シーン28 [????]現に父さんの書いた物語はここにある

 ぼくの部屋に行く途中、ホテルのボーイが何か声をかけてきた。ホアンさんはそれに一言応えるとわざとらしいウインクをした。ボーイがニヤリと笑うと、ホアンさんも頷きながらニヤリと笑う。


 エレベーターの中でぼくはホアンさんに尋ねた。


「さっきなんて言ったんです?」

「どうでもいい下ネタです。『男を連れ込むのは禁止です』って言われたので『俺は並みの男じゃないぜ』って言いました」

「え? それで終わりですか?」

「それで終わりです。彼らは単によそ者が変なことしないで欲しいだけですから。俺がスペイン語の通じるやつだとわかったので、それで終わりです」

「そういうもんなんですか……」

「明日、ボーイにからかわれるかも知れませんが、待遇自体はよくなると思います。勝手なことをしてすみません」

「いえ、そんな。ありがとうございます」


 それなりに心外な気持ちはあったが、別にここのボーイに勘違いされたところでどうだっていいかと思い直した。


 部屋に着くとぼくはホアンさんにベッドを明け渡し、コーヒーテーブルで本を読んだ。最初に読んだ父さんの破滅派での他の作品は、格闘ゲームをプレイする人たちの、ルポとエッセイと物語の中間のような作品だった。


 父さんらしい話だなと思う。父さんは「遊ぶ」ということに関して、こだわりのある人だった。遊び、つまり、やってもやらなくてもどちらでもいいことをやる、ということに興味があり、遊ぶ他人を観察したり、遊びながらメモを取ったりする人だった。それがこんな風に作品になるんだなと、作品の製作過程が目に浮かぶようで、そこがぼくには楽しい話だった。


 ホアンさんはぼくのベッドでうつ伏せになって枕で顎を支えながら、父さんのあの小説を読んでいる。時折わはははと笑ったり、すげえとか独り言を言ったりと、ややうるさい。そういう読み方をするようだ。読むことには集中しているようで、途中、ぼくのいるテーブルまで来てコーヒーを飲んだ以外はベッドに戻って本を読み続けた。そして物語があのテロに差し掛かると、やおら起き上がり、奥付けの日付を確認し「すげぇ」と言った。ぼくに目が合うと「こういうことですか?」と尋ねてくる。


 ぼくは「そういうことです」と頷く。


 ホアンさんは物語を終わりまで読むと、天井を見上げてため息をついた。ベッドの縁に腰掛け、サイドボードに置いた自分のペットボトルの水をひと口飲むと、また天井を見上げた。


 ぼくにどう声をかけるか考えているのだろう。逆の立場だったらぼくもどう声をかければいいか言葉を探しただろう。


「どう思います?」


 結局ぼくから声をかけた。


「いやー……こうして一読した限りでは、山崎が起こしたあのテロは、この小説を参考にしたとしか思えない……」

「ぼくもそう思います。そこで聞きたいのですが、六ヶ所村へのテロなり事故を題材にしたほかのエンターテイメントって見たことありませんか? 調べた限り、テロが起きる以前にはほぼ存在しなかったことはわかったのですが、商業作品以外のアンダーグラウンドな雑誌で似たようなものがなかったか知りたいのです」

「俺が知る限りではないですね。実は俺は今、雑誌で陰謀論の嘘を暴きながら紹介する記事を連載してます。そこではあの事件に元ネタがあったなんて陰謀論はそれこそ幾つもあるんですが、どれも要素を抽出して抽象化したら似てるかな、くらいのものです。でも、この我那覇さんの作品は実行犯のバックグラウンドまで一致している。……ええとイギリスのジャーナリストが出しているルポに、実行犯の山崎が福島原発事故以降の甲状腺がん患者だったと書いたものがあります。これは裏も取れていて、病院が認めています。一般的にはこれが山崎の動機だったのだろう、とされています。……ここまで現実と一致した物語は見たことがないです」


 こんな話はありふれた構想に過ぎない、とホアンさんに言われたらぼくの調査はそこで終わってもよかった。だが、やはりそう楽には終わらないようだ。


「父さんはテロに何か関わっていたのでしょうか?」

「それは俺にはわかりません。ご家族にも気づかれなかったのだとしたら、同人仲間が気づくのはより難しいです」

「そうですか……」


 ぼくは視線を落として考える。


 あの父さんがテロを……そこはどうしても結びつかない。だけど、現に父さんの書いた物語はここにある。そしてほとんどその本の通りにテロは行われてしまったのだ。


「うーん。個人的な印象で言うなら、我那覇さんがテロに関わっていたとは思えないけどなぁ。そんな悪いことをする人じゃなさそうでした。それに、我那覇さんは運転免許も持ってなかったんじゃないかな? それでテロなんて無理だと思いますよ。運転手さえ務まらない」


