シーン23 [????]

 起きて防寒着を着る。目を覚ますために顔を洗ったりはしない。皮脂を落とすと顔が凍ってしまうからだ。帽子を深く被り、マフラーを口元まで巻く。玄関でブーツを履くと、ショベルを持つ前にスマートフォンで今日の担当箇所を調べる。C棟の西側に面した出入り口が雪で出入りできなくなっているとのことだ。この集合住宅(日本の団地みたいなものを想像してくれればいい)は除雪車を持っているので、住民達で雪かきしなければならない範囲は、除雪車が使えないような場所だけなのが幸いだ。ぼくは玄関を開けて外に出る。

 雪かき自体は嫌いじゃない。やるべきことが明確で、やった成果もはっきり見える。雪が音を吸収するので、自分がショベルを動かす音だけを聞きながら作業に没頭する。雪にショベルを刺す、雪を持ち上げて隅に積む。雪にショベルを刺す、雪を持ち上げて隅に積む。これを繰り返していると、決して終わらない防衛戦争を戦う兵士のような気持ちになってくる。まだ降り止まない雪に空を見上げながら、少なくとも今日この入り口は使えるようになったな、なんて小さな戦果を胸に家に帰るのが好きだった。

 ぼく以外の住民は持ち回りで参加するが、時々、あからさまに不機嫌な態度を取り、雪かき自体を不当な作業だと思っているような人がパートナーに来る。こういう場合には、ちょっと閉口するが、それ以外は特に不満もない。もう慣れたのだ。

 その日は出入り口を二つ使えるようにしたところで管理ボランティアの時間は終わりになり、ぼくは家に帰る。

 ショベルを家のドアに立て掛け、家の玄関で帽子、マフラー、ブーツ、防寒着を外すと、それぞれハンガーに引っ掛ける。

 部屋と玄関を仕切るドアを開けておけば、暖房のおかげで明日の朝には装備が乾く。

 ワークステーションをスリープから解除し、チームに本日の作業予定を送ると、スープを温めて食べた。この時間に顔を洗えば、明日の朝までには顔が凍らない程度には皮脂が溜まる。シャワーは二日に一回。髪はすき鋏で自分で切る。配給で足りない分の食料はバスに乗って市場まで買いに行く。友だちとはネットで話す。日本との時差は14時間あるので、日本に居た頃の友だちと通話しながら遊ぶ時は早朝か夕方のみになるが、早朝はぼくに管理ボランティアがあるため、夕方しかチャンスがない。平日だと向こうは出社前だから、なかなか付き合ってくれる友人を探すのも難しい。休日を一緒に過ごす友人が欲しいとずっと思っていたが、アジア系というだけで距離を取られやすく、同じアジア系の中国人や韓国人からは、ぼくが日本人であることがわかると露骨に軽蔑の目を向けられたりもする。

 肩身が狭いなと思うが、仕方ないことかとも思う。もう十年この生活を続けているのだ。いちいち傷ついたりすることにぼくは疲れていたし、要するに慣れたのだ。

 だからぼくには時間だけが持て余すほどある。実はお金も使い道がないからそれなりに貯まっているが、仕事を辞めれば日本に帰らされるので、あまり意味がないかも知れない。充分稼いだら日本に帰ろうかなと思わないでもないが、それを日本の友だちに言うのは憚られた。

「せっかく日本から脱出できているのに、もったいない」と言われるのが目に浮かぶからだ。


 仕事の昼休み、なんとなく父さんから送られてきた本が目に止まった。本棚から取り出して眺めてみると少しおかしなことに気づいた。バーコードなどの表示がないのだ。売り物ではない本なのかな、と奥付けを見てみると値段は書いてある。22号、と書いてあるのを見ると、どうも連続した雑誌のようだ。『破滅派』と書いてあるのが雑誌の名前かなと思い、検索してみると、二十年以上前に活動していた同人誌の団体のようだ。

 そういえばぼくが日本にいた頃、父さんは小説の集まりと言って何度か出かけたことがあったような気もする。巻末の著者紹介から、これが父さんのペンネームかな、と思うものを読んでみることにした。なにせ時間だけはいっぱいある。

 父さんの小説は、ベストセラー作家である小説家の主人公が、自分の作品を盗作であると編集者に打ち明けて本当の作者を探すための騒動を描いたものだった。人を食ったような小説家の態度が、家で冗談を言ってる時の父さんの姿とも重なり、読んでいて思わず口元が緩んでしまう。次々変わる事態に翻弄される若い編集者の嘆きも面白く、ふふっとつい笑ってしまうところもあった。文体は飾り気がなく、主人公の主張にやや押し付けがましいところもあったが、作品の状況がスリリングなのもあって、さくさくと読み進められた。

 なるほど、父さんはこうなりたかったのかな、などと物語に出てくる小説家の姿に重ねて読んだ。(こういう読み方を嫌う小説家もいるだろうが、親子の関係なのだし、内心の自由ならぬ読み手の自由ということでご容赦いただこう)

 そうこうしているうちに、──以下次号と書かれて終わってしまったが、破滅派23号、破滅派24号を開くと、そちらに続きが載っているようだ。

 続きが読めることが嬉しくて、その日の仕事は効率よく進めて終わらせた。仕事中に少し検索してみたが、こういった同人雑誌はmagazineから取ったZINEなどとも呼ばれ、文学フリーマーケットなどのイベントやネット通販サイトなどで購入できたようだ。父さんのペンネームで評判を検索してみたが、それらしきものは見当たらなかった。その頃はSNSの全盛期だったと聞くし、数多あったSNSのサービス終了と共に父さんの評判も消えてしまったのだろう。残念だ。

 コーヒーとクッキーを用意して、準備万端で読み始めた破滅派23号で、ぼくは衝撃を受けた。

 小説家が引き起こした騒動はついには小説家と出版社の裁判沙汰となり、その直後、本当の作者であるY先生が現れる。しかし、Y先生に著作権を移動しようという話は、こじれにこじれ、小説家が移動に賛成しているものの、編集部がそれを許可しないという展開になっている。そんなさなか、小説家がこの騒動を起こした理由を相棒となっていた編集者だけに語る。それはY先生を探し出し、Y先生が計画しているテロを未然に防ぐためのものであったという大風呂敷が広げられる。なるほどなと思って読み進めていたが、そこで小説家が語るテロの内容を見て驚いた。それはあの六ヶ所村のテロそのものだったからだ。

 ぼくは急いで本の奥付けを確認し、発行日を確認する。そこには令和六年、つまり2024年発行と書いてあったのだ。雑誌内の他の特集で年表を扱ったものがあったが、それも2024年までしか書かれていない。他、時事ネタとおぼしき評論もあったが、それも2024年の事柄を「つい先日」として書いている。

 素直に読むなら、破滅派23号は2024年に発行された雑誌と受け取るべきだろう。だがそれでは、あのテロについて書かれている部分はどう受け止めればよいのだろう。ぼくは動悸を抑えながら額に吹き出た冷や汗を拭った。


 今から10年前の2030年の3月11日、日本で核燃料再処理工場を狙ったテロが起きた。

 使用済核燃料を粉末にして新たにMOX燃料として加工する工場に、大型車両が突っ込んだのだ。テロ当日、季節外れの台風が現地を襲ったこともあり、被害は日本のみならず世界中へと拡散した。粉末となっていた使用済み核燃料が撒き散らされたのだ。

 それ以来、世界は大きく変わってしまった。テロの最大の被害国は日本だったがそんな声は事件の一ヶ月後にはかき消えていた。

 日本では北海道全域と青森県での人の居住が不可能になった。世界中の国はめいめい、混乱の中で放射線非常事態宣言を出し、放射線の暫定安全基準値(人が一年間に浴びても安全だとされる基準値のことだ)を20倍、50倍、100倍と増やしていくこととなった。今までの安全基準を守ることはすべての国で不可能だった。

 偏西風の気まぐれか、放射線の影響が小さい国の地価が暴騰した。太平洋で採れた魚に検査が義務付けられた。

 『渚にて』というSF小説がある。核戦争により北半球が滅び、オーストラリアに残された人々が、滅びゆく世界を受け入れていくという物語だ。

 静かで物悲しい雰囲気が素敵な小説で、登場人物は皆、穏やかで冷静な判断力を持っている。人々は表面的には優しさと慎みを保っているが、会話のはずみやお酒が入ったりした際などに、人類の失われた未来を思い出し、激しい悲しみが露わになる。残されたオーストラリアにもあと数ヶ月で放射能が訪れることはわかっており、平等に訪れる死の恐怖が、登場人物の心に深い影を落としている。何度か映画化もされているが、一作目のモノクロ映画が白眉の出来だとぼくは思う。

 現実はあの小説や映画のようにはならなかった。あの事件の後も世界は存外長く(もう十年経つのだ)続いているし、原因がわからない病気は増えているが、それでも世界は終わったりはしていない。人類の未来が丸ごと失われたりはしていないのだ。これは本当によい点だ。

 映画より悪い点は、世界中の人々はあの映画ほど優しくも慎み深くもなかったという点だ。

 これまでとは永久に変わってしまった世界は混乱し、膨れ上がった怒りと憎しみはスケープゴートを求めた。その向き先が日本国であり日本人だ。

 日本からの難民申請を受け入れない国が現れると、多くの国がそれに追随した。難民申請を受け入れる数少ない国は、見返りとして難民の保有資産の供出を求めた。難民資格のための保有資産のボーダーが公然と語られるようなニュースも見た。

 ぼくは当時、留学先の寮で何人かの日本人がリンチを受けていたのも見ている。

 品行方正で礼儀正しいと言われるカナダの国立大学の寮でだ。

 日本にいる父さんは電話で、絶対に日本に来るな、留学中になんとか移住できるようにしろと言っていたので、その指示に従った。こちらで生活の基盤を作れば、もしかしたら父さんを呼び寄せることもできるかなとも思ったが、それが叶うことなく、父さんは死んでしまった。

 そう。父さんの指示は的確だった。父さんはあの工場でテロが起きれば、どうなるのかを知っていたのだ。

 父さんの小説の中では、主人公の小説家はY先生によるテロを止めるためにY先生が起こそうとしているテロ自体を小説として書いて出版してしまう。本が売れたことにより工場の警備体制の見直しや、そもそも工場の稼働の見送りなどが発表され、当面のテロの危機は回避され、物語は終わる。

 物語が世に出されることの威力、もっと言えば暴力性がテーマとなっている話なのだろう。物語が本質的に持つ暴力性を理解した上で、その暴力性を逆手に取ってテロへの抑止をはかるラスト。これが物語だけで終わっていれば、一つの物語として受け入れることもできたと思う。しかし物語とほぼ同じテロが起きて、そして何より物語を書いたのが自分の父親だという状況となると話が違ってくる。

 ぼくは呼吸が苦しくなり、つばを飲み込むのにも苦労しながら、作者の名前、我那覇キヨの文字を眺めていた。一睡もできないまま、ふと時計を見たら、管理ボランティアの時間になっていた。重い足を引きずって玄関まで移動する。

 偶然の一致の可能性もある……そんな慰めにもならないことを考えて、ぼくはその能天気な思いつきに苦笑した。

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