花の魔術師と奴隷紋

四志・零御・フォーファウンド

『花の魔術師』


——苦しい。痛い。


 パリュウは、奴隷の身ながらようやく手に入れた薄い上着も剥かれ、3人の大男に裸体を晒していた。


「ぅぐっ!」


 1人の男に押され、地面にうつ伏せで首を絞められる。


 男たちのツンとしたすっぱい臭さと汚らしい笑み、そして、舐めるような視線に悪寒が止まらなかった。


「許して……許してくださ、い…………」


 大通りから外れた、月明かりが届かない薄暗い路地。そこで発せられたパリュウのか細い声は、全くと言っていいほど意味のない命乞いだった。


「ゲェッヘ、許して貰えるほどの地位もないだろ奴隷ちゃん」


「おいおいジャック、そりゃお互い様じゃねえか。俺たち、お尋ねモノだぜ?」


「そりゃ違いねぇな!」


 ギャハハハハ! と男たちは虫歯だらけの汚い歯を見せ、大笑いする。


「さて、そろそろ頂くとするか。オレはもうちょい年上で肉付きある女が趣味だが、まあ仕方がねぇ。性欲ってのは、自制のタカを外しちまう」


 パリュウの首を絞めている男が耳元でグヒヒと気色悪い笑みを溢した。


「魔王が倒されたってのに治安は悪くなる一方だからなぁ。イイ女は金持ちばっかり持ってっちまう」


 膝を付いてズボンを脱ぎ始めた。


「大人しくしてれば、早く終わらせてやる……かもな」


「おい、バザル! オレは悲鳴を聞くと興奮するんだ! 痛め付けてくれ!」


「わかってるっての、このド変態! まあ見てな。一発目に甲高い悲鳴を聞けると思うぜ。耳穴かっぽじっとけ!」


「ひぇあ! 魚も女も初物はいいよなぁ!」


「さて、待たせたな。ようやく今晩のショーが始まるぞ!」


「―—助けて」


 男がズボンを下ろし、そそり立つ棍棒を披露したまさにその瞬間——、男のそれは突然、青色に輝く美しい一輪の花に姿を変えた。


「んなッ! どうなってんだコレ!?」


 脂汗を額に垂らし、激しく動揺する男。 


「―—粗末な身体に美しき花。随分奇抜な恰好だネ」


 そこへ、フードを被り黒い杖を携えた男が建物の影から姿を現した。


「……何もんだ、テメェ」


「通りすがりのただの旅人さ。偶然、助けを求める声を聞いたのだけど……」


 男の視線がパリュウに移る。一瞬だけ瞳孔を広げてすぐに口角をあげた。


「キミ、大丈夫かい?」


「は、はい」


「いま助けてあげるよ…………▽〇|‘*」


 男が何かを口にした瞬間だった。


 足先から赤、黄、青、紫……美しい色を持つ花々が咲いていく。まるで病が蝕むようにゆっくりと。それでいて美しく、身体を犯していく。


「やめてくれ!」


「ああああッ!!! オレのチン——嫌だああああああッッ!!!」


「許してくれ! 頼む! 許してくれェ!!!」


 男たちの悲鳴と共に、花々は可憐に身体に染めていく。


「やめろ! やッ——うわああっががおっごごおおごごおおごおおごごぼぼぼおおぼぼ…………」


 口の中からも泡を吹いたように花が咲き乱れる。この様では、きっと内臓のいたる所にも花が咲いているに違いない。

 

——美しき恐怖。


 パリュウの頭に浮かんだ言葉は、到底単語としては成立しない不可思議なものだった。しかし、目の前に広がる光景を口にするならその言葉が正しいはずだ。


 花は月を目指すように、頭上へ向かって咲き誇る。やがて身体が花に埋め尽くされて、もがき苦しむ声はどこへやら。


 辺りには静けさだけが残った。


「さ、行こうか」


 フードを被った男はパリュウに手を差し出した。


「あなたは一体……」


 何者か。そう尋ねようとしたところで、フードを被った男は自分の上着をパリュウに頭から被せて言葉を遮った。


「言い忘れてたけど、ボク、魔術師なんだ」


 パリュウは上着を払って視界のピントを合わせる。そこでようやく彼の美貌に気づいた。


 スラリと伸びた長い手足。花に負けない美しい輝きを放つ銀髪。それに宝石のような虹の輝きを放つ魅惑的な瞳。

 

「…………自己紹介が遅れたネ。ボクはマーリン。『花の魔術師』マーリンだヨ」


 これがパリュウとマーリンの出会い。


 運命を祝福するように暖かい南風が吹く。


 3人の男に咲き誇っていた花弁は、月夜の街へ舞い上がった。




     *




「そうだ、キミの名前を聞いていなかったね」


「パリュウ」


「ふーん、よろしくパリュウ。ところでキミは奴隷……なのかい?」


「はい。ジャンブル・ソレスタル様の家で奴隷をしております」


「キミはその家に戻りたいかい?」


「……いいえ」


「そうか良かった。ボクの見立て通りだ」


「どういうことでしょうか?」


「奴隷は一生奴隷だ。だいたいの奴隷は、心まで制度という名の鎖に支配されているものなんだヨ」


「……難しいことは分かりません」


 パリュウは首を傾げた。


「いまは分からなくていいサ。それで、どうしてあの男たちに襲われていたのかナ?」


「服を盗んだと難癖を付けられたのです」


「それは災難だったネ。まったくイヤな世の中になったものダ。ようやく魔王が倒されたというのに」


「そうなのですか?」


「おや、知らなかったのかい?」


 本当に知らないのかとマーリンは小首を傾げるが、パリュウは首を横に振る。


「勇者ライカン一行が魔王を倒したと報告があがって、もう1年は経んだヨ」


「それは良いことなのですか?」


「良いことじゃないのかい?」


「魔王が死のうと勇者が死のうとも、私は奴隷という呪縛から逃ることは出来ません」


 パリュウは立ち止まり、胸元をはだける。そこに蛇とリンゴの木が絡まったような、青色の紋様が刻まれていた。


「これが私の奴隷紋です。ご主人様に逆らうと身体がヒリヒリします」


「うーむ。奴隷紋は難解で高度な魔法だヨ。この辺りで扱える者がいるとは到底——……パリュウ、触ってもいいかナ?」


「はい、どうぞ」


 マーリンは膝を地についてパリュウの胸に刻まれた紋様にやさしく触れた。すると、眉間にシワを寄せて少し唸る。


「ンー、なるほど……」


 そう言ってマーリンは指を鳴らしながら難しい顔をしていると、突然何か閃いたようにぱっと顔を明るくして、思いもよらぬ言葉をパリュウに投げかけた。


「…………パリュウ、ボクと一緒に旅をしないカ?」


「旅……。いきなりどうしたのですか?」


「その奴隷紋を解いてあげるヨ」


「これは解けるものなのですか?」


「解けるサ。パリュウが望むのであれば、ネ。……ところで、パリュウはこの街が嫌いかい?」


「…………」


 パリュウは胸の内で自分に問いかける。


 奴隷としてこの街に連れてこられ、売られ、雑用をし、玩具のように扱われ、明日への希望すら手が届かない絶望の日々。


 そんなもの好きである訳が無かった。


「嫌いです。大嫌いです」


「そう言うと信じていたヨ」


 マーリンは優し気な笑顔を向け、ぱんっと手を叩き両手を左右に広げる。すると、マーリンの背丈ほどの長杖が現れた。木製のシンプルな形状で、装飾などは一切ない。


「パリュウの大嫌いなこの街を、美しく変えてみせようじゃないカ。とりあえず、一度街から出ようネ」


 言葉の真意は分からないものの、パリュウはマーリンの後に続き、街の外に出た。


 魔物から守るために建設された大きな壁を、外側から見るのは随分と懐かしい。この街に来たとき以来だっただろうか。それから今日までパリュウは街の外に出たことが無かった。主人の命令に従って機械的労働に勤しんでいただけだった。


「ここで良いかナ」


 終始無言だったマーリンは、街からだいぶ離れた丘の上でようやく立ち止った。両手を前にかざすとようやく隠れるぐらいに遠くへやって来た。戻るのも面倒なぐらいだ。


 空を見上げる。


 星が近い。手を伸ばせば届きそうだ。


 壁が無いだけで随分と違った景色になるものだと初めて知った。


「さて、嫌いを好きに変えるヨ」


 マーリンは杖を頭上にかざすと、巨大な魔法陣が街の上空に描かれ始めた。


「っ!」


 全身の産毛が逆立つ。それはまるでパリュウの身体の内から発せられた、いわば、生物としての無言の危険信号だった。


 しかし、パリュウは逃げない。


——この人がいるなら……。


 パリュウはマーリンの服の袖をぎゅっと握った。


——これから起こる魔法ことはきっと、美しいんだ。そうに決まっている。


「…………すべての生を愛でし、理を外れた魔術師が問う——」


 杖の先から青い粒子の渦が流れ始めた。


 『魔力』の流れだ。


 『魔法』を発動させるのに必要な魔力は、粒子状の存在のため、通常であれば人の目に映ることはない。


「汝、雪余の下に埋まる蕾を砕き、光を目指さんとする——」


しかし、強力な魔法を発動させたときは数多くの粒子が集まることでようやく目視できるまでに集合する。その様はまるで、空に煌めく星々が集まっているようで美しい。


「我、深淵より月下の闇を照らす」


 マーリンが杖を振り下ろす。


 この光景をどこかで見たことがあった気がする。


 パリュウが物心ついた頃だったか。父に『音楽会』というものに連れて行ってもらったことがある。舞台の上。楽器を持った演奏者を囲いこむように指示を出していた『指揮者』という存在。


 パリュウにとって、目の前で大きな杖を振るうマーリンは、魔力という楽器を操っている指揮者のように見えたのだ。


「裁きの時——。徒花よ、華々しく謳う人形を呪え!」


 その瞬間、杖の先端から魔法が溢れだし、街に向かって一直線で走り出した。街に届いた魔法は一瞬だけ点となり、再び強く激しく光る。辺りは昼のように明るくなりパリュウは眩いばかりに目を瞑る。


 その瞬きの後、景色は一遍していた。

 

 音も無く。


 ただ、光っただけ。


 それが魔法。


 街だったものは何処にも無かった。


 そこにあるのは、星々の光を受けて輝く青色の花畑。


 風が吹いて、花弁が舞う。街にあった生命いのちをあざ笑うように、青い花弁は空を舞う。


 パリュウは何か言おうと思ったが、言葉という手段がいかに無価値であるかを思い知った。美しいだなんて言葉で片付けてはいけない。目の前の光景を何かしら具現化することすら躊躇われる。


 ただ立ち尽くしているパリュウをみて、マーリンが覗き込むように尋ねた。 


「どうだい、大好きになれたかナ?」


 そう言って、闇夜で隠れながら悪戯っぽく笑うマーリンは、パリュウにとって正真正銘、花の魔術師だった。




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