 ホアンさんがぼくを慰めるように言う。


「あり得るとして……この本を参考に模倣犯がテロを行った、とかが一番ありそうな気がします。あ、いや、でもそれだと、実行犯のバックグラウンドが一致しすぎてるんだよなぁ……」


 ホアンさんも突然のことに混乱しているのだろう。無理もない。


「そもそもですけど、参考にされただけだった場合、父さんは何らかの罪に問われるんでしょうか? 自分の小説を参考にテロが起きた場合に作家は罰せられるかということですが」

「日本の法律では原則、罪にはなりません。殺人事件の元ネタになったミステリ小説なんかもありますし、フィクションは割と簡単に人を殺してしまうんですよ。映画『エクソシスト』に影響を受けて悪魔憑きになってしまった子もいるし、悪魔を払おうとして殺してしまった神父もいます。そのように現実的な被害が発生した場合、作品は批判にさらされますが、罪には問われません。民事訴訟を起こされても大抵勝てます。ですが山崎の起こしたテロとなると……」

「影響が大きすぎますよね……」


 ぼくは目の前のコーヒーにミルクを混ぜながらうなだれた。ミルクの白色は瞬時に広がり、黒と混ざって元の色には決して戻らない。このコーヒーと同じだ。世界は変わってしまってもう元の姿には戻らない。


 ベッドから立ち上がったホアンさんがぼくの前の椅子に座る。


「まだ確実だと決まったわけじゃありません。あなたがブラジルまで来た理由は、お父さんの書いた小説と山崎のテロの繋がりを知りたかったからなのですね」


 ホアンさんはぼくの目を見て言う。


「そうです」

「もし、はっきりとした繋がりがあった場合は、どうしますか?」

「それは……まだわからないんです。ややこしい話ですけど。父さんがあの事件と関係がありそうだ、と思ってしまった疑念は消えません。この疑念を抱えたまま、知らんぷりして生きることはぼくにはできない。父さんのことを思い出すたび、心臓を冷えた手で掴まれたような不安を同時に抱えて生きるのは。だってぼくの過ごしてきた幸せな時間の多くに父さんは存在していて、父さんだけを切り離すことなんてできないから。でも同時に怖いです。はっきりした繋がりがわかった場合、ぼくはどう思えばいいのか。多くの人の未来を奪った罪人として父さんを恨むことができるのか。そこは、まだわからないのです」

 ぼくの感情的な告白をホアンさんは黙って聞いていた。ぼくが話し終えるまで口を挟まずに聞き、小さく頷く。


「わかりました」とホアンさんは言い、そしてこう続けた。「まずはできることから調べましょう。当時、破滅派の冊子は文学フリーマーケットのようなイベントやネット通販で買えました。イベントでの手売りの調査方法はまだ思いつかないですが、ネット通販は簡単に調べられます。サーバの中の顧客情報に山崎に繋がる何かがないかを見てみます」

「ありがとうございます」


 ホアンさんが協力を申し出てくれて助かった。ぼくは半分涙ぐみながらお礼を言った。

「ほかに何か手伝えることはありますか?」

「山崎が破滅派だったということはありませんか?」

「それはないです。俺はかなり古参でしたから、大阪や広島での文フリも参加してます。公開されてる山崎と同じ人物は破滅派には居ませんでした。俺の言葉だけで否定しても信頼性に欠けるかも知れませんが、もし山崎が破滅派なら、日本の警察は破滅派にも辿り着いていると思います」

「……すみません。順番が前後していて申し訳ないのですが、破滅派について教えてもらってよいですか? 過激派のようなものではないのですよね?」

「破滅派は文芸同人団体であり、出版社の名前でもあります。歴史の授業で『白樺派』などの名前を聞いたことがあるでしょう。あれと同じだと思ってもらえればわかりやすいと思います」


 なるほど、と相づちを打ったものの、正直よくわからなかった。設立の経緯や名前の由来など、どんな団体だったのかも詳しく知りたいと思った。


 ぼくはホアンさんに先を促したが、それからしばらくホアンさんは黙った。目線を追うとぼくのコーヒーに目が向いている。


 え?


「あの……そのコーヒーってまだ飲んでませんよね? よければなんですけど……譲っていただけないかなって」


 コイツマジか。


「あぁ、はい。ええ。いいです。差し上げます……」


 ぼくの返事が終わる前にホアンさんはありがとうございます、と言って嬉しそうにコーヒーを飲んだ。


 どうもテンポが狂う。危険は無さそうだと思って部屋に入れたのは間違いだったか。それとも、ぼくが対面でのコミュニケーションが久しぶりだから距離感を掴めていないのか?


 戸惑うぼくをよそに、ホアンさんは人懐っこい笑みを浮かべて話し始めた。

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