイルの頭をくしゃりとやって「ありがとな」と笑った。



「……あと、あんまいい話じゃねえんだけど」

 そう前置きしてガヴィが話しだした。

「お前の一族の遺体、フォルクス伯爵が隠す為に、村の外れにまとめて埋めてあったらしい」

 伯爵代理の男爵が調査している時に不自然に掘り返され埋められている土地を不審に思って判明したらしい。

「……お前に言うか、迷ったけど……ちゃんと埋葬されないのも辛いだろ。男爵がちゃんと手配して、判別つきそうな遺体は棺に入れて保管してくれてるらしい。

 それでよ……誰が誰か、解るのはお前しかいないから……」


 どうする? とガヴィは聞いた。


「男爵が呼んだ魔法使いに防腐措置をとってもらってるけど、すでに元々かなり腐敗は進んでる。しかも、ほとんど燃えていて……あまり判別はできないかもしれない。……辛い作業になる。無理ならそのまま埋葬する」

 言い辛い事を、いつもは言葉の荒いガヴィが言葉を選んで言ってくれているのが解る。


 紅の里で待ち受ける事を考えると足が竦みそうになるけれど。


「……ありがと。大丈夫だよ!」


 きっと、大丈夫。ガヴィが一緒なら。


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