第20話 柔道を習おう

 今日は、休日なので学校へいかなくていい。それだけでボクのこころは穏やかな気持ちを迎えるのだった。昨日、お腹に食らったダメージはまだ残っている感じがするが、それでも一晩寝るとだいぶ調子が良くなってきた。


 「ミーシャ!」


 母がボクを呼ぶ声がした。ボクは階段を下りてリビングに行くと、母に「どうしたんですか?」と声をかけた。


 「ミーシャ、りんごのパイを焼いたから、ウラジミールお爺さんに持って行ってあげて欲しいの。 あの方、日本人が好きでしょう? クロイくんをつれて行ってあげたら喜ぶわよ。」


 ウラジミールお爺さんとは、街のはずれの一軒家に住んでいる元ソビエト・オリンピック代表選手のお爺さんだ。日本に留学していたこともあるらしく、日本好きで知られている。ちょっと偏屈で変わり者だが、このあたりの「長老」みたいな感じで扱われているクマだ。


 クロイさんとボクは朝食をとると、りんごのパイをもって家を出た。ウラジミールお爺さんの家は住宅地から少し離れていて、静かな山のふもとの一軒家だった。


 「こんにちは~」


 ボクがそういって軒先に行くと、ウラジミールお爺さんは目をつむって座っていた。


 「おお、ミーシャか。」


 眼を開けるとウラジミールお爺さんが言った。


 「母がりんごのパイを焼いたので、もって来ました。」

 「それはそれは、いつもすまんな。」


 ボクは、クロイさんをウラジミールお爺さんに紹介することにした。


 「こちらは、日本から来たツキノワグマのクロイさんです。」

 「はじめまして、クロイと言います。」

 「おお、日本人か!」


 クマジミールお爺さんは日本人と聞いて嬉しそうに笑うと、そこから昔話を始めた。正直、これまで詳しく聞いたことが無かったので新鮮な話だった。ウラジミールお爺さんはソビエト時代に柔道のオリンピック代表選手で、長い事日本に留学していたことがあるらしい。講道館こうどうかんとかいう名前の道場にいて、将来を嘱望されていたが、練習中の怪我が原因で運悪く引退したそうだ。その後はロシアで後進の指導に力を入れていたが、今は引退してここで暮らしているとの事だった。


 クロイさんはウラジミールお爺さんの昔話を難しい顔をして聞いていた。そして、クロイさんはいつになく真剣な表情で口を開いた。


 「ウラジミールさん、おれに柔道を教えてください!」


 なぜ、柔道を習いたいのかという問いに、クロイさんはこう答えた。


 「実は、いまおれが留学しているクラスで、ひどいいじめがあるんです。嫌がらせとか、仲間外れとか、そういう地味ないじめも含んでいるですが、強烈な暴力による支配があるんです。おれは、それに立ち向かいたいんです。」


 思いつめた表情でクロイさんが言った。ボクは、もう黙ってはいられなかった。


 「その…、実は、いじめられているのはボクなんです。ボクは多分柔道とか、格闘技とか向いてないと思うんですが、それでも、最低限なにか出来ることはしたいです。ボクも、クロイさんと一緒に柔道を習いたいです…」


 ウラジミールお爺さんは、静かに言った。


 「もう少し、詳しく話を聞かせてくれ…」


 クロイさんとボクは、学校の様子や、これまでの経緯について詳しく話した。もちろん、学校の先生に言って解決してもらうのが普通なのはわかっている。ただ、何かこの学校はそれを隠蔽いんぺいしようとしている感じがしているのだ。ボクはそのことを詳しく説明した。


 クロイさんが留学してくる以前、ボクはクマノヴィッチのことについて先生に相談したことがある。しかし、その結果としていじめが改善されるどころか、特にボクがターゲットになってひどいいじめを受けることになったといういきさつも話した。学校側があまりにひどい対応なので、ボクは親を巻き込むのが怖くなって親には相談していない、そういう事もつつみ隠さずウラジミールお爺さんに話した。


 ウラジミールお爺さんはしばらく考えた後、静かに言った。


 「暴力は、何の解決にもならない。」


 ボクたちは、ゴクリとつばを飲み込んだ。


 「だが、身を守るすべも必要じゃろう。毎日、学校が終わったら、ここへ来なさい。」


 その日から、ボクたちの特訓が始まったのだった。

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凍土に芽吹く友情 クマイ一郎 @kumai_kuroi

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