シーン27 [????]
北半球から南半球へ移動する列車があれば、その車窓からの景色は季節の移り変わりを映すとても楽しいものになるだろう。現実にはそんな列車はないので、雪景色の空港から飛び立って青空が眩しい空港へと着いただけだ。
空港の無料Wi-Fiに繋ぎ、ホアンさんに空港到着の連絡を入れる。空港内simカード売り場に向かい、10日間45ギガのsimカードを買う。ブラジルの公用語はポルトガル語と英語と聞いていたので油断していたが、思ったよりも英語が通じないことがわかった。空港内でこれなら、街に出たらもっと苦労しそうだ。タクシー配車アプリでタクシーを呼んだら、迎えに来たのはトヨタ車だった。
タクシーの中では、簡単なポルトガル語を急ごしらえで学ぶ。ありがとうはオブリガーダ、お願いしますはポルファボール、やあはオラ……。中学の頃、フィリピンに短期留学に行った時のことを思い出す。あの時も学校に向かうタクシーの中で英単語帳を見ていた。不安に駆られて文字を目で追っても何も頭に入って来なかった。母さんにはグズグズしていて怒られた。時間に追われて行動すると焦ってしまう。それにとにかく暑い。上着をリュックにしまう。半袖一枚になるとやっと落ち着いてきた。タクシーの外を流れる景色を眺める。フィリピンでも母さんは風景を見ておきなさいと言っていた。青い空に黄色や緑の屋根、白い壁……色彩豊かだなと、中学生みたいな感想が出てくる。建築について何も知識がないので「何かいつも見ているものと違う!」くらいの感想しか出てこないのだ。あれも違う、あれはなんか変、そんなことを思っているうちに、異国にいるんだなという気持ちが湧いてきた。
ホテルに着いて部屋に入ると、ホアンさんとの約束まであと2時間だ。シャワーを浴びてアイマスクをつけて1時間眠ることにする。暑い時にすぐにシャワーを浴びれるのっていいなと思いながら、ベッドに横になった。
目覚ましのアラームで起きて、そこで自分が服を着ていないことに気づいた。上半身裸のままでベッドに潜り込んで寝てしまったのだ。すごいな。これが南米かと思いながら身支度をする。ホアンが指定したカフェは目の前の通りにあった。少し早めに到着し、軽食を食べておこうと思ったが、メニューを見てもまったくどんな料理かわからない。ガイドブックでも買っておくんだったなと思ったところで、ぼくのスマートフォンが鳴った。慌てて通話に出ると、店の入り口でスマートフォンを持った男がこちらを見てぎこちない笑顔で手を振った。
インタビュー記事で見た写真からだいぶ歳を重ねていたが、高井ホアンさんがそこにいた。
ぼくの前でアイスコーヒーを何度もおかわりしながら、ホアンさんは饒舌に喋った。母親が外国人だった彼は母親と共に移住が認められたこと。元々破滅派のウェブサイトの管理を手伝っていたこともあり、ネット上の資源は代表者が亡くなった後にホアンさんが引き継いだことなど、ぼくの知りたい情報を聞き出せたのは大きい。
「我那覇さんは俺のオンラインライブやボイスチャットによく来てくれました。頭の回転が早くて、よく冗談を言ってましたよ」
空になったアイスコーヒーのコップを手に、紙ストローで氷をかき混ぜながらホアンさんは言う。
「俺が『のりぴー語には死を表す言葉がないんですよ』とか言うと、我那覇さんは『作中でのりぴー語を話したジョセフ・ジョースターは誰もが死んだと思ったシーンでも生きて帰ってきました』とか、ボケにボケを重ねてくるんです」
父さんは『ジョジョの奇妙な冒険』が好きで、日常の色んなことをジョジョに繋げて話すことが多かった。
「父さんが言いそうなことです。ぼくは『英才教育だッ!』とか言われて小学三年生の頃にジョジョ三部まで読まされました。ネットミームになった時止めに触れる前に、三部のDIO戦を読ませたかったとかで……」
「懐かしい。それはいい経験をしましたね。ネットミームは様々な文化資本をインスタントに体験させてしまいますからね。広く手早く触れられるものの、その質はどうしても雑なギャグに寄りがちですから……」
こんな具合に、話しても話しても思い出話が尽きない。母国語の会話に飢えていたのを感じる。やはり日本語はいい。それにどうやらホアンさんは父さんとかなり親しくしていたようだ。だから、この話題を振ることで空気が壊れることをぼくはためらった。しかし、ブラジルまで来た理由は他にないのだと自分を奮い立たせた。
「父さんの、破滅派23号の作品についてですが」
「はい?」
「あの話って……」
「ちょっと待ってください!」とホアンさんは手を前に出しぼくを遮った。苦虫を噛み潰したような顔をしている。ぼくが怪訝に思っているとホアンは声をひそめて言った。
「実は読んでないんです」
「え?」
「いや、破滅派は本の完成までにゲラチェックをみんなでやって本にするんです。が、俺は第一弾のゲラに間に合ってないことが多くて、本になるまで他の人の作品を読んでないことが多いんです。で、本になったあともイベントで売ったり終わったあと打ち上げ行ったりで忙しい時もあって……とにかく俺はその話を読んでないんです」
焦りながらどうでもいい言い訳を言うホアンさん。ぼくは呆れながらも、彼の警戒心の無さに合点がいってしまった。
なるほど……しかしこのままではブラジルまで来て調査が空振りになってしまう。ホアンの調査能力含め、空振りは痛い……。
ぼくはホアンさんに言った。
「実はぼくがここまで来た理由は、父さんが書いたその小説にあります。申し訳ないのですが、読んでいただいてから再度お話しできませんか?」
「いや、それはごもっともです。すみません。わかりました。すぐ、今すぐ読みます……でもなぁ……」
ホアンさんはぺこぺこと頭を下げながらも、煮え切らない。
「でもなんです?」
「いや、俺、ベッドで横になりながら読まないと頭に入ってこないんですよ。でもカフェで横になるわけにもいかないし……」
ぼくはため息をついた。
「すぐそこのホテルに宿をとってます。ぼくの部屋のベッドで読んでいただいても結構です。ホアンさんが父さんの小説を読んでいる間、ぼくはホアンさんが持ってきてくださった破滅派の冊子から父さんの作品を読みます。ホットコーヒーくらいしか出せませんが、それでいいですか?」
ぼくの提案にホアンさんは首を縦に振った。
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