シーン35 [我那覇]俺たちはこのことを知る必要がある
サンパウロに戻ると、空港での放射線量検査に引っかかり、コートとスーツケースの車輪が取り上げられてしまった。車輪を外されたスーツケースを抱えて政府指定のホテルにチェックインする。そこでシャワーを一日三回浴びるように言われてぼーっとしたまま二日間過ごした。実際の効果はさておき、俺の国では日本に行って戻った際の放射性物質対策はこうなっている。
馬鹿馬鹿しい社会の病理だと思うが「実際はどうあれ、こうなっている」というものを完全に排除した社会が想像できない俺もまた、同じ病を抱えているのだ。
ホテルで過ごしている間に、福島のボランティア団体からの返信を受け取った。俺の思った通りの結果だった。八尾隆は甲状腺がん患者のボランティア団体に所属したことはない。あの部屋で語った山崎との思い出も嘘だろう。
Y先生が山崎少年に「世界の滅ぼし方」をお守りとして授けた事実は無く、それはつまり我那覇キヨの物語は単なる空想として書かれたものだったことを示している。
あの部屋で八尾隆が俺たちに嘘をついた動機は不明だが、おおかた生前の我那覇キヨに頼まれていたのではないだろうか。もしくは、教え子が実子に憎まれるのを不憫に思い、庇ったか……。
いや、案外、俺と同じことに気づいたのかも知れない。
まぁそこは俺にはどうでもいい。
それが客観的に見れば愚かなことであったとしても、人は欲しいものを手に入れるために行動し、結局は得るのだ。
我那覇キヨの物語と山崎の関係についての記事を書こうと思う。
山崎が起こしたことは取り返しがつかない。そしてあれだけの破壊が、アマチュア作家の書いた物語によってもたらされたという事実に、世界は激烈な反応を示すだろう。
そして多くの人々が俺と同じ考えに行き着くはずだ。我那覇キヨの物語以降では、テロの物語を書くことは、実際にテロを起こすのとほとんど同じようなメッセージ性を得ることになると。
実際にギターを持たず、演奏している所作を真似ることで如何にそれらしい動きができているかを競う競技として、エアギターというものがある。
そのテロ版。
つまり要するに、エアテロだ。
物語はエアテロ化していく。
「さまよえる良心」という言葉がある。日本の社会学者が言い出した言葉だ。良い人間でありたいと願う人々の中には、複雑化した現代社会において何が良いことなのかがわからず、自己不全感を抱えてしまう者がいる。
この時の、行き場を失った良心を「さまよえる良心」とその社会学者は名付けた。「さまよえる良心」それ単体では悪を為すことはないが、「さまよえる良心」を抱えた人がカルト宗教などの、物事の良し悪しを決めてくれる他者と出会った場合の危険性を、その社会学者は語っていた。
俺自身も若い頃は、環境破壊や民族紛争、格差の拡大など、悪い事態が確実に進行しているのを肌で感じ、何かしなければと思っていた。だが、そう思いながらも、どうしていいかわからず、目の前のどうでもいい仕事を片付けてメシを食っていると、その「さまよえる良心」がうずくのを感じることもあった。
創作に打ち込むようになったのはそんな頃だ。そしてあらゆる投稿サイトで不適切表現とされてアカウントが凍結された俺が行き着いたのが破滅派だった。俺が夢中で書いた核戦争後の話や、滅びかけた社会でサバイブする話は「社会がこれほどのことになっていれば、俺でも良いことができるのに」という叫びだったんだなと、今ではわかる。
我那覇さんの作品も同じようなものなんだと思う。
そういうものを書いたり、読んだり、求めてしまう時期は大なり小なり誰にでもあるんだと思う。
それがあんな事件を引き起こした。
俺たちはそのことを知るべきなんだと思う。
エアテロを広めたいわけじゃない。
エアテロは実際にテロが行われるよりは犠牲が少ないからマシだとか、そんなコスパをの話を言いたいわけじゃない。そこは勘違いしないで欲しい。
俺は漠然と「もし世界を変える物語があったとしたら、それは啓蒙の物語だろう」と思ってきた。
実際にはそうじゃなかった。
バカが書いた物語が別のバカに届き、取り返しのつかないことが起きたのだ。
俺たちはこのことを知る必要がある。
見たくなかったとしても、知りたくなかったとしても、それはそこにあるのだから。
啓蒙の物語と言えば、かつて「SNSの存在そのものが啓蒙の物語になる」と考えられた時期があった。
多く人々が生の素朴な意見を相互に発することで、相互にゆるく啓蒙し合えるようになると。今ではそんなことを言う学者はいない。実際にSNSがゆるい啓蒙の物語になることはなく、より多くの人々を動員した方が勝つという、動員のパワーゲームの物語になってしまった。それは個人の快不快と公益性の区別がつかなくなった人々を無数に生み出しただけだった。
フェイクニュースの被害が深刻になり、SNSの運営事業者に賠償責任が認められた判決が出ると、SNSはすぐさま衰退した。今では、ほとんどの国で政府登録制の実名SNSしか残っていない。
この失敗を経て、俺たちは匿名の動員合戦の不毛さ、悪影響を学び、賢くなったはずだ。
まさに亀のような歩みで、賢くなったのだ。だから今回も、と俺は思っている。
俺自身のことについて言えば、俺はずっと「半径5メートルの視野」を打ち破る方法を考えていた。「自分さえ、自分の周りさえ良ければ」と薄ぼんやり繰り返して、理不尽があっても怒って立ち上がらない日本人が嫌いだった。
