五 ゴッホと耳なし芳一
丸太を荒削りする作業をはじめて四日め。雪が降って寒かった。こんな日は近所の年寄りも訪ねてこない。
首や腕を彫りこんだ丸太はまだ荒削りで、何年も雨風にさらされて目鼻立ちが削り取られた地蔵さんのようになった。こんどは仏像の頭から少しずつ下へ彫りこもう・・・。
耳のまわりをおおまかに丸鑿で彫った。まわりをたくさん彫らなければ立体的な耳にはならない。耳は難しい。粘土で耳を作るのとはまったくちがう。
何かで、ゴッホが自分の耳を切り落した話を聞いたことがある。ゴッホは顔の美しさについて、耳を美しいとは感じていなかったと父が話したような気がする。
この仏像の耳は、まだ、まわりを彫っていない。平べったい耳のままだ。このままなら耳なし芳一や、自分の耳を切りおとしたゴッホの顔だ。
耳のまわりを彫るだけでは耳にならない。頭の横を彫りこんで、遺跡の発掘のように、耳を丸太から彫りだしてあげなければならない。丸鑿では時間がかかる。耳を残して鋸で切りこみ、丸鑿で丸太を削ってゆく。またカンカンと金槌の音が板の間にひびく。今日は雪が降っている。
「金槌の音は、降る雪に吸いこまれて、遠くまでは聞えない」
と母がいった。
そんな話を聞きながら、金槌で丸鑿の柄をたたいていたら、またまた丸鑿をにぎる左手の指を金槌でたたいてしまった。この様子を父が見れば、笑いながら、
「なかなか学ばないな」
という気がする。
人の耳は頭からずいぶん外へ出ている。頭を真上から見ると、鼻もずいぶん外へ出ている。仏像の顔もそのようにするのだけど、ぼくが耳と鼻のまわりをたくさん彫りこむのに、乾いた橅の丸太は堅すぎる。金槌を持つ右腕と、丸鑿を持つ、金槌でたたいた左手の指が痛い。ここまでしないと、円空が彫ったような仏像は彫れないのだろうか・・・。
ぼくは小学四年だ。我家の杉林の手入れに連れてゆかれ、杉の枝打ちや下草刈りを見よう見まねで手伝ってきたから、同い年の子どもより鋸や鉈など刃物に慣れているだけで、大人のような腕力はない。
テレビで見たシルクロードの大きな岩窟仏像はずいぶん岩を削って彫ってあった。岩を彫るのは丸太を彫るより大変なはずだ。すごいことをする大人がいるものだ。
丸太や薪などの材木に仏像を彫って、穏やかな生きているような感じを彫りだす円空も、やっぱりすごい人なんだろう・・・。
そう思いながら、荒削りに目鼻を彫った。
できあがった仏像は目も鼻も口も耳もあるけれど、何年も雨や風をうけた庚申塔の地蔵さんみたいな感じがした。これでは丸太を削って仏像の大まかな形にしたときと同じだ。どうして表情がないのか、ぼくにはわからなかった。
整った目鼻立ちにしたら、寺の仏像や石屋さんにある真新しい石の地蔵さんと同じになってしまう気がする。円空の仏像のように、生きているような顔に彫るには、どうしたらいいかわからなかった。
冬休みが終った。そして、雪がたくさん降った。
ぼくが彫った像は、それから夏休みまで、板の間のすみにひっそり立っていた。
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