シーン19 [アオシマ]

 我那覇さんがY先生と共に編集部を訪れてから一ヶ月が過ぎた。初回の口頭弁論では、例の録音データは証拠として提出されず、双方の主張が食い違っていることを確認し、審議の開始と次回期日が決まった。

 審理開始時に裁判所からの和解提案などもあったが、それは双方で拒否した。初回口頭弁論後にも記者会見を開き、ぼくは争う姿勢を見せた。

 ……姿勢を見せただけだ。

 もう完全に心は折れている。

「最終巻だけどよ。我那覇センセイとY先生で同時に出版させられねえかな。本当の結末はあなたが決めてください、なんつってな! おい、アオシマ、頼んでみろよ」

 編集長はもうすっかり安心しきったのか、そんなことをぼくに言ってくる。もちろん、我那覇さんやY先生の耳に入れるわけにはいかないので、なんとか適当になだめている。

 我那覇さんとY先生は、捜索の手がかりを提供してくれた人たちを、一緒に尋ね歩いているそうだ。

 当時のぼくの行動に不審な点はなかったかの証拠集め、という口実になっているが、実際はY先生が懐かしい人たちと旧交を温めているだけだと言う。

 渦中の盗作疑惑事件の、まさに加害者と被害者が一緒に訪れるという状況を面白がってもらえることが多いと、公衆電話から電話をかけてきた我那覇さんが言っていた。

「ただ、……少しだけ気になることがあります」

 我那覇さんは電話口で少し言い淀んだ。

「というと?」

 ぼくが先を促すと我那覇さんは続きを口にした。

「旧交を温めるというよりは……お別れの挨拶をしているようにも感じられたのです。もちろん、あの年代の方の交流とはそういったものになりやすいのかも知れませんが……」

「しかし、Y先生、ご病気とか無さそうでしたよね。血色もよさそうに見えました」

「そうです。健康で、今でも家庭教師の仕事を続けていらっしゃるとお聞きしました」

「うーん」

「わたしの考えすぎかも知れませんね。電話のコインが落ちるのでそろそろ切ります。また来週連絡します」

 我那覇さんは電話を切った。


 我那覇さんからの連絡はそれから二ヶ月なかった。

 家に伺って我那覇さんの奥さんと話をしても、時々電話がかかってくるだけで家に帰っていないという。『亡霊の注文』の出版以降、マスコミの取材から家族を守るため、我那覇さんはホテル暮らしをしているのだ。

 次に我那覇さんから連絡があったのは裁判の期日が近づいた頃のことだった。

「裁判中なのであまり会うべきではないのですが、どうしてもお話したいことがあります」

 そんな仰々しい電話で呼び出されて、ぼくは我那覇さんが滞在しているホテルに向かった。

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