第二部
シーン22 [????]それは間違った物語だが、それも含めて楽しく素晴らしいと思うのだ
父さんとの仲は良かった。
一緒にゲームを遊ぶことも多かったし、ニュースのこと、父さんのこどもの頃のこと、日常のくだらない出来事、なんでも面白く話してくれる父さんがぼくは好きだった。
母さんが死んでからは、旅行好きだった母さんの代わりとばかりに旅行の計画を立ててぼくを連れていってくれた。旅行中、やたらと写真を撮るのには閉口したし、本当はぼくは家でゲームをしていたかったけど、その土地の歴史や豊かな自然の素晴らしさを父さんが上機嫌に語っているのを聞いているのは、それほど嫌ではなかった。宿に着いたら思いっきりゲームもできたし。
そんな父さんが死んだので、遺品が送られてきたのが昨日だ。朝、雪かきを終えて家に戻ると、玄関前に検査済みのシールが貼られた段ボールが置いてあった。その物々しいシールから、日本からの荷物だな、とわかった。
仕事の始まる時間だったので、段ボールを家に入れると、ぼくはワークステーションに座った。
三台のモニターに資料を広げながらコードを書く。設計書に書かれたマトリクスの不具合を見つけて、設計チームに連絡をする。進捗報告のグラフを見ながら、配給のコーヒーを飲む。今週の締め切りは緩いので、コーヒーに頼る必要もないだろうなと思う。再来週の配給までコーヒー豆は持つだろう。
慣れてしまえば悪くない生活だと思う。不便もあるし、早朝のいわゆる管理ボランティアがしんどい時はあるが、少なくとも運動不足になることはない。
ぼくは日本人だが、たまたま留学中に事件が起きたせいで、難民申請が通った。
大学を卒業する前から必死にインターンで頑張ったため、このアラスカとカナダの境の街で、職にありつくこともできた。
チーム内の人間関係も良好で、表面的には上司のぼくへの評価も、そう悪いものではなさそうに思う。
難民申請が通らず、もっと劣悪な環境にいる人を考えれば、ぼくはずっとましな生活ができている。
そう、父さんのように、ずっと日本で暮らさなければならなかった人も少なくないのだ。ぼくたちは日本人だから。
昼休みに段ボールを開けて中身を床に並べてみた。少し型落ちのゲームハード、何冊かの本、それにメモ帳が入っていた。メモ帳の中身は父さんのクラウド写真データのIDとパスワードだ。遺言などは書いていない。アカウントにアクセスすると、父さんの撮り貯めた写真のアカウントだった。AI診断にかけてみたが、ぼくの幼い頃の写真や母さん、父さんの写真が多いようだ。
ぼくのアカウントに写真データを移行するように設定しながら、父はどんなつもりでぼくに写真を引き継いだのだろうとなんとなく考えた。たとえばぼくが結婚をしてこどもを育てたとして、こどもに写真を引き継ぐだろうか。引き継ぐような気もするが、数が膨大になるので、全部を見てほしいとは思わないだろう。「気が向いたら見てね」くらいのつもりだと判断して、仕事中にサブモニタにスライドショーで表示させることにした。
「ぼくにとって関係のない写真を削除」のような曖昧な命令を任せられるほど、AIはまだ賢くないのだ。
スライドショーに表示される懐かしい故郷の写真を横目で見ながら、ぼくは午後の仕事をこなした。もう戻らない、戻れない故郷。
写真の中の風景が美しければ美しいほど、胸がつまるような悲しみがつのる。若い頃の母さんの写真、ふざけておどけている父さんの写真、笑うこどもの頃のぼくの写真。
その日の午後の仕事は、ギリギリ及第点と言える程度の、あまりよくないものだったと自分でも思う。
変化のない静かな生活に、父から届いた遺品がさざなみを立てたのだ。
夕飯は配給のソーセージとレタスでポトフを作って食べた。南米から輸入した米と一緒に食べるとスープの汁気が米に染みて本当に美味しい。ポトフは明日の朝食、昼食にもなるので、少しは自由に過ごせる時間を作れた。
ぼくは床に並べたままの父さんの遺品を少しづつ整理する。本は本棚へ、ゲームハードはモニタ横の棚に置いて、電源を繋いだ。
これは第九世代のゲームハードだ。最新のものより二世代前のものになる。一時期流行した、さかのぼりセーブ機能があるので、大量のセーブデータが残されていた。
今では珍しい機能なのでさかのぼりセーブ機能について説明しよう。ちょっと長くなるが付き合ってほしい。
さかのぼりセーブ機能は、ユーザーがゲーム中に面白いと思ったシーンからさかのぼってセーブデータを作れる機能だ。
と言っても、貧弱な第九世代のマシンスペックでそれを実現することはできない。そのため、第九世代のゲームでは一分、五分、十分など一定間隔でのオートセーブが行われる。セーブデータはプールに配置され、データの数が百個を超えたら古い順に削除される。ユーザーはゲームで面白いことが起きたら、プールからセーブデータを選び、名前をつけて保存する。名前を付けたセーブデータはプールとは別に保管され、オート削除の対象外となる。これがさかのぼりセーブの仕組みだ。こうすることでお気に入りのシーンを何度も楽しむことができるというわけだ。
ほかのユーザーにセーブデータを送ることで「体験を共有する」ということもできた。元々はソフトの中古転売対策の一環だった、という意見も見たが、だとしたらなかなか考えられていると思う。人は思い出と結びついたモノはなかなか手放せないものなのだ。父さんもそんなわけでこのハードを手放せなかったのかな、なんて思いながらセーブデータを見たら、セーブデータの名前にぼく宛とつけられていたものがあった。
父さんからのメッセージか、と思いセーブデータをロードする。ゲームが起動されると、モニタには半裸の男が山小屋でベッドに寝ている姿が映しだされた。どうやらこれがぼくの分身、操作キャラらしい。
ボタンを操作してゲーム内でできることを確認していると、ゲーム内の山小屋の窓からクマの姿が見えた。
クマの方もぼくに気づき、唸り声をあげる。
クマは山小屋に突進し強烈な体当たりを見舞ってきた。大きな音と共に揺れて破損する山小屋。
何かできることはないか、と山小屋の装備を確認していると窓ガラスが割れる音がした。
先ほどのクマが窓枠を破壊して乗り込んでくる!
絶体絶命!
と思った瞬間、ものすごい地響きと共に雪崩が押し寄せ、クマは山小屋の窓枠ごと流されていった。
山小屋は奇跡的に無事。雪崩は見たところ物理演算で作られているので、本当に偶然としか説明がつかない。
そこでチェックポイント通過の通知と共にウインドウが開いた。
「びっくりした?」
先ほど説明していなかったが、さかのぼりセーブデータには以下のものが設定できる。
①セーブデータの名前
②プレイ前に読めるコメント
③チェックポイント通過条件(何分経過とか、どこについたとか、敵を倒したとかゲームごとに設定できる)
④チェックポイント後に表示されるコメント
今ぼくは①の名前に誘われ、③のチェックポイントを通過し(多分クマの死がトリガーなんだろう)④のコメントを読んだわけだ。
なんてくだらないものを体験させられたのだろうと思いつつも、時を超えた父さんとの対話ができたようで楽しかった。
メニューに戻り、大量にあるぼく宛の名前がついたセーブデータの一覧を眺める。思ったより長い付き合いになりそうだとぼくは思った。
仕事が終わって暇があるとゲームで遊ぶようになった。と言ってものめり込むほどじゃない。一日あたり数分の時もある。
だんだんセーブデータのクセもわかってきた。
基本的にプレイ前コメントは書かれていないが、やってほしいことが分かりづらいものにはプレイ前コメントに説明が書かれている。
父さんからのメッセージを読みたければチェックポイントをクリアせよということだろう。やってやろうじゃないかという気持ちになってくる。
ある意味でこれは一つのゲームなのだ。父さんの作った、ぼくに向けてのゲーム。
遊びながら考えた。ぼくは父さんとどんな話をしてきただろう。
忘れ物大丈夫?とか、ごはん何食べる?とか、そういう生活のこと以外で。
ぼくは学校の話はそれほどしなかった。
父さんもあまり会社の話はしなかった。お互いの世界の話は、わざわざ思い出して説明してまで話すほど面白い話に限られた。
一番した会話はやはりゲームの攻略についてだろうか。父さんとぼくはゲーム友だちでもあったのだ。
ぼくが幼い頃は、父さんのゲーム友だちと混ざって遊んだこともある。
人と遊ぶことも楽しかったし、オンライン、オフラインでの会話も楽しかった。
そこでの会話で多くの時間を占めるのがゲームの攻略についてだ。
父さんがよく言っていた。
攻略とは、当人が持ち得る情報から有効な選択肢を選び抜いた思考の結果であると。攻略とは言わば、状況認識とより良い結果を目指そうとする物語なのだと。当人の勘違いから、実際には役に立たない攻略が語られていることもある。それは間違った物語だが、それも含めて楽しく素晴らしいと思うのだと。
攻略は「個人の感想」であり、「ランダムからパターンを見つけだそうという営み」であり、「検証されないままにたれ流される仮説」であり、「その人の世界観」であり、「つまりは語れるサイズの人生」なのだと。
大勢で攻略を持ち寄ったところで、ゲームの全貌、その真の姿が明らかになるわけではない。でも攻略を持ち寄ることで、何かがほの見えることがある。情報以上の何かをそこに感じるのだと。
確か父さんはそんなことを言っていたのだ。
こんなゲームで遊ばなければ思い出すこともなかった。
ゲームを遊んでいたら気づくと涙を流していた。画面では本当にくだらないことが起き、チェックポイント通過と共に「びっくりした?」なんてどうでもいいメッセージが表示される。
「あぶ……あぶ……あぶ……あぶなーい!」とか「あぶ……あぶ……あぶ……アボカド!」みたいな、当時仲間内で流行っていた時代遅れのスラングの時もある。
「ワーオ!」なんていう文字を打つのが面倒だったとしか思えないコメントもある。
そんなくだらないものを見ながらぼくは泣いた。
死んだ知らせを聞いた時にも泣かなかったのに。
父さんはここに居る。
そしてもう居ない。
大人になってから、いつのまにか父さんとは遊ばなくなっていた。
父さんが死んだのがきっかけで、また父さんと遊ぶ。
もう居ないことを知っているから、だから遊んで泣く。これはどういうことだろう。言えるのは、遊んだことを父さんに伝える手段はもうないということだけだ。
たいした話じゃない。
思い出を蘇らせるためのヨスガとして、ぼくと父さんの関係ではセーブデータがちょうどよかったというだけの話だろう。
父さんがゲームをやっていてよかったと思う。
そのせいでくだらないものが残され、それを遊んでぼくが泣く。
たいした話じゃない。
たいした話じゃないんだけど、この話をどうしてもしたかった。
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