第8話

「冥月の皆様はこちらへ」





 他国のメイドが屋敷を案内してくれた。



 屋敷というだけあって敷地面積が尋常じゃない。

 貧民街の人間ならここで百人、二百人が余裕で暮らしていける広さだ。







「(まさに王の屋敷)」






「こちらの裏から舞場へ繋がっておりますので出番になったらこちらで披露をお願いします」




「「はい」」





皆が化粧直しのため、裏へ行く中、メイルは舞台袖から舞場を覗く。





「(こんな大舞台で)」




 これからここで舞踏を行うなんて信じられなかった。


 メイルがいつも踏んでいるのは冥月のほんの小さな畳の上。

 芸妓する側も客側もいつも平行に並んでいるが、今日は違う。今日はこっちが上に立って披露をする。




 こんなことはもうないかも知れない。



 変な優越感が生まれる。









「め、メイルちゃん…!いかない?」



 ユウユウが振り絞った声を上げたのが背後から聞こえた。






「あ、ごめんごめん」




 振り返った咲きには思った通り、ユウユウの様子がそこにはあった。

 先程の声を上げるのにだいぶ気力を使ったようで疲れ果てて見える。





 今度は舞場を背中にして、メイルはユウユウのもとへ小走りで寄っていく。






「緊張してる?」




「うん…とっても」




「琴は出番一番最初だもんねー」





 二人は肩を並べて化粧直しの部屋へ向かう。








「(…私なんて代わりに過ぎない。月兎太夫が不在だから、仕方なく…だろうなぁ…)」




 メイルの隣でユウユウはどっと肩を落とす。


 自分がこの場所に見合ってない。本当は必要がなかったのだと、選ばれてからずっとこんな調子で考え。悩み込んでいる。












――琴は前までは、冥月に求められた芸事だった




「うちにはとにかく、琴弾きが足りん!!練習をしろ!」



 今の楼主が来る少し前のこと、四代目老楼主がそんなことを言っていた覚えがある。




 その楼主が神経質で厳しい性格だったこともあって、その日を堺に、今まで十人にも満たなかった琴の人数が二十人を上回るようになった。




 そのとき楼主の言葉で仕方なく始めた遊女や新造たちとは違って、ユウユウは禿のときから琴の練習を行っていた。





 


「え~私意外と琴できちゃうかも?」

「それーーかんたんじゃ~ん」

「指は痛いけどね」




 琴を運ぶにあたって中々な重量を持ち運ばなければいけなかったので、わざわざ手を出そうとする人は前はいなかった。




 でも今は琴弾きが倍増し、それに伴って琴を「簡単」だとか「楽」だとか言う者も増えてしまった。





「……っっ」



 ユウユウはそれが悔しい。

 廊下で遊女が話していたときは悲しさと悔しさで泣いてしまいそうだった。




 私は他と違って幼少期から琴と一緒なのに。


 

 私は幼い手で頑張って琴を弾いていたのに。




――わっ私は!





「琴が好きなのにぃ…」



 ここまでやってきて自分の努力は報われていないのだと悟った。

 才能もないのだと。




 溢れる感情から涙がこぼれ落ちて止まらない。

 手の甲でその水分を拭き取っても取っても止まない。





 そんな憂いの中、ユウユウ…いや琴弾きにとってよくない存在が現れた。





―それがミニという一人の禿だ。


 今の月兎太夫にあたる少女で。

 ユウユウとは違って幼少期から才能を顕にして、その才能というのもすでにはるか上の年齢の新造や遊女の腕前を超えていた。




 そのとき琴弾きたちも流石に動揺していたらしく、一ヶ月も経たぬうちに半端な者は琴をやめていった。








――きっとこれでよかった、よかったんだ……












「ねえきいてんの?」





「はうぶう!」



 あまりに呆然と歩いていたものでメイルの声が届いていなかったらしい。

 ユウユウが可笑しな効果音を鳴りあげていた。







「な、な、な、なに、?」







「…そんなに肩下げて歩くから、はだけてる」




 そのためやけにメイルの頬が熱っぽいし、そっぽむいている。





「あ、ぁぁ。見苦しいもの見せてご、ごめん…」





「(そう言うことじゃないから!)」

















――数時間後




 化粧直しや身だしなみチェック、披露の道具を淡々とこせばもう準備は万端だ。





「……はぁ、はぁ、こ、こわい」



 舞台袖の暗いすみっこで琴を抱えたユウユウが、手足の震えを抑えながら怯えていた。


 彼女はこんな性格だし、勿論緊張も人一倍する。怖くて仕方なくて、ただ失敗を恐れているのだ。







「ほら、出番だよ」




 上手のカーテンを素早く手に取ったリンランは、ユウユウへ合図を出した。



 ついにその時が来てしまった。


 舞台の上に立つその瞬間が。






「は、はい………」



 少女は力ない声で返事をし、まんまるな拳を胸にあてた。




 鼓動がはやいのが自分でも感じられる。


 この胸の高鳴りに冷や汗、胃がきりきり痛む。






「(勇気…勇気…。はやく動いて、私の足…!!…そこへ行くんだ…………このままじゃあの子に勝てないの!!!!)」






がたん




 ユウユウはやっとの思いで一歩を踏み出す。



 この一歩は力強く、やっと決心した彼女に相応しい床音が舞台裏に響き渡る。







パチパチパチパチ





 舞台の中央までやってくると、周囲をよく見渡した。会場の見渡しが良すぎて人の数が尋常ではないことがうかがえる。




 この会は社交界ということもあって、男女が会話をしているのが半数ではあったものの、たかが半数だ。

 それ以外の半数の殆どが舞台に注目している。




 目ん玉がたくさんこちらを見つめている。






 「(歓迎の目、期待の目、暇そうな目、気だるそうな目、どうでもよさそうな目、はやく終わってほしそうな目、私を嫌いそうな目……)」








「(あれ、私、…なんのためにここにたっているの……?)」





 目の前が朦朧とする。


 ふらふらと目まぐるしく。酔ってきそうなほどだ。




 ひとまず床に尻を付き、弦のチェックを行う。

 ただ、視界がよく見えないので認識ができない。




「(この弦が、こっちであっち?え、えっと…)」






とぉん





「(鳴った…!)」





 一音鳴ったはいいものの、その一音だけが浮いて会場に広がった。








「まだ始まらないの?」

「ずっともじもじ長いですわ」

「ルージェスのみせものとはこんなもんか」


 





「えっ……」


 ユウユウの視界がどんどん狭まっていく。




「何も。誰も見えない…。わたしっ…どうしたら……」







ドンドンドン



――途端、何者かが舞台まで音を立てながら走ってきた







「(誰かがこっちに来てる音が…だれ…私退場に……?)」




 ユウユウの不安を煽るこの音は彼女の傍でピタリと止まる。

 裾のような絹ようなきれる音、鋭い息遣い、それらが敏感なユウユウの耳には届いた。





 もやの中でも会場の静けさがじんと伝わる。





 緊張感が漂う中、ふと見に覚えのある音がした。






「はい、演奏スタート」





「め、メイルちゃん…!?(ぼそ)」







 その音は、ユウユウの緊張感を徐々にほどけさせていく。




 そして視界も開け、その瞳に、少女の姿ははっきりと映し出される――








「綺麗―――」



 それ以外に言葉が見つからない。



 いつも飾らない少女が、今日は一段と綺麗に飾られていて輝いている。ユウユウには眩しすぎるくらいに眩しい。




 少女のために仕立て上げられた…いや少女のためだけの着物は、体の一部と化して見える。

 

 自由自在に動き、鶴のように羽ばたいて映る。







「あっ」



 はっとしたユウユウは開いた視界でメイルの舞踏に合わせて音を奏でる。


 メイルの踏は激しめの振りなので、これに合わせるユウユウも中々なものだ。









ドンドンドス




 床は強く鳴り響く。




 そして、その舞いに皆が吸い込まれたように圧巻されている。






「(凄い……新造でこのクオリティ……しかも他の舞踏じゃ絶対こんな舞できないよ…)







 客はぽかーんと口を開けて集中するかの如く視点が一点に集中している。




 時間はあっという間になくなり、最後はメイルの大きな踏み音で締めくくった。







パチパチパチ




「(歓迎の拍手…)」




 二人は舞台上で深くお辞儀をして下手(しもて)に逃げていった。






 鳴り止まぬ拍手の中、舞台裏で一人の少女は涙を流す。






「ぐぉ、ぐぉめんなざい…!」




 ユウユウが勢いよく床に尻をつけ、崩れ落ちた。

 涙で汚くなった顔だけではなく、声も乱れて号泣だ。ひとつひとつの粒が大きくて目視できる。




 ユウユウは責任感に負い目を感じ、自分の仕事を全うできなかったことを辛く思っている。











「(こ、これで…私もおしまい……琴も、遊女としても、この居場所でさえも…)」















「何泣いてんだ。」




 床で泣き崩れた少女にメイルは視点が合う位置まで屈む。






「ふぇ…?」





 心配の声がかかると思っていたユウユウは、メイルが泣いてることに対して疑問を抱いたようで驚く。

 あまりの驚きで声も裏返ってしまったではないか。








「だって私…な、なんにも、できなくて…………くすん」










「なーにがなんにもできなくてだよ――」



 メイルはもう呆れたようなため息を吐いて立ち上がる。

 珍しくアホらしい声を出したものだから、ユウユウは何を言われるか予測もできないでただ涙目でメイルを見つめる。





 「―― 十分最高の演奏だったよ、ユウユウ」






「―え」

















 ユウユウの脳裏にある弟の言葉が蘇る。





「――何でこんなんもでねぇの?あねのくせに」














「うぅぁぁぁああああん」




 周囲の背筋が一瞬でぴんと張ってしまうほどの慟哭だ。

 大粒の涙は勿論、鼻水まで垂らした姿はまるで叱られたあとの子供のよう。









「えっ…私が泣かしたみたじゃん…泣かないでってー」




 周りの視線を集めていることに気づいたメイルは、ユウユウの肩を軽く叩きながらハンカチを渡す。








「うううあああん…ぐす…ぐす」







 彼女の涙がその薄っぺらいハンカチをあっという間に濡らした。

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舞い枯れる造花、咲き乱れ。 ✗クム @shinutokishinu

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