三 橅の丸太
翌朝早く、板の間の北側にある窓際の床に板を敷き、橅の丸太をおいた。ここは、家族のじゃまにならないから作業に使ってよいと父からいわれた場所だ。
外は雪だ。板の間の床は冷たい。爪先がおおわれた父のサンダルをはいたぼくのクツシタのなかの爪先も、父から借りたスケッチ用の6Bの鉛筆を持つ手も凍えている。
ぼくは橅の丸太に大まかな構図を描いた。もうすぐ冬休みが終る。休みのあいだに仏像を彫りあげたい・・・・。
仏像の首や腕のまわりはかなり彫りこまなければならない。鋸で切りこみをいれて鉈や平鑿で削りおとそうと思い、鋸で丸太を切った。だけど丸太が転がる。丸太の下に幅のせまい板をいれて転がらないようにして鋸をひく。
なんとか切りこめた。
乾いた橅の丸太は堅い。寒い雪の朝なのに、一か所切りこむだけで汗びっしょりだ。
最初は、鋸で切りこみ、切りこみのまわりを切りこんだ深さまで鉈で削ればいい、そうかんたんに考えていた。
丸太は固定できないから、左手で丸太を押さえ、右手で鉈を使うことになる。腕の力がある父がそんなことをしているのを見たことがあるし、二年ほど前から鋸と
ぼくがそれらの道具を使っていたのは、雑木林の細い雑木や杉林の杉の枝だ。細い雑木は土の中に根があって動かなかった。杉の枝は幹からしっかり伸びていて動かなかった。床に転がる丸太とはちがっていた。
丸太を転がらないよう丸太の下に板をいれたり、丸太を立たせて動かないように丸太を左手で支え、右腕だけ鉈で使って鋸の切りこみまで丸太を削らなければならない。
そうなると丸太を支える左手を切ってしまいそうな怖さを感じ、思わず身体が震えた。やっぱり、丸太を左手で支えて、右手で鉈を使うのは、とても怖くてできない。鑿を使ってちょっとずつ彫ってゆくしかないみたいだ。
二か所目を切りこむ鋸の手を止めて一息ついた。
汗が冷えて寒い。身体が冷えないうちに、切りこみをいれた部分にむかって平鑿で彫りこんだ。朝の板の間にカンカンと平鑿をたたく金槌の音がひびく。
近所のぼくと同じ年ごろの子どもたちは、ぼくのようなことはしない。たぶん、鋸も鑿もつかえないだろう・・・。。
切りこみまで平鑿で彫りこみ、また鋸をひいて丸太を切りこみ、切りこんだまわりを、切りこみまで平鑿で彫りこむ。また冷えた板の間にカンカンと金槌の音がひびく。
音を聞きつけて祖父母が板の間に出てきた。祖父母は、ぼくの作業をちょっと見ただけで、何もいわずに部屋にもどっていった。
祖父は小学校の校長をしていたというけれど、絵や彫刻などにまったく興味がなく、ぼくが描いた農作業の絵が市町村の児童画展で金賞を取ったときも何もいわなかった。
父も出てきて、怪我をしないようになといって書斎にもどった。
父の書斎は、茶の間の東側北隅の隣りにある四畳ほどの部屋だ。ここには父のたくさんの本と油絵と書道と大工道具など、教員を務める父の仕事と趣味の本と道具がある。ぼくに貸してくれた鋸や鑿なども父の趣味の道具だ。ぼくに影響されたのか、のちに、木彫りが父の趣味の一つになるとはこのとき知りもしなかった。
ぼくが板の間で丸太を彫っているあいだ、母は中の間のコタツで針仕事をしていた。
鋸の切りこみまで丸太を彫りこむ作業は昼までつづいた。
この日、仏像の首になる部分を彫りこむだけで、平鑿の柄を持つ左手の人差指をなんども金槌でたたいてしまった。作業用の手袋をしているけれど、板の間は火の気がなく手も指も冷えている。その人差指をなんどもたたいたのだ。ものすごく痛いので人差指を使わずに平鑿の柄を持ったら、今度は中指を金槌でたたいてしまった。
こんなことをしていたら、左手で平鑿を持てなくなってしまう。ぼくの腕の力では、道具をあつかうのが大変だ。
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