第19話 将来は…

 隣で苦しそうにうめいていたクマイが急に意識を失ったのを見て、おれはすぐにクマイをおぶった。詳しい事は説明できないので、おれはカタコトのロシア語で、「病気болезнь病気болезнь!」と叫ぶとクマイをおぶったまま保健室へと走り出した。


 保健室につくと、例の保健医が出てきたが、相変わらず言葉が通じない。とりあえず、ジェスチャーでお腹を指して、腹痛のように背中を丸めて腹を押さえた。そのあと、思い出したように翻訳アプリで「腹痛で苦しんでいた。気を失った。」と書いてロシア語に翻訳して保健医に見せた。


 保健医は適当にクマイの脈をとると、「しばらく寝かせておく」といったような意味のことを言って、自室に戻ってしまった。もしクマイが重大な病気だったら、と思うとおれは気が気じゃなかった。クマイが脂汗を流しているのでそれをふき取り、熱そうにしているのでタオルを濡らすと、それをクマイの額にあてた。


 30分ほど付き添っていると、クマイの意識が戻ってきた。


 「クロイさん…… どうもすみませんでした……」

 「クマイ、どうしたんだよ。」


 クマイの話では、おれが居ない間にクマノヴィッチに復讐されないように校舎の裏に隠れていたのだが、迂闊うかつにも屋上から捜索されて見つかってしまったそうだ。そのあと、クマノヴィッチがやってきて執拗しつように腹を殴られた、ということだった。


 はらわたが煮えくり返ったおれは、手近な棒切れか何かをもってクマノヴィッチをぶちのめしに行こうと決意した。おれが椅子を立とうとした瞬間、クマイが厳しい声で言った。


 「今はダメです!!」


 どうやら、クマイはおれの考えを読んでいたようだ。


 「しかし、黙っていればやられるばかりだぞ!」

 「いま、クロイさんが行っても、先日と同じようにボコボコにされるだけです!」

 「じゃあ、どうするんだよ…」

 「今は、わかりません。でも、一緒に考えましょう。お願いです。行かないでください。」


 必死に訴えてくるクマイの顔を見て、おれは怒りを腹に収めることにした。この怒りは、腹の中に貯金しただけだ。あとで引き出してまとめて借りを返してやる。おれはそう、心に誓った。


 おれは「クマイが早退するので、おれはクマイを送っていく」というロシア語をクマイに教えてもらって、何回か繰り返した。保健医のところに行ってそういうと、あっさりと「早く帰りなさい」と言ったようなことを言った。


 おれはダッシュで教室に帰り、同じことを先生に言うと、クマイとおれの荷物をもってさっさと教室から出た。出る途中、セルゲイが足を引っかけようとしたが、そんなことは先刻ご承知のおれである。狙いすまして軽くジャンプし、全体重をかけてセルゲイの足を踏みつけると、軽やかなステップで保健室へと帰った。


 帰り道、おれはクマイの荷物をもって、一緒に帰っていた。クマイがしきりに「すいませんねぇ…」と言っていた。そのたびに、おれは「そんなことは言うな、クマイの痛みはおれの痛みなんだ」と言った。そのたびに、クマイはポタポタと涙を流すので、「そんなに悔しいか」とおれは言った。


 「いえ、嬉しいんです。」


 クマイは、意外なことを言った。


 「痛くて、くるしいけど、クロイさんがこんなにも親切にしてくれるのが、本当に嬉しいんです。」


 クマイはそう言ってポタポタと涙を流した。おれも何だかもらい泣きしてしまいそうになるが、グッと涙をこらえて笑顔を作り、「そうか…」と言った。


 「クロイさん、「あの場所」へ行きましょう。」

 「いいけど、早く帰らなくて大丈夫なのか?」

 「あまり早く帰ると、親に変に思われます。」


おれとクマイは、列車が見える川沿いの小高い「あの場所」へと向かった。


 「今は、なにか楽しい話をしましょう。」


 クマイはそう言った。何を話せばいいかわからなかったが、おれは、おれ自身のことを語ることにした。おれが生まれた山の話、親父の会社の話、将来は自分も会社経営をしたい、そんな話をクマイにした。


 「将来は、一緒に働きたいですねぇ。」


 クマイはそう言った。


 「ああ、必ず一緒に働こうぜ。」


 おれはそう返した。どうも、「あの場所」はおれにとっても一生の思い出になる場所になっていくのだろうか、なぜかおれはそんな気持ちがした。おれたちは、もう語り残したことが何もなくなるくらい語り合うと、夕日を背に家路についた。



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