シーン33 [????]

 Y先生の家は典型的なゲーテッドコミュニティだった。門の入り口の受付で空港で受け取った受付票を渡す。手荷物検査をされたあとで、看護師に先導してもらい、居室に向かう。


 看護師はマンションの一室の前まで行くと「八尾さん、面会の方がいらっしゃいました」とインターホン越しに声をかける。部屋のロックが開く。どうぞ、お待ちしてましたとインターホンからの声。


 部屋に入る。普通のマンションのように見えるが、リビングの中央に介護ベッドがあった。ベッドの背を起こした状態で、半分座るような姿勢の老紳士がそこにいた。


「お客さまに申し訳ありませんが、このままの姿勢で失礼します。近頃弱ってしまって、着替えてテーブルに着くのが大変になってきています」


 落ち着いた優しい声で老紳士は話す。


 この人が八尾隆、Y先生。


 目が合う。ぼくを見て微笑んでいる。どう切り出そうか、あんなに考えてきたはずが言葉が出てこない。


「我那覇キヨの著作についてお話ししたい、と連絡した高井ホアンです。本日はお時間をとっていただきありがとうございます」


 ホアンさんが固まってしまったぼくに代わって話し始める。


「ええ。本日は遠いところからお越しいただきありがとうございます。その、我那覇くん、と呼べばいいですかね。彼と再会してからのことなど、私も知る限りをお話ししようと思っています」

「父さんと会ったんですか?」


 ぼくが言うと、Y先生は微笑んだ。


「はい。我那覇くんとはここで再会しました。情けない話ですが、お互い自分の家を維持するほどにはお金を稼ぐことができなかったわけですね。彼の作品を読ませていただいた時には驚きました」


 予想外の答えにぼくは考えが追いつかない。Y先生と父さんはここで再会していた? 何を話していたのだろうか。


「まず、私と山崎くんとの関係をお話ししてからの方が、よさそうですね。私はあの事件を起こした山崎くんの家庭教師をしていました。山崎くんに六ヶ所村の工場についてお話しし、一緒に見学に行ったこともあります。そこは我那覇くんの小説に書かれている通りです」


 Y先生は穏やかに話す。話す内容と表情のギャップにぼくは混乱する。


「日本で1993年に出版されたベストセラーの実用書として『完全自殺マニュアル』という本があります。マニュアルの名前通り、自殺の方法が細かく記載されており、手順や用意するもの、失敗した時にどうなるかなどの実用的な情報が書かれています。この本の冒頭に筆者の言葉として、何かあったらいつでも死ねるという気持ちがあれば苦しくても生きていけるのではないだろうか、とあります。実際、この本のレビューにも『生きる上でのお守りになった』という、好意的なものが寄せられています。苦しみを抱えた人にとっては、この本の存在が苦しさを否定せず寄り添ってくれているように感じるのですね。私がやったのはこの本の手法と同じです。当時の山崎くんは……手術の後遺症や、自身に降りかかった不運に打ちのめされていました。私は彼に寄り添う中で『いざとなったらきみは世界を滅ぼせるんだよ』ということを、お守りとして与えたのです。お守りが効いたのかどうかはわかりませんが、時間の経過と共に山崎くんは立ち上がりました。受験や就職を乗り越えた時には一緒に喜び、私があげたお守りが不要になった瞬間を感じました。それは私の教師としての生活の中でも、特に印象に残っています」

「しかし山崎は実際に……」


 ぼくの言葉にY先生は頷く。


「はい。山崎くんにお守りは不要になった、と思ったのは私の勘違いだったんですね。山崎くんと最後に話したのは事件の一年前です。転職を機に地元に戻り、仕事にもようやく慣れてきたと電話で言っていました。あの事件から一ヶ月ほど経ち、あの恐ろしい事件を実行したのが山崎くんで間違いないということがわかった時は私は自分を責めました。警察に出頭してお話もしましたが、荒唐無稽だと相手にされませんでした」


 Y先生はベッドの横から水差しを取り、水を飲んだ。ふう、と一息つくと本棚をチラリと見る。そこには破滅派23号があった。


「我那覇くんと再会したのはここに入ってからです。事件から三年が経っていました。彼の書いた物語を見て驚きました。私と山崎くんの関係が描かれていましたから。我那覇くんは私と山崎くんの関係に気づいていたんですね。私は真相を知る我那覇くんに謝罪しました。山崎くんの痛みに寄り添ったつもりでしたが、不十分であったと。我那覇くんは……私を許したわけではないのでしょうが、私と我那覇くんとの交友が再び始まりました」


 父さんはこの人を憎みきらなかったのか。父さんらしいとも思うが……


「山崎は……父さんの本を読んでいました。ここにいるホアンさんは破滅派のショッピングサイトの管理をしていたのですが、複数回、山崎からこの本の注文があったのを確認しています」


 ぼくの言葉にY先生は少し驚く。


「そうなのですね……では、山崎くんが暴走した理由は、私と我那覇くんの両方が影響しているのかも知れませんね。……いや違いますね。そもそも私が山崎くんにあんなことを教えていなければ、我那覇くんもこんな話を書く必要はなかったのですから……やはりすべての責任は私にあります」


 そう言うとY先生はふぅっと大きな息をついた。ぼくも息をつきながらなんとなく本棚を眺める。分厚いハードカバーの本の中、やや目立つ破滅派の本。その隣にある本のタイトルがなんとなく気になった。『人間がいなくなったあとの自然』とある。

 失礼します、と断りつつ、ぼくはその本を手に取った。


「その本は、様々な事情で人間が立ち去ったあと、自然がどのように復活するのかを書いた本です。今は人が住んでない青森県や北海道でも、同様のことは起きているのだと思います」


 ページを開いて中身を見ていると、Y先生が概要を教えてくれた。


「そちらは山崎くんの事件の前に書かれた本です。その本では、自然の復活を大いなる希望として描いています。今では同じテーマで本を出すことは許されないでしょう。今の青森県や北海道が希望として語られた場合、非常に危険な事態となりかねませんから」


 環境保護を訴える活動家が、ボイコットやデモ、啓蒙活動を行うよりも原子力関連施設へのテロをする方が確実だ、と思いかねないためだろう。


 デモやボイコットは相手となる企業や団体に対し、意志を示す活動という側面もあるが、意志を示すことで、それを見た人々の中から賛同してくれる人を増やすための行動でもある。


 しかし、近年の環境活動家の行動はデモを通じて経済的な損失を与えることが優先され、賛同してくれる仲間を増やすことを半ば諦めているように過激化している。その究極の形として、山崎のテロが扱われることになりかねない……。


 考えが拡散してしまっている。今は、父さんのことに集中せねば。


 ぼくはホアンさんの顔を見る。ホアンさんは頷く。もう聞くべきことは聞き終えた。


 Y先生と個人的な親交を持つ気もないので、あとはもう礼を言って立ち去るべきだ。


 Y先生をどうするべきか? 我那覇キヨの小説と山崎の事件との関係について発表するかどうかなどは、ここでY先生を含めて話し合うような内容では無い。


 ぼくはY先生の目を見て、これで失礼する旨を伝えた。

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