シーン30 [????]
目を覚ました瞬間、思いついたことがあった。
破滅派の我那覇キヨが、ぼくの父さんとは無関係な別人の可能性だ。そうなったらぼくはこんな調査に時間を使わずとも良い。でもそんな都合のいい可能性はないだろうなと思いながら、ホアンさんの到着を待った。
ロビーに出てすれ違ったボーイに挨拶をして、散歩に行こうか少し考えたところで、付近の治安を調べてなかったためやめておくことにした。
部屋に戻るとシャワーを浴びて、インスタントコーヒーを作った。髪を乾かしながら一口ずつゆっくりとコーヒーを飲む。
スマートフォンで周辺情報を調べ、リベルダージ地区に日系コミュニティがあるのを見つけた。久しぶりにカツ丼が食べられるかも知れない。ぼくはカツ丼や日本食のお店を探し始めた。いくつか候補をメモした上で、ホアンさんにも意見を聞こうと思った。
ホアンさん……父さんと同じく破滅派に参加していた同人仲間。今では作家やライターとして生計を立てている。ほかには……昨日6時間も会って話していたのに、彼についてほとんど何も知らないことに驚いた。インターネット上で彼に関する情報は調べ終えていたが、どんな生活をしているのかは知らない。今日だって昼頃まで何をしているのか、旅行者に合わせて休みを取れるような仕事なのか、知らないことだらけだ。
年齢はホアンさんの方が上だが、それに甘え過ぎてはいけない。異郷において日本人同士ということでついつい頼りにしてしまいそうになるが、節度は持たなければ。
昼頃に来ると言っていたが、それはお昼を食べてから来るつもりだろうか。食べずに来て一緒に食事に行くつもりだろうか。
後者ならカツ丼がいい。タクシー代はこちらで出そう。前者なら気が利かないところだが、やむをえまい。その場合は昨日行ったカフェでオススメを聞いて食べることにしよう。
そうこうしているうちにホアンさんから到着時刻と食事をどうするかのメッセージが来た。ぼくは上機嫌で返信し、カツ丼はいつぶりのことだったかと記憶を巡らせた。
カツ丼の店は座敷だった。かなり高級な店の様子に、これは割り勘ではホアンさんに申し訳ないなと思いながら座布団に座る。手で畳を触る。畳の匂いが懐かしい。思わず寝転びたくなる。理性を少しだけ動員してぼくは社会性を思い出し、今日の朝の疑問を解決しなければと思い出した。
「父さんの写真って、破滅派で撮ったものありませんか?」
「ありますよ。今出します」
そう言ってホアンさんはスマホを取り出し、自分の写真のクラウドサービスにアクセスした。
「おっと」とぼくの目から画面が見えないように隠す。見られたくない写真もあるのだろう。ぼくの方とて父さんの写真以外は見るつもりもない。
「可能性は低いなと思うんですけど、我那覇キヨがぼくの父さんと別人だったらって可能性に思い至りまして」
「ああ! 確かに!」
「念の為確認しておくか、くらいの期待ですけどね」
ぼくは努めて軽く言う。
やがてホアンさんは、ありました、と言いながらスマホをこちらに向けた。おそらくどこかの飲み屋で撮ったであろう写真が画面に表示されている。
「この、ビールジョッキを左手で持っている男性が我那覇キヨさんです」ホアンさんが言う。
ホアンさんが指した人物は父さんだった。
「合ってます。この人はぼくの父さんです」
ぼくは少しため息をつく。
我那覇キヨと父さんが別人であるという思いつきに、自分が思っていたよりも期待していたことが意外だった。ぼくはやはりこの調査からは逃げられない。
ホアンさんが心配そうにぼくを見る。そうか。ホアンさんから見れば、ぼくがウソを言って調子だけ合わせている可能性もあるのか。
合ってますよ、ともう一度言ってぼくは自分のクラウドサービスから父さんの写真を見せた。
ホアンさんは父さんの写真を見て、神妙に頷いた。その顔が滑稽でぼくは少し笑って元気が出た。
カツ丼が運ばれてきたのはちょうどその時だった。
食事を終えて部屋に戻るとホアンさんはノートパソコンを開いた。コップに水を注ぎ、一気にすべてを飲み干すと額の汗を拭って口を開いた。
「結論を言います。山崎ですが、破滅派を買っていました。2027年にバックナンバーの23号を購入後、一週間後に22号、21号、20号とバックナンバーを遡って買ってます。雑誌『破滅派』は表紙を見れば掲載作家がわかるようになっているのですが、我那覇キヨの名前がある号のすべてをこの時、山崎は買っています。飛び石になってる26号も。これは作家指名買いですね」
頭を殴られたような衝撃だった。
購入履歴と送付先住所の文字を目で追うが、文字が頭に入ってこない。ホアンさんがこちらを見ている。心配している表情だ。大丈夫だ。ぼくは大丈夫。
そう言おうとして、声が出てこなかった。
口の中がカラカラに乾いている。水を飲もうとしてコップを掴んだら、まともにコップが持てないくらい震えていた。
落ち着こう。
事件と関係があったとしか思えない本があって、それがぼくの父さんによって書かれたのは、もうとっくにわかっていたことだ。
今ホアンさんから告げられた事実は、山崎がその本を確実に読んでいたという、その一点に過ぎない。
本が存在する時点でぼくの安全は脅かされていたし、山崎が本を読んでいそうなことは、証拠がなくともほぼ確実なことだと思っていたじゃないか。
では、この震えはなんだ。
あぁ、そうか。
ぼくは怖いのだ。
父さんが山崎の背中を押したという事実に近づくのが。
「俺はちょっと席を外します。20分後にまた来ます」
ぼくの様子を見てホアンさんが言う。ありがたかった。どんな醜態を晒すかわかったものではなかったからだ。
ホアンさんが出て行く。ドアが閉まる音を合図に、ぼくの感情は決壊した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます