シーン34 [????]

 Y先生のところからホテルに帰るまでの間、ホアンさんは無言だった。タクシーの中でも電車の中でも。アイコンタクトで意思の疎通はできるものの、ずっと何かを考えているように無言だった。

 

「……先に態度を表明しておきますが」と前置きして、ぼくは言う。「今回の調査結果を公開したり、Y先生を告発する気はぼくにはありません。Y先生について許せない気持ちもありますが、告発する際に父さんの作品が表に出る可能性が高いからです。ぼくは自分の命を危険に晒してまで、このことを告発する気はありません。ホアンさんが調査にお付き合いくださったことはありがたいですが、他言無用でお願いします」

 ホアンさんはぼくの話を黙って頷いて聞いて「命は大切です」と一言だけぼくに返した。

 それきりまたホアンさんが黙ってしまったので、ぼくはいたたまれない気持ちになった。

 山崎のあの事件で多くの命が失われた。命を失わずとも、経済基盤を失ったり、原因の特定できない病に苦しむ人はたくさんいる。今もなお多くの人が「どうしてこんなことに?」と消えない疑問を抱えているのは知っている。ぼくとホアンさんはその疑問を先に進める大きな鍵にたどり着いた。しかし、ここで握り潰そうとしている。

 それは許されることだろうか?

 だが……調査の結果はグレーだ。父さんの作品が山崎の中で眠っていた衝動を呼び起こしてしまったのかも知れない。そう判断する人もいるし、父さんの作品は警鐘のために書かれたと判断してくれる人もいるかも知れない。

 人の判断を統一することなどできない。ましてこれほど大規模な出来事に関しては。あの事件で家族の命を奪われた人にとって、ぼくの父さんの作品がきっかけになり得たというだけで、父さんが憎しみの対象でなくなることはないだろう。

 だから、やはりぼくは口を閉ざすべきなのだ。身の安全のために。そして我那覇キヨに発表の場を与えた破滅派のホアンさんも、そこは一致していると思う。

 そんなわけでぼくたちは日本での日々をやりきれない気持ちで過ごし、それぞれの国へと帰った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る