国民の多くが「騒ぎを起こさない良い国民」像に従うのが許せなかった。俺は混血だから、混血であるという理由において理不尽な目に遭い、その理不尽が「騒ぎを起こさない良い国民」像の顔で、なかったことにされる経験を沢山している。
個は小さくて、逆らったらあっという間に潰される。
他の人が立ち上がらないことが予想できるから、自分も声をあげるのをやめる。
そんな連鎖が嫌いだった。
これが続けば、破滅を覚悟したテロリズム以外無くなってしまうとさえ思っていた。だから俺は言葉にこだわり、破滅派で物語を書き続けてきた。
俺がどうやっても壊せないと思っていた「半径5メートルの視野」をすり抜けて世界を変えたものが、こんな身近にあった物語であったことには驚いた。
俺は自分が長く求め続けていた方法をついに見つけた。……しかし、俺はこれに対するワクチンを書こうと思う。
エアテロは広く思想を伝播させる啓蒙の物語ではない。エアテロの物語は、俺たち人類が物語に反応し感情が呼び起こされる性質に働きかける。場合によっては感情の制御が効かなくなるような強烈なメッセージで。エアテロの物語は、読者の中の誰か一人でも強烈に心を掴めば目的を達成できてしまう。
おそらくその構造の概要は、弱者の感情に寄り添い一発逆転の出口となる方向を示すことだ。
エアテロの成果として山崎の事件が起きたことは最低だが、それを学びとするべきだと俺は思う。
俺は記事を書くことで物語の破壊的な力を警告する。
事態を重く見て物語を規制しようとする権力者も出てくるだろうが、それはオススメできない。人間の想像力を抑えつけることはできないからだ。規制があれど、文書であれ口伝であれ、人が生きる限りは物語は作られてしまう。むしろ、検閲の力が大きくなるほど強い動機を持つ者が現れる可能性が高くなるだろう。
俺が日々飯を食うために書く、くだらない陰謀論との戦いの記事。それを通じて痛感していることだが、真実を語ったところで陰謀論に取り込まれた者を救うことはできない。
陰謀論者には、それまで生きてきた信念からそれを信じている者もいれば、孤立や社会不安からそれに取り込まれてしまった者もいる。一人一人のバックグラウンドに向き合う時間もないため、陰謀論者に俺の言葉はほとんど届かない。だが、だからと言って、真実を語る人が居なくなれば、陰謀論者には永久に勝てない。
今、目の前の人に届かなくても、真実を語り続ける必要があるのだ。真実を書き残しておけば、ふとしたきっかけで俺の言葉が彼らに届くこともあるだろう。(幸い、陰謀論者が陰謀論に幻滅する瞬間なんてのはそれなりに頻繁にある)
今回の場合、安全に真実を語るために、些細なウソを俺は混ぜることにした。
そのために日本では新聞社を訪れた。目的は古いウェブ上の記事の、俺のプロフィール文言の修正依頼だ。書き換えた部分は最後の1行。「小説家としても活躍中(Juan.Bまたは我那覇キヨ名義)」とした。
もはや誰も見ないような古いアーカイブの記事だ。我那覇キヨを追おうとしない限り、あの記事に行き当たることはないだろう。故人の名を借りる。それも、これといった名誉もない故人の。今はまだ誰も気にも留めないだろう。だが、もしもの時のために。
俺は勝手に記事を書くが、そのせいで若いやつに重荷を背負わせるのは本意じゃない。年長者としてカッコつけることにした。俺はすでに陰謀論者に目をつけられている。俺を狙うやつがこのせいで多少増えたところでどうってことはないだろう。
俺が、山崎と我那覇キヨの物語を繋げる記事を書かなくても、陰謀論はすでにそこら中にあるし、陰謀論が時に人を殺していることも知られている。
だから俺のやることは、皆が知る人類最悪の行為もまた、くだらない物語のなれの果てであることを示すのに過ぎない。
「物語に注意しろ」
そんなありふれたことを言うだけなのかもしれない。
それでも俺は書く。
俺が記事を書くことで、物語に飲み込まれて決定的な過ちを犯すヤツが一人でも減るかも知れないからだ。
爆発寸前ギリギリの理性の踏ん張りに、力を貸せるかも知れないからだ。
俺の記事を読んだ記憶が、物語が人を操るまさにその瞬間に、ほんの少し水を差すくらいの抵抗になってくれればいい。
俺が記事を書くことで、俺たちが少しは賢くなれるといいなと思う。
少なくとも、俺たちの愚かさを一つ知ることができるのだから、賢くなっているのだと信じたい。
「物語に注意しろ」
物語は俺たちの生を意味ありげなものに彩り、充実と興奮をもたらす。
物語は困難を克服する勇気をくれるかも知れないし、どうしても消せない憎しみを心に焼き付けるかも知れない。
物語は俺たちの人格や心、普段の言動にまで染み渡り、自分から引き剥がすことなんて到底できないように思えるかも知れない。
でもちょっとだけ。ちょっとだけでいいから「ホントにそうか?」って立ち止まって欲しい。
ほかの何よりも大切に思えるその感情が、どんな物語から来てるのか一瞬でいいから考えて欲しい。
空気を読まず、馬鹿みたいな疑問を口に出して欲しい。「ホントにそうか?」って。
それが俺からの注文だ。